想いの行方(仮)

□彷徨
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左之さんが言った、『忘れる』という行為が、ひどく不誠実な気がして、できなかった。

命のやりとりをすることもある以上、ずっと考えていることは出来ない。
どうしても、目の前のことでいっぱいになることがある。

でも、よりによってこんな場所で忘れることは、一番してはいけないことだと思うから。


「それは…無理ですね」


多分、左之さんが思っている以上に、僕の中では彼女への想いが占めている。
それは、もしかしたら近藤さんへの思慕の念より大きくなっているかもしれない。

種類は違えど、そんな相手のことを忘れるなんて、僕には無理だ。

ぽつりと呟いた僕を見て、意外そうに目を丸くした左之さんは、ぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。


「がきから一歩成長、ってところか?」

「だから、子供じゃないって言ってるじゃないですか。というか…やめて、ください!」


無駄に頑丈な腕をひきはがしても、すでに遅かった。
適当にでも直そうと思っても、結構ひどくされたせいで結った箇所まで乱れ放題といった、ひどい有様だ。

この髪型には密かな理由があるだけに、さすがに腹が立った。

もう一度結い直そうかと髪を弄っていると、背後から控えめに声をかけられた。


「あの…直しましょうか?」

「え?」


そこにいたのは、この部屋にいたことすら気付かなかった舞妓だった。


「いい。というか、触らないで」


伸ばされかけた手を言葉で遮ると、そんな反応が返ってくるとは思わなかったのか、その舞妓は小さく『すみません』と言って、身を引いた。

また声をかけられるのも面倒だと思い、髪はこのまま放置することにした。
どうせ帰って寝るだけだし、なんだったらここから出た後でもいい。
というか、今すぐ帰りたい気分だし。

相変わらず馬鹿騒ぎを続ける二人に、ここの支払いを押しつけて帰ろうかな、と考えていると、さっきの舞妓がまだそこにいた。


(早くどこかに行ってくれないかな…)


そんなことを考えていると、ふとさっきの言葉に引っかかりを覚えた。


「最近の置屋じゃ、郭言葉も満足にしゃべれない素人を座敷に上げるの?」

「総司、止めろ」


隣から僕を窘める声が聞こえたけど、それを無視して舞妓の方を見る。
そこからは、ひどく驚いたような、怯えたような目が向けられている。
でも、郭言葉も使えないような子供が座敷に上がっていることに、こっちの方が驚きだ。


「いえ、そんなこと、ありまへん…けど……初めてなので…緊張してしまって…」

「ふうん」


驚きはしたものの、拘りも執着もない僕には、特別気にすることでもない。
しつこく絡んでこないだけ、ましだ。

狼狽えすぎて、まともに郭言葉を扱えない様子に完全に興味が失せて視線を戻せば、明らかにほっと胸をなで下ろす気配が感じられた。

客商売なのに、その態度はどうなんだろうか。

そういえば、前は千鶴ちゃんもよくあんな顔をしていたっけ…と、そう遠くない関係の頃を思い出した。

いや。『していた』んじゃなくて、『させていた』なのかな。

その頃と比べたら、今は随分ましな方だ。

ましと言ってもその関係は、小さなきっかけで瓦解ししまいそうな、本当に薄氷の上を歩くようなもの。

千鶴ちゃんの天秤がどちらに傾くのか、沙汰を待っている立場。

…と言うと聞こえはいいかもしれないけど、結局は前と変わらない。
逃げ回られていた頃よりはだいぶ改善されたものの、基本的には僕の一方通行。





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