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□いつの日か、君を僕のものにしてあげる
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あの子が、自身の肉親であるあの人にあんな風な目をするとは夢にも思わなかったのだ。
まだ年端もいかぬ幼い少女。何も知らない真っ白な少女。
だからこそ、あの人にあんな視線を向けるこの子を自身が守ってやらなければいけないと思った。彼女の従者という立場でありながら、そんな勝手な事をすれば守られなければならないその絶対の主従関係すら簡単に壊れてしまうと脳が警戒音を鳴らしても、それでも、自身が阻止しなければならないと、そう思ったのだ。
「あの子に、近付かないでください」
荒い靴音を響かせたルカは何のためらいもなくその部屋にノックもなしに入り込み厚い革で出来た椅子に座るジョーリィにそんな言葉を吐いた。
この人の私室なんかをまさか自身の意思で訪れよう日が来ようとは。
部屋の主は何食わぬ表情で葉巻の煙を吐いた。
紫煙が部屋にふわりと昇りいつしか見えなくなる、空気の循環を行う事を知らない部屋は酷く淀んでいるようにも思う。
「クックック…、何を慌てている?」
「っ、」
サングラスの奥の瞳は遊びを覚えた子どものように楽しげだ。
銜えていた葉巻の灰を皿に落とすとジョーリィは大して見てもいなかった書類を机上に放った。
「…何か吐き違えているように、私には取れるな」
「…………」
「“近づくな”か、私は何もしていないだろう。あのお子様が、勝手に私の周りをうろついているだけだ」
迷惑しているのだよ、と付け足すように言葉を繋げジョーリィは上質な革に身を落とす。
少しの沈黙の後、口を開いたのはルカだった。
「………、お嬢様の意志が、時折私ではなく貴方を捉えているんです」
「それはそれは、」
滑稽だ、とでも言いたげにジョーリィは眉を下げる。
そんな侮蔑を感じさせる仕草にルカは正直に怒りを露わにした。
普段、感情を大きく表に出さないルカの眉間に小さな皺が寄る姿にジョーリィは口角を上げずにはいられない。
子どもらしい、姿じゃあないか、と。
姿形ばかりが大きくなっているように、ジョーリィには見えるのだ。
身体と精神のバランスが非常に曖昧でサカイメが混濁しているように映る。
私の子にしては、不出来だと、そう思わなくもない。
「貴方には、あの子に近付いて欲しくないのです」
絞り出した声にジョーリィは持っていた煙草の先端を灰受けに押し当てた。
ジジジ、と火が強引に消されたのを見やってから、ジョーリィはおもむろに立ち上がる。
ふと、サングラスに映る眩しさに、視線を窓の外に向ければ薄く昇りつつある朝日にジョーリィは息をついた。
視界の下に広がる庭には話の中心である少女の像が飾られており、その像もまた、朝日を浴びてユラユラと輝いているようにも見える。
「ルカ」
窓から目を離し、実験室に向かうべく、ジョーリィはその長い足を運んだ。
部屋に1つしかない扉の前で仁王立ちしているルカの名を呼べば、その視線は真っ直ぐにジョーリィへと向けられた。
「ならば、お前が引き離せば良いだけの話だ」
「言われなくても、貴方のような人に私の意志で近付けようとは思いません」
「クックックッ…」
愉快な話を聞くときのような音をさせたジョーリィは扉に手をかける。
だが、ルカが戸を握るジョーリィのその手首を握った。
小さく驚きを見せるジョーリィにルカは前腕の2骨を合わせるかのようにギリリと力を加えた。
「貴方に、私の気持ちなんか1つも通じないんですよ」
「………」
「子どもの、気持ちなんて」
何の話をしているのかと思えば、酷く古い話を持ち出しているようで、ジョーリィはその手をすぐに振り払った。
白い手袋はすぐに元の位置へと戻り、拳になった。
キツク握られているのが、布越しにもわかる。
「1つ、良いことを教えてやろう」
「………」
サングラスをかけ直したジョーリィは短く1つの言葉を放った。
朝日が眩しい。
ベッドの中央部には未だ夢うつつの彼女が小さくゆったりとした息を紡いでいるのが分かる。
白い布地に広がる紅色の髪はまるで湖面に広がる波泡のようだ。
この子が、いつか、誰か特定の人を追い求める事を願う自身がいる。
誰かを愛し、愛される事を願ってやまない、だが、あの人だけは、阻止しなければならないと、漠然とそう思うのだ。
「―――――」
起こしてしまわないように名を呼んで、ルカはその愛らしげな耳淵に熱を落とした。
どうか、どうか、愛しい人を探して。
どうか、どうか、早く早く。
息を付く間もなく、きっと彼女は愛獣の鳴き声を頼りに目を覚ますのだろう。
その時は、どうか、いつもの自身で「おはようございます」と、声を出したい。
「―――お前の半分は、私で形成されている」
そんな事実、とっくの昔に周知した物だと思っていたのに、今はただ、自身を形成するその半分が、憎くてたまらないのだ。
-end-(2013.4.5)