彼と彼女の純情事情

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フルートってお上品だよね。

そんな割り箸についてる爪楊枝くらいどうでもよさげな理由で、
私は吹奏楽部を名乗る為の手段としてフルートを選んだ。
今ではパートリーダー、その上副部長である。なんだか背徳感が否めない。

だからせめて足だけは引っ張るまいと、私は毎日音楽室を貸し切って朝練している。
それが今だった。
他の部員は、相変わらず此処にくる事は無い。


暖かい陽気に誘われ、窓を開放すると、ふわり。
私の頬を撫でるように、絹の様な目の細かい風が流れ始めた。

誰もいない音楽室、フルート、暖かい爽やかな風。

この時だけ、私は春を独占したように感じるのだった。



なんだか下が騒がしい気がして窓の下を覗くと、此方も朝練か、
体育館の方角へ「オラアアアア!!」「どけクソ日向ぁ!!」「俺が先だアアアァア!!!」と
見覚え深い黒とオレンジが、全力で並走していた。

若いなぁ。
そんな年寄りの様な事を思う自分に溜息。


――――なんだかなぁ。


その溜息は春風に乗って、遥か彼方へ吹き飛ばされる。
まるで今の私の学校生活には質量がないとでも主張するように。



"薔薇令嬢と椿姫"
男子はほんのお遊びか、戯れのつもりだったのかもしれない。
しかし、この呼称が後々私の固定観念を縛りつけてしまったことは確かだ。

他の人の私に対する接し方が、明らかにおかしかった。

普段は女子を呼び捨てにする男子が、私にだけ「みょうじさん」だったり、
女子は女子で、私が手伝うよと言うと、全力で拒否して恐縮の色を見せるというような。

無視やイジメではないし、何より今まで目の当たりにした事のない名も知らない現象だったため、
初めは「みんな人見知りなのかなー」と相手に原因を見出していた。


私は1年の後半くらいから、クラスの一部に「高嶺の花」をもじって「高嶺さん」と呼ばれる様になった。

そのあたりでやっと、事の重大さに気付いた。



――――原因は私にある、と。



結局"高嶺さん"は広まる事なく単なる一過性のものとして終わったが、"椿姫"と並び、
その言葉の一つ一つが私を縛りつけて隔離しているということを、クラスメイトは多分知らない。

私は、普通に普通で普通の学校生活を送りたいのになぁ。

悪い事をされている訳じゃない。
1人だけ違う鳥かごに入れられた私を、「うらやましい」とさえ言う子もいるのだ。

だから怒れなくてどうしようもない。


でもやっぱり、ひとりぼっちは、寂しい。



――――どうせ椿姫なんて呼ばれるんだったら、私は王子様が欲しかった。



――――こんな学校生活から連れ去ってくれる、王子様とか、ヒーローとか。




「なーんて、」


バッカバッカシー。今時幼稚園児でも夢だと割り切ってるよ王子様なんて。

しかも"王子様"って単語に、イコールで繋がる人物が私の中に確かにいるから、
余計に掠れた笑いが漏れてしまった。
おいおい、彼に白タイツとかぼちゃパンツをはかせる気か私は。



話は変わるが、「噂をすれば影がさす」というのは、本当によく出来たことわざだ。

だって今、今まさに、この次の私の状況がそうだから。



「あっいた!みょうじさん!!」


「うお!?」


女子力の欠片も見いだせない言葉に伴い、顎とフルートが同時に落ちそうになる。
が、私の理想の塊であるフルートだけは死守した。

その素早い動きに、言わずもがな"菅原くん"が、「いい反射神経してる」とうんうん頷いていた。

これだけで有頂天になるあたり、私ってほんとスーパーの特売に置いてありそうなほど安上がりだなぁと痛感。
さっきまであんなにへこんでいたのに。

私の心はスポンジの様だ。
へこんでも、またすぐ元通り。

自分のそういうところは嫌いじゃない。



「急にごめんね。邪魔した?」


「ううん、全然だよ。どうしたの?」


「今度の壮行式さ、どうやら副部長もステージ上がらないと駄目らしくて」


「えっウソ!?」


「やっぱ知らなかったかー」


先生の情報伝達いい加減だよなぁ、と菅原くんが笑う。
私に向けて、笑顔。


――――うわぁは。



つむじが全身の血に集合の合図を出す。
ぐわあああっていう血の流れる音を耳の裏で感じながら、私の頬は血の気に染まった。
透明なコップに、トマトジュースを注いだ感じだ。

それを必死で隠すように、無意識にフルートのキーをカチャカチャともて遊んでいる
両手の運動が、鬱陶しくて仕方がない。


「はと、わ、わざわざ、それを伝えるため、だけに?」


上手く上下しない喉は、とてつもなく厚かましい一言を吐き出した。
後悔とか緊張とかで、フルートを握る手に力がこもる。


「や、ちが、あ、…えーと、そ、そうなるのかな」


蔓延した緊張は、菅原くんにまで感染して彼の体温調節機能に障害を起こさせる。
とどのつまり、彼も少し赤くなっているのだった。

その顔と言葉の、本当の意味を知りたい。
初めに「ちがう」って言いかけてたけど、それってもしかして「君に会いたかったから」とか続いたり?

