タルタロスも夢を見る

□藍子-RANKO-
番外編
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 繁華な通りを抜け、いっそう夜の色を濃くしたような街の一角に、『BAR-Bacchus(バッカス)』はあった。
 マスターは人を射るような鋭い目をした若い男だが、笑うとまるで印象が変わる。
 静かに飲みたい時などは気配も感じさせず、人恋しい時にはさりげなく傍にいてくれる。話をするとするりと懐に入ってしまうような、不思議な男だ。
 見る度に、髭があったりなかったり、髪が長かったり短かったり色が変わっていたりする。
 そのマスターに、影のように付き従う男がいた。
 スキンヘッドにサングラス。夏でも袖の長いシャツを着ているが、首筋や手首にまでタトゥーが覗く。一際背が高く、無駄のない引き締まった身体はストイックで、無駄口を利かないこの男は、チンピラやヤクザなんて通り越して、任務に忠実なヒットマンのようだった。
 だが話してみると、実は非常に礼儀正しい好青年なのである。
 マスターの名は彪流、彼の忠実な影は“イツ”と呼ばれていた。

 そしてもう一人―――この店にはオーナーがいる。

 六年前、彪流をスカウトし店を任せ、その二年後、転がり込んできたイツを店の二階に住まわせた。
 他にも二軒店舗を持ち、内一軒は自ら切り盛りしている―――『ONYX(オニキス)』の“藍子(ランコ)ママ”といったら、この界隈では知らない者がない。





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―藍子―





 いつもは“酒しかない”というくらい素っ気ない店だが、その日は様子が違った。
 彪流にもイツにも、ましてや客にも似合わないカトレアが、でんと店の真ん中に生けてある―――藍子ママ来店の証であった。

 月に数回、藍子ママは『Bacchus』に顔を出す。決まった曜日や回数はない。
 それは開店前だったり、閉店間際だったり。何の前触れもなくふらりと、嫌がらせかと思うくらいゴージャスな花束を抱えてやって来る。
 手ずから生けて帰るのだが、後日手入れをするのはイツである。この為にイツは、花の扱いを一から叩き込まれた。
 彪流とイツの顔を見てそのまま帰ることもあれば、人待ち顔でカウンターで飲んでいくこともある。

 ―――今日は後者だった。

 店のドアをくぐると、イツがすぐに目配せをくれた。促されて見れば、藍子ママがカウンターで彪流を相手に、琥珀色の濃い酒をストレートで飲んでいた。
 藍子ママは綺麗な人だ。
 今日の藍子ママは、背中の開いた黒のロングドレスを着て、長い髪をアップにしていた。夜会を抜け出して来たような艶やかさだ。大きく入ったスリットから覗く、足を組み替える仕種が目の毒だ。
 先に彪流と目が合った。彪流に耳打ちされた藍子ママはこっちを向くと、顔色も変えずにっこり微笑み、小さく手を振った。

 ……本当に、ここは“バッカス”の名に恥じない、酒豪ばかりが揃った店だ。
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