短文。

□たったひとつだけ…【後編】
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「僕はそんなこと一言も言ってなかったのに、どうして千鶴ちゃんが知ってるのかな」

「そ…それは…」

「うん、それは?」


なんとかこのやり取りから逃れたくて、でも一歩後ろに下がると先輩が一歩詰めてきて。
また私が足を動かせば、先輩も近づいてくる。

同じ数だけ繰り返しているはずなのに、リーチの差のせいで徐々に無くなっていく二人の距離。

そして私にとって必死な、先輩にはきっと無意味なこのやり取りは、背中に部室棟の壁が当たったことで終わりを告げた。


「ねえ、千鶴ちゃんがどうして知ってるの?」

「だから、それは…」


もう一度同じことを聞かれて、でもどうしても本当のことは言えない。
私は手にしていた鞄を胸に強く抱き締めた。


「中身のクッキー、美味しかったからお礼を言いたかったんだけど。でも千鶴ちゃんも知らないんじゃ、しょうがないよね」


…え?クッキー?


「トリュフじゃなかったんですか?」


クッキーも候補にあったけど、私はよりチョコレート感を出したくて、トリュフを作った。

もしかしたら同じラッピングをした人がいて、本当に校内に侵入して先輩の鞄に入れたの?

あれ、と先月の自分が作ったものを思い出してみる。
と、信じられない言葉が返ってきた。


「ああ、そうだった。トリュフだったね」


そういえば、と悪びれもなく笑う先輩。
その顔を見たら、さすがの私も気がついた。


「騙したんですか!?」

「騙したなんて、人聞き悪いなぁ。単に思い違いをしていただけだよ」


…うそ。絶対に嘘!

だって分かるんだから!

ずっと先輩に弄られてからかわれて…ずっと見てきた。

だから勇気をだして渡そうとしたのに。

…でも渡せなかった。

手作りが嫌いな先輩に、しかも一粒600円もするようなものと同じものだなんて。

でももう誤魔化すこともできないくらい、追いつめられているのも事実だった。

私は手を離してもらうと鞄の中のペンケースからあのメッセージカードを取り出して、先輩の手の中にある箱をそっと抜き取った。


「…あ、の……沖田先輩…」

「ん、何?」


返ってきたのは、いつもと変わらない、先輩の声。

なんとか顔を上げようとしてみたけど、あり得ないくらい熱くなった顔を見られたくなくてできない。

きっと…ううん。
絶対に知られてたんだ。
どこでバレちゃったのかは分からないけど。


「あの…これ」


差し出したのは薄いピンク包装紙と赤いリボンでラッピングした箱。
それから先月の今日、添えられなかったメッセージカードも。


何か言った方がいいのかもしれないけど、何も言葉が出てこない。


手が震えてる気がする。


でも先輩はいつまでも受け取ってくれる気配がない。


恐る恐る見上げると…。


そこにはなぜか口許を手で隠して声を殺して笑う先輩がいた。


「……どうして笑うんですか…」

「あ、ごめんごめん。なんだか可笑しくてさ」

「…全然誠意がこもってません」


謝られても、結局は面白くて笑ってたのと変わらない。

なんだか泣きそう…ううん、確実に涙声だった。

もうわかりきったことなのに、今更手渡そうとした私がそんなにおかしかった?

でもどうしても直接渡したかった。

バレンタインデーだって、あんな話を聞かなければ頑張って渡してた。

だって、たった一つだけ、特別なものだったから。

でも先輩にとっては私をからかうためだけに確認したかっただけなのかもしれない。
そう考えると悲しくなって、差し出したままだった手を引こうとした。

でも先輩は


「ありがとう」


と、さっきとは違う顔で笑いながら受け取ってくれた。

そして一緒に添えたメッセージカードを見て、ちょっと困った表情を浮かべた。


「これも一緒に入れておいてくれれば、変に悩まなくて済んだのに」

「…悩むって」


先輩が?何を?

私からだと知っていたなら、何を悩むというんだろう。
私にはさっぱりわからない。


「多分千鶴ちゃんからだろうなってわかっていても、確実じゃないからね。あくまで可能性。これでもさっきまで少しは不安だったんだよ」


先輩は受け取った箱を鞄にしまうと、柔らかそうな和紙でラッピングされた包みを取り出した。


「これは僕から千鶴ちゃんに」


手のひらに乗せられたのは、今日という日を考えれば簡単にわかる。



今日はホワイトデー。



お返し、と笑う先輩と掌に乗ったものを交互に見る。

…嬉しい。

直接渡さなければ、メッセージカードも添えなかった。
だから先輩からお返しを貰えるなんて考えていなかった。

何かが欲しくて先輩に贈ったわけじゃないけど、形あるものを返されるのはやっぱり嬉しい。

私は自然と浮かんだ笑みで先輩を見上げた。
頬にまだ残る熱なんて気にならなかった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして」


そう言って笑う先輩は、いつも以上に格好よくて、キラキラして見えた。






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