Short&Middle
□一番の幸せ、それは平凡な日常
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「ねぇ。あんたにとって一番の幸せって何?」
「はぁ?」
ヴァルカお得意の『唐突な質問』に、エマヌエルは思い切り形のよい眉を顰めた。
赤ん坊の時に改造手術を受け、幼少期の殆どを戦闘訓練と改造手術に明け暮れた所為か、彼女は未だに世俗慣れしていないところがある。
その為に、様々なことが謎らしい。疑問に思ったら即誰かに訊いてみないと気が済まないようで、いきなり今のように何の脈絡もなく質問をぶつけて来たりする。
それも、大抵が、普通に生活していればごく当たり前の行事に関してだったり、答えにくい哲学的な類の質問だったりするのだ。
「今度はどこで何を吹き込まれて来たんだよ」
「ラジオで流れてたのたまたま聞いたの。『あなたにとって一番の幸せって何ですか?』ていうテーマで投稿募集」
そんなの、ラジオみたいな公の放送でわざわざ訊くほど重要なことなのかなって。と続けるヴァルカに、エマヌエルはうんざりしたと言いたげな視線を隠しもせずに投げ寄越す。
「で、俺もあんたに答えなきゃいけねぇのかよ」
「純粋に疑問に思っただけよ。答えたくなかったら別にいいけど」
選択権を与えられて、エマヌエルは黙り込んだ。
(……一番の幸せ、ねぇ)
そんなもの、とうの昔に奪い取られて久しい。
幸せだったのは、もう遠い過去に思える、孤児院にいたあの頃だ。
隣には、時を同じくして生まれた双子の姉・エレミヤがいた。孤児院の『兄弟』とも言える仲間達がいた。育ての親の神父と修道士、修道女がいた。
毎日が同じような日常の繰り返しで、今の激動のような日々と比べたら恐ろしく平凡ではあったけれど。
でも、その場にいた全員が、毎日笑って、時々泣いたり怒ったりしていて。
ああ、あの頃が、きっと一番。
「……幸せ、だったんだろうな」
「え、何が?」
訊き返されて、つい口に出していたことに気付く。
別に何も、と目を反らすと、ねぇ何が一番幸せなの、と追及される。反らせた視線を合わせるように覗き込んで来た彼女の顔に、エマヌエルは不意に自分の顔を伏せた。
彼女の目が見開かれるよりも早く、無防備なその唇に、自分のそれで蓋をする。彼女が我に返る前に、一瞬でそれを離したエマヌエルは、ニヤリと笑って舌を出した。
「この瞬間が一番かな、今は」
「え、あ、ちょ」
反撃体勢を整えられない内に、エマヌエルは素早く立ち上がって距離を取った。そのまま回れ右して廊下へ駆け出す。
待ちなさい! と珍しく顔を赤くさせた彼女が追い掛けて来る気配を背中に感じながら、さてこの後どう機嫌を取ろうかと考える。
いつの間にか『普通』になった緊張状態の中、ふと訪れる、平穏と錯覚するこんな瞬間が、いつか永遠に続く『日常』になる日が来るのだろうか。
いや、そんな日は来ない、とエマヌエルは即座に胸の内で否定した。こんな身体である限り、自分もヴァルカも、自らの意思とは無関係にいつだって狙われているのだ。死にたくなかったら、戦って退けるしかない。
けれども、少しでも長くこの取り留めのない緩やかに流れる時間が続いて欲しいとも思う。
平凡な日常とは、幸せの最高形態なのかも知れない。
戻らない過去に焦がれて捩れそうになる前に、エマヌエルは考えるのを止めた。
照れに逆上したヴァルカに、甘い報復を食らうのは、少し先のこと。
(fin) 初出:2012.11.09. サイトup:2013.01.23.