But/I love,
□3
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昼。
不思議と緊張はなかった。
廊下を行き交う足音や喧騒は如実に伝わってくるが、それが気になることもない。
「3−3」と書かれたプレートの下に立って、ドアノブに手をかける。
横滑りにドアを滑らせ、その瞬間に生まれた風を感じながら、俺は目についた男子生徒を捕まえて言った。
「なー、このクラスにみょうじさんている?ちょっと呼んでくんない?」
自分の心が落ち着きすぎていることに、俺はそろそろ恐怖を覚えるべきだ。
「みょうじ?」
一瞬目を左右に転がしたその男子は、すぐに「みょうじー、呼ばれてっぜー」と教室の真ん中に駆け寄っていった。
そこには女子が塊になっている。
多分その中にみょうじがいるのだろう。
「えー?誰ー?」
聞き覚えのあるソプラノが耳を惹く。
そして女子の塊の中から、金鎚で弾きだされたようにみょうじが現れた。
目が合う。
俺を目の当たりにして少しだけ目を見開いたみょうじが、小さく口を動かすのが目に入った。
言葉は聞こえなかったが、その表情からして「おや」とか「あら」の類だろう。
思いがけない来訪者だ。驚くのも無理はない。
「ああ、こないだの。どうしたの?」
にこやかにそう言いながら駆け寄ってくるみょうじ。
その動作には欠片の警戒心も見当たらない。
いや別に、俺がみょうじを呼びだしたのは、危ない用件などではないのだが。
……何故だか教室内から複数の視線を感じて、俺は自然とみょうじを廊下へ促す。
そしてやっぱり、何ら警戒心を纏わない様子で廊下へ出るみょうじ。
不自然でない動作で教室を見渡すと、数人の男子から軽く睨まれているのに気が付いた。
なんだか他の動物の群れに迷い込んだような気分になる。
ややあって、その男子生徒たちに見覚えがある事に気が付いた。
――――こいつら、あれだ。バスケ部だ。
対抗心剥き出しの目線が、何を訴えているのかを理解するのは容易だった。
どうやらみょうじは結構、バスケ部内で人気があるらしい。
だからといって遠慮したり、萎縮したりする俺ではなかった。
すぐさまそいつらを小さく鼻で笑い飛ばし、対抗意識を滅却させる。
そして追い打ちに、口の端にいみったらしい笑みを浮かべて劣等感を浴びせかけてやった。
小さく怯むバスケ部員。ざまぁみろ。そして調子に乗る俺。
「俺のみょうじに何の用?」とか思わせぶりな口調でつっかかってやろうかと考えたが、
自意識過剰すぎる上に、とんだ勘違い野郎に成り果てそうなのでやめておく。
しかも"俺の"のあとが苗字って、カッコ悪すぎるだろ。
一連の動作をみょうじの死角からやってのけた俺は、目の前で疑問を持て余しているみょうじに向き直る。
俺がみょうじを呼び出したのは、勿論バスケ部を小馬鹿にするためではないからだ。
「これ、こないだのお礼なんだけど、いらない?」
そう言って俺は、みょうじに先刻買った購買のパンを差し出した。
するとどうだ。
それを見た瞬間、みょうじの顔が未知なる愛玩具を見つけたように輝きを帯びていくではないか。
「こっここここ、これ、あの、めっちゃ美味しいって噂の、丸完熟りんごパイじゃないですか」
殿様でも相手にしているように、急に恐れ戦きだすみょうじ。
表情が忙しい奴だなぁと思った。
「…これそんな有名なのか?人気商品ってタグだけでなんとなく選んだんだけど」
「有名ってわけじゃないけど、すっごい絶品らしいんだよ!あああもうこんなのとサケおにぎりじゃ釣り合わないって…!!
でも遠慮しない!貰う!!ありがとう!!!」
ぱんぱんと手を2回叩いて、髪が乱れるのにも構わず90度に腰を折るみょうじ。
拝むな。俺は仏じゃない。
みょうじに絶品と噂のりんごパイを手渡して、用件は終わってしまう。
なんとなく心に寂寥を覚えつつも、これ以上執着する理由もない。
「じゃあこれで」と去ろうとした、その時だった。
「ん、コロッケパン?」
これはみょうじの発言だった。
セリフだけだと全くの意味不明なので、状況を説明する。
みょうじの目線は俺の手元に注がれていた。
俺の手元にある、コロッケパンに。
そうだ、りんごパイを買うついでにと、俺も自分の昼用に買っておいたのだった。
「……これは俺の」
「わ、わかってるしっ!」
みょうじの目線がなんとなく狩人のソレになっているように見え、ややわざとらしくコロッケパンを隠す。
食い意地が張っていることを隠喩されたみょうじが、少し赤くなって俺の言葉を否定していた。
初めて見るその照れと怒りが混ぜ合わされた表情に、目を惹かれる。
それは多分、こいつの女子らしいところを垣間見れたからだろう。
そこに終止符を打つように、みょうじは息を一つ落とし、俺に問いかけてくる。
「これからお昼?」
「おー」
「他に用事とか、ない?」
「おー」
「じゃあお昼、一緒に食べない?」
「おー」
……………………………ん?
急に会話上に発生した違和感に、慌ててみょうじを見れば、彼女は誠に健やかな笑顔を俺に放っておられた。
その純粋すぎて恐ろしくすら見える笑みに、俺が引きずられていくまで、あと、
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