自惚れ病は私の中の私と言う私をパンクさせて殺していく。
そいつらは風船のように散って、旧式テレビの様にひっぱたいても生き返りはしなかった。

菅原くんの言葉一つでこんなに自意識過剰になる自分に、死んでしまえ、いや死ぬなと矛盾を繰り返した。



そこからは、言いようのない沈黙が場を支配した。
換気扇のゴーとボーが混ざった生き物の様な音が、これ見よがしに大きくなった気がする。

私の中ではどうしようがどうしようもなくどうどうめぐり。
ふと、「菅原くんも意識し過ぎて何も言えなくなってるといいな」なんて
思ってしまった自分をぶん殴ってやりたくなった。


わざわざありがとうとか、東峰くんどうとか、一年生元気だねとか、話題のタネはいくらでも転がっているはずなのに。
そのタネは沈黙に協力するように芽を出さない。

ふと逃げ道を探す目線が、菅原くんとばっちりぶつかった。

私はそこに0.1秒の羞恥体温計の上昇を感じて、慌てて顔を下げた。
それは菅原くんも同じだった。
2人の目線は、自然と自らの足元へ向かう。



「…あ、のさ、みょうじさん、よければ、なんですけど」


目線そのまま後頭部に片手をあてて忙しく動かしている菅原くんが口を開いた。
その声は抑揚の付け方がおかしくて、せき止めていた物を再び滞らせて、
またせき止めたような喋り方だった。

私はそこに、菅原くんの迷いを感じ取る。
外国人に道を尋ねたいけど、自分の英語力には自信がないという様な、そんな感じ。

なんだろう。
蔓延性の緊張病は、今度は菅原くんから私へと感染してくる。

やっと顔を上げる事を許された私は、菅原くんの顔…は恥ずかしいので、
おでこのあたりを見ながら、彼の言葉の続きを待った。




「…フルート、聴かせてくれない?」




カチリ。
時計の秒針が、その1秒だけを大袈裟に刻んだ。


「…え、こ、これ?」


突然背中を押されたみたいに、重心が一歩前にずれる。
それを足の指の力でなんとかこらえながら、両手に握られた銀色の輝きを胸の高さまであげた。

ばつが悪そうに首をひっこめる菅原くん。


「いっつも外からみょうじさんの音が聞こえてきててさ、ちょっと気になってて、
 いや、えと、へんな意味では、…いや十分変な意味か」



そんな菅原くんの逡巡した言葉を聞きながら、私の心は既に緊張とは何か別の物体に覆い隠されていた。
人肌程度に温まった粘土に隙間なく覆われている様な感覚。

この感情の名前は知ってる。
大きさの規模は違えど、授業中右を向くたびに、君と話すたびに、君の笑顔を見るたびに――――


――――浮かんでくる、"嬉しさ"。




「や、やっぱ何でもない。ごめん、無理言って――――」


「いいよ」


彼の言葉を遮って微笑む。
思いの外目元に力が籠って、もしかしたらドヤ顔になっているかもしれない。

彼の目が点になった事を確かめてから、私は弾んだ声で「リクエストある?」と聞いた。



「いや……みょうじさんに任せる、けど」



いいの?そう続く菅原くんの躊躇いに、いいの、と同音異義語で返答する。

眉を下げて目を大きくして、口を楕円形に開いている菅原くんの顔に可愛げを感じた私は、
嬉しさからくる優越感を胸に抱いた。
それすらもまた愛しくて、笑顔。

譜面を捲る私の手は、大層弾んでいたことだろう。
手の動きだけなら、感情を昂ぶらせた指揮者のようだ。

が、私は演奏する側だ。
いつの間にか椅子を用意して座っている菅原くんが、それを一層色濃いものにしていた。


ふと、私の譜面を捲る手にブレーキがかかる。
目の前に現れた曲のタイトルに、脊髄反射を起こしてしまった。

『Fell in love with you』

明らかに明らかなタイトルである。
狙っている事を自覚しつつも、「これでいいかぁ」と楽観的な考えに落ち着いてしまう私は、
やはり自惚れている可能性を否定できない。


「えーと、…じゃあ菅原くん限定演奏会、開演でございます」


「わー」


たどたどしく、明らかに台本がありそうな台詞を空で読んで、一礼。
ぱちぱちぱち。窓を撃つ雨を濃縮させた様な音が、じんわりと音楽室に広がる。

その余韻を十分に感じてから、私は深く深く、息を吸い込んだ。



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