猫に恋慕節
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その日の下校は久しぶりの雨だった。
ざぁざぁ、ざぁざぁって雨が地面にぶつかる音が、木々の嘶きの様に聞こえる。
だから、私は雨が嫌いだった。
雨の日は、この町に息づく生き物の行進が感じ取れない。
朝に響く鳥の独唱、人々の喧騒、車の風切音、カエルの合唱、セミの主張、鈴虫のハーモニー、太陽のさんさんとした音色すらも。
雨は町の生命の気配を、色彩ごと奪い去ってしまうのだった。
烏野高校入学式から2日。天気、雨。普通授業。職員会により、部活なし。
そこの1年4組帰宅部というポジションに私はいた。
とどのつまり、どこにでもいるような普通の女子高生である。
(何故か無罪を主張するような口調になってしまう)
特筆するところといえば、少し猫目で鼻が低くて、俗にいう「猫顔」というところぐらいだろうか。
周りからもよく「性格も飄々としてて猫っぽい」とか高評価(?)を頂くので、典型的な猫系女子なのだろう。
確かに肉より魚が好きだが。
そんな余談を語れるほど雨の音しかなくて、無彩色で、この地点と向こうの地点の臨界が感じ取れないような空間に立っていたからだろうか。
その人影はインクが滲むように、ぼんやりと私の視界に現れた。
歩くにつれて、その輪郭がはっきりしたものになる。
男だった。傘を地面に置き、そこに入り込むようにしてしゃがんでいる。
第一印象は、黒。
制服も髪も鞄も傘も、とにかく墨をかぶったような黒だった。
雨の中では、その色は珍しくなかった。
彼の顔には見覚えがなかったが、その服装には「あ、うちの制服だ」と私の思考に繋がるものがあった。
自然と観察してしまうのは、癖だった。
これも猫系女子たる所以なのかもしれない。
今にも舌打ちしそうな表情で、じめっとした空気に渋面したその人が、近づく私に気付いて表情そのままに顔を上げる。
――――あ。
目が合って、その顔に見覚えがあることに気付いた。
隣のクラスにこんな顔の奴がいた、気がする。
この人確か、入学初日から教頭のヅラをふっとばしたっていう、
「……えと、桐山?」
「影山」
雨の音に彼の声が上書きされる。
その低くて無愛想な声は、そのしかめっ面にまことによく似合っていた。
「お前は……誰だっけ?」
結構なご挨拶だった。
まぁ私も彼の名前を間違えたのでこれでおあいこだろうと自己完結。
猫はプライドが高い。
礼儀って言葉を知らなそうな彼の態度に便乗して、私もどことなく威張って答える。
「みょうじ。同じ学校で同じ学年で、しかも隣のクラスなんだけど?」
「知らねーよ」
自分から聞いておいて、知らねーよときた。
なんて野郎だ。こっちは初めて校外で同じ学校の人と顔を合わせてるもんだから、少し動揺しているというのに。
ろくな奴じゃねーな、と通り過ぎようとした、その時だった。
それが、私の視界に映り込んだのは。
「――――ねこ?」
今までずっと影山と傘で死角になっていたが、そこには小さくガサガサと蠢くダンボールがあるではないか。
そこから覗く、2つの大きなつぶらな瞳。
「っかわい〜!!」
思わず、私も影山の隣にしゃがみこむ。
その行為には、流石の影山も戸惑ったようだった。
そりゃそうか。知り合いどころか、ほぼ他人だもんな。
私達の間に、雨の湿気よりも厄介な空気が立ち込める。
でもそんなこと気にならないくらい、その猫は愛くるしかった。
小さく震えていて、その姿が保護欲を誘う。
しかしその白、黒、茶の三色三毛は薄汚れていて、全身が濡れていた。
「この子どうしたの?」
「見りゃわかんだろ、捨て猫」
「影山が捨てたの?」
「なわきゃねーだろ」
年中怒ってんじゃないかなってほどのつり目で睨まれて、怯む。
職員室にお呼び出しをくらった気分だった。
でもその顔が思ったより近くて、私たちは同時に目を逸らす。
「……この時期に多いんだよ、捨て猫。出産の時期だからな」
そうふてぶてしく呟いた影山の方を見れば、こいつは目を合わせるどころか、顔を背けて後頭部をさらけだしていた。
でも真っ赤な耳はしっかりと確認できて、照れ隠しにしか見えなかった。
おー、こいつも緊張するんだってちょっと安心した。
自分より頭の悪い奴をみて「俺はまだ大丈夫」っていいきかせる感覚に似ていた。
例えが最低だな。
「詳しいんだ」って笑うと「何笑ってんだうるせぇ」って言う。
それでも頑なに顔を動かさない影山は、少し可愛かった。
憎まれ口も、それが"影山らしさ"なんだなって思うと、ちょっと笑えた。
なんて初めて喋った奴を偉そうに楽観的に分析してみる。
そうして私の手は、自然と目の前の子猫に伸びていた。
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