Short&Middle
□He's first love token
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エマヌエルの視線の先には、何もない地面があった。――否、確かに何も知らない人間から見ればただの地面だったが、よく目をこらせば、何かを掘り返して埋めた後のようにも見える。
既に一時間が経っていた。
にも関わらず、エマヌエルはその場所から立ち去れずにいる。
墓標を立てる事も許されない墓は、一度この場を離れたが最後、二度と在り処を特定出来なくなるに違いなかった。
「……どうするんだ、これから」
唐突に声を掛けられて、エマヌエルは僅かに身体を強張らせた。
鈍い動作で背後を振り返ると、視線の先には見知った薄茶色の瞳が、眼鏡越しにエマヌエルを見据えている。
「……いつまでもここに突っ立ってる訳にゃいかねぇだろう」
続けられる声音には、エマヌエルへの呆れと同情、亡き人に対する弔いの気持ちとが複雑に入り混じっていた。
「……さぁ、な」
短く返されたエマヌエルの声は掠れていて、今はエマヌエルと向かい合う形で立つ人物――ウィルヘルムには上手く聞き取る事が出来なかったかも知れない。が、今のエマヌエルにはそれさえもどうでもよかった。
答えをはぐらかした訳ではない。
本当にエマヌエルには、どうしたら良いのか判らなかった。
動きたくない。
まるで言葉を忘れてしまったかのように、頭の中は白くなっていた。
『――エマ』
白濁した脳裏に、彼女の声が浮かぶように認識出来た。
一昨日まで自分の名を呼んでくれていた、柔らかなあの声音はもう聴けない。
この先、何があっても、その指先が自分の身体をメンテナンスしてくれる事はないのだ。
ひどい喪失感に襲われる一方で、エマヌエルは彼女が亡くなった事をまだ実感出来ずにいた。
自ら彼女を埋葬したのにも関わらず。
母親を亡くした時ってこんな感じだろうか、とエマヌエルはふと思う。
エマヌエルは、母親は疎か、父親の事も知らない。生まれてすぐに孤児院へ預けられ、その6年後、エマヌエルの人生は一変したのだ。
内臓売買を主とする人身売買組織に買い取られ、不要になった身体を兵器開発組織へ転売された。
身体の中から遺伝子、更には記憶までいじられ、元の存在が『何者』であったのか、エマヌエル自身にも判らなくなっている。
失くした記憶の奥底には、自分に何の断りもなく自分の身体を改造した研究者達への憎しみ、怒りとその他ありとあらゆる負の感情が、毎日毎晩途絶える事なく燻っていた。けれども、彼女といる時だけは、不思議とそれを忘れていられた。
彼女と共に過ごす時間に比べたら、逃亡も復讐もどうでもいいと、半ば本気で思っていた節がある。
彼女もまた、研究所から追われていた。
人として、赦されない領域に踏み込んだ研究所の長を諌めた末に逃亡生活を送っていた彼女。
逃亡する者同士が一所に固まる危険を承知してはいたが、いざとなったら守ってやれる、と高を括っていたのかも知れない。
(――……お前を殺したのは…最終的にはオレなんだろうな……)
エマヌエルは、考えるともなく胸の内で呟くと、虚ろに視線を宙へと彷徨わせた。
直接に手を下したのは、確かに組織が送り込んだ刺客だった。
ほんの少し、傍を離れた間の事だった。
酷い――酷い、殺され方だった。
エマヌエルが駆け付けた時、彼女の息は既になかった。
彼女の遺体の側にいた刺客の一人から聞き出せたのは、彼女が最期まで何も語ろうとしなかったという事。