きみのこえ

□day 12
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当たり前のことだけれど、大の大人が数日間もこんなところでうろうろしている理由は、一重にヤマトの情報を手に入れるためであり、会社の人間もまさか手ぶらで帰ってくることを予想しているとは思えない。
男がここで引き下がれば一つの仕事にも成り得ず、どういう評価を下されるかは私でもわかる。

「このマンションにですね、ヤマトが住んでるってご存知ですか」

下手に出てキミさんに笑顔を見せるけれど、キミさんは先刻自分で言った通りに頑なな言葉を返す。

「いいえ」

こうして傍から聞けば、本当に冷たいように聞こえる。
取り付く島もないと言うのはこういうことなのだろう。
そうかこのくらいはっきり言えば、この男も私にはついてきたりしなかったのかと後ろで見ながら冷静に分析してしまう。

「お話し聞くだけで迷惑おかけしませんよ」

男は身体を屈めてキミさんの顔を下から覗きこむようにし、キミさんはそれで少しの間を開けた。
私にもわかる、あれはとても気持ちが悪い。
知らない男に距離を詰められるのも気持ちが悪いけれど、覗きこまれるというのはかつてない感覚だ。
おぞましいと言うのはこういうことを言うのかもしれない。
それでもキミさんの姿勢は崩れない。

「いいえ」

まっすぐに見下ろされたその視線には、侮蔑が込められていたのだろうか。
男の顔に浮かんでいたにやけたものは払拭され、じわじわと緊張に変わっていくのがわかった。

「こうして知らない方に待ち伏せをされることが迷惑です。警告はいたしました。お名刺も頂戴しております」

キミさんの声が鋭くなっていく。
大きなその声が良く通って、周りを歩いている人たちもちらほらと振り向いている。
男はその視線に少し焦って目があちこちに動き、キミさんはその動揺を見逃さず詰め寄った。
その迫力に圧倒されて、男はキミさんから離れる。
突き刺すような視線が男の足元に移り、男もつられて自分の足元を見ている。
そこにはいくつもの踏みにじられた煙草の吸殻がある。
当然、男が時間潰しに吸っていたものなのだろう。
そしてその度、当たり前のように捨ててきたのだろう。
しまったという顔をしたのを、私にもはっきりわかることができた。
もちろん、キミさんは私より更に早くそれを見留め、畳み掛ける。

「足元に捨てられた煙草の吸殻一つで、貴方の人間としての価値がわかるというものです。社会人として分相応、恥というものを知りなさい!」

キミさんの一喝は、とても心に響いた。
男はすっかり委縮してしまい、何も言えないままに背中を向けた。
歩いていた人たちはキミさんの正論に納得し、騒いだりはしない。
それくらいキミさんの一言はまっすぐだったし、やっぱり巧みだった。
きっと単純に煙草のポイ捨てを注意された男なのだと思ったのだろう。
綺麗だった。
その一挙手一投足、言葉、全てにおいてキミさんは綺麗だった。
瞬きの度に揺れる睫毛が美しくカールしているところも、うっすらと乗っているチークも、唇を潤す淡いオレンジがかったルージュも、初めて会った時のキミさんにはなかった。
その横顔を見ているだけで、私は胸が痛くてしょうがない。
羨ましいのだろうか。
それとも、ただ単純に綺麗だと思っているだけなのだろうか。
美しさに嫉妬しているのかもしれない。
あの日のキミさんはどこに行ったのだろうか。
それともあの日のキミさんこそが偽物だったのだろうか。
いや偽物でも本物でもない。
その絶対的な自信を見せる瞳は同じ人のものだ。
きゅっと結ばれたキミさんの唇が綺麗で、私はそれを見ながら不細工に自分の唇を噛んだ。



続く
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