彼と彼女の純情事情
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――――正直、その後の事なんて何も考えていなかった。
授業開始2分前に戻ってきた私達をまず迎え入れてくれたのは、"視線"だった。
2分前だけあり、大半の生徒が模範的に席についていた。
その状態で鼻の頭をこちらに向けてくるものだから、ドアに近い手前の女子生徒なんか、首がひん曲がりそうだった。
一瞬注目。直後、教室の喧騒が、波紋みたいに広がっていった。
まるでドミノ倒しみたいに、1人の言葉にみんながバタバタと倒され、共通の空間として繋がっていく。
その中に入れないのは私と菅原くんくらいで、教室はあっという間に私達を孤立させていた。
時々ちらちらと一瞥をくれる生徒もいて、まるで波打ち際に立っている気分だった。
「おい、2人一緒に帰ってきたぞ」
「付き合ってるってガチ?」
「ありえねぇだろみょうじさんだぞ」
「でもみょうじちゃんが菅原くんにひっついてるとこ見た子が」
「俺は駆け落ちしたって聞いたんだけど」
「時代おかしいだろ」
そんな会話が水みたいに耳に流れ込んできて、私は言葉の、物理的な力を初めて体感した。
その一言一言に、泥でも飲まされている様な感覚。
全く何も、考えていなかった。考え付く訳がなかった。
――――本来ならば、考えない方がおかしいのだ。
高校生という、青春に生きる思春期真っ盛りなお年頃が、接点の無い男女の噂話に食い付かない訳がない、ということを。
私達は見事に4組を一本釣りしてしまったわけだ。
結果責任ならぬ、結果困惑。
そうなったときに私が助けを求められる人間なんて、1人しかいなかった。
「……っと」
菅原くん。勿論彼しかいなかった。
苦笑いで彼を見上げると、しっかりと目が合った。
意識伝染。どうやら彼も同じことを考えていたようだ。
助けを求める目線が絡みあっても、そこから打開策とか解決案とか、便利なものは生産されない。
無益な時間から、先に抜け出したのは菅原くんだった。
このままではどうしようもないからと背中が語っていた。
彼は降りかかる喧騒を背景に追いやって、席に着く。
私もあわてて同意すると、机の上に寂しく置かれた弁当をしまって、椅子を引いた。
「ごめんな」と、聞こえた気がした。
***
「菅原ああぁあ!!」
放課後を待ちわびた様に多数の男子が吠えた。
それはまるで仲間を呼ぶ遠吠えのようで、人を人を菅原くんの席に集めてくる。
それはつまり、私の席もそのテリトリーに入ってしまう事を意味していた。
人に囲まれた菅原くんと私は、興味に駆られたクラスメイトの手によって、部活に行く事を阻まれる。
四方八方から飛んでくる言葉は、予想通りだった。
「菅原どーゆーことだよ!?」
「お、お前、どうやってみょうじさんと、つ、付き合っ」
「嘘だよな!!?嘘だろ!!!?」
「ヒデェぞ菅原ぁ!俺と言うものがありながら!!!」
男子なのに女子の様な姦しい台詞が耳につーんと沁みた。
喰らいつく様な言葉の嵐に狼狽する。
確かに勘違いされてもおかしくない行動をした事は認めるが、これはあんまりだ。
振り込め詐欺をしたら振り込まれたのが大きなカブだったみたいな、そんな見返り。
自分に向いた質問攻めではないためまだ耐えられるが、菅原くんはたまったもんじゃないだろう。
輪の中心の菅原くんを背伸びして探すが、目の前の黒い壁に阻まれ、隙間からホクロしか見えなかった。
そして、ふと思う。
――――菅原くんは私と噂になった事、どう思ってるんだろう?
そんな事が頭をよぎった瞬間、遂に、
「だからぁ!!!」
どん。混迷の中から机をぶっ叩いた音が同心円状に響きわたった。
その余韻を拾うように、周りのクラスメイトは不本意ながらも口を噤む。
その菅原くんの口調から見るに怒っている訳ではなさそうだったが、「話聞けよ!」って思いは
此方にまで飛んできて、耳を傾けさせる不思議な力があった。
――――本当はその時、そんな力なんて振りほどいて、人の間を割いて、とっとと部活に行ってしまえばよかったのだ。
「みょうじさんは、俺が困ってるのを助けてくれただけだよ」
嫌な予感は、
「だから付き合ってるとか全然」
徐々に、私を、
「そもそも、」
追い詰め、て
「みょうじさんと俺じゃ、釣り合わないって」
――――気付けば私は、音楽室の前にいた。
どうやってあの集団を抜け出したとか、あのあとどうなったとか、そのあたりの記憶がすっぽりと抜け落ちていた。
でもなぜか、私はそれに疑問を抱く事を規制される。
感情を抱く前に何か別のものに居座られたまま、私は扉に手をかけた。
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