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Hephaistion
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Hephaistion



例えば、あなたが盲目ならばあなたの世界に蓋をして――ゼロの世界に住まわせる事ができたのだろうか、とか。

そんな意味の無い事を考える度に脳に広がるのは苦みの電波。













辛かった。


何人(ナンピト)にも左右されないと信じていた“自身”という存在があんな小さなモノに左右されてしまう事が。

心の隙間とでも言おうか、――いや、自身の心には隙間などないだろうからこの場合血中や肺の隙間だ――そんなわずかな空間に忍び込んだ明るみのせいで、自身という回路がまるで海の底に沈んだ船のように動かなくなる。



「……………」



笑みを造る事は器用だったが、笑みを創る手立てを自身は知らなかったのに。


「喜助、笑って?」

「あらあら、笑ってるじゃないっスか」

「―…笑ってないよ、心が閉じたままじゃ人は笑えないのよ?」


人間の存在で、短命の存在で、自身よりもうんと何の経験も犯していない存在で――そんな陳腐な文句を唱える彼女を愚かな存在だと感じた時もあった。

何も知らない無色が奏でる音に意味などないと信じていたのに、何の秩序も乱した事の無い彼女が示す導(シルベ)はいつも自身の知りえない物で――でも、それを感じさせてくれた事に安堵の吐息を漏らす自身もいて――。



いつだったか、嗚呼、そうだ。今日のように風のない日だった。

井草に身体を転がしながら天井の格子を眺めながら彼女に訪ねた事があった。


その行動に意味など無い。

ただ単に、自身の追求心がふいに、首を擡げたまでだ。

布擦れの音をさせながら彼女に向き合い…訪ねてみせた。

頬杖をついて、さも、甘い言葉を唱える時のような空気を纏って。


彼女に訪ねた、尋ねた。









キミの心はどこにあるのかと。










自身のそんな“ふい”に、で片付けられない言葉を聞いて――彼女は、その漆黒の瞳を揺らした。

どうしたのかと・何を言っているのかと、そんな事を言いたげな瞳だったが、そんな音のない物に興味などなく、自身はただ彼女の“音”を待った。

無色で・短命で・儚い程に和らげな彼女が見せる―魅せる―音は何なのだろうかと、自身が柄にもなく聞き耳を立てていたのを今でも鮮明に覚えている。



嗚呼、彼女は――
脊髄と共に中枢神経系をなし、感情・思考・生命維持その他神経活動の中心的、指導的な役割を担う脳を指す、か――

脊椎動物のもつ筋肉質な臓器であり、律動的な収縮によって血液の循環を行うポンプの役目を担っている心臓を指す、か――



見物(ミモノ)じゃないかと、自身は心で嘲笑っていた。

どんな答えを示すか、なんて、そんなモノ――



「心なんて、」

「…」

「心なんて存在しないわ」

「…それは」

「喜助は博識なのに知らないのね、…―」



嘲笑った心を見透かしたように、彼女は小さく笑んだ。

自身はそんな微笑み方を知らない、でも、彼女はいつだってそんな笑みを自身に向ける。

小さな笑みは優しげで温かい。


彼女は自身の手を引いた。

その指先に思わず手を引いてしまいそうになった。逃げてしまいそうになった。

恐ろしい物を見るような目になっていなかっただろうか。

彼女は人間で、短命で、自身よりもうんと何の経験も犯していないのに、一瞬恐ろしく思ってしまった。


自身の考えを一瞬で壊してしまいそうな彼女が怖かった。

 ((怖かった…?))

築きあげてきたものが一瞬でグラつきを覚えてしまうようなそんな気がしたのだ。

 ((グラつきを…?))





彼女に引かれた掌はどこにも連れて行かれる事はなく、ただそこに呆然と佇んでいた。

転がる彼女の身体に掌を開いていれば、彼女も同じように自身の掌と平衡を保つようにしてただそこに佇んでいた。



掌同士を触れるか触れないかの距離に保って。

掌同士を向い合せにして、でも、その掌は触れ合わされることを知らない。





「心はね、喜助。ここにあるのよ」





そういって示した彼女の答えは空気間しか宿らない場所だった。

ほんの少しの掌とほんの少しの掌の距離を彼女は示してそう言った。

まるで、子どもに諭す時の声で、彼女は言った。


「心は…そうね、在ると示すのならば、きっとこの辺りでしょうね」


自身と彼女を隔てる空気間を示して彼女は笑った。

答えなどない問いを彼女は最後まで笑ったりしなかった。


ここに・あるのだと。


彼女はそう言って笑んだ。

ボクを博識だと話した彼女は、ボクにそんな事もしらないのかと飛び笑ったりはしなかった、ただ、淡々とボクの心はここに・あるのだとそう言っては通う空気の流れを見ていた。







「キミの方が博識だ…」

「まさか、ただの言葉遊びじゃない」

「ううん、キミは博識だ。ボクをこんな風な気持ちにさせるなんて」

「どういう気持ち?」

「どうしたら良いのか、自分でも分からない、気持ち」




素直な音が口から溢れ、次の言葉をどうすれば良いのか考えあぐねていれば彼女は言った。



「ふふ、その気持ち、愛に似てるわ」



その声に思わず自身の中のナニカが溢れそうになった。

-end-(2012.4.10)


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