Short&Middle

□その髪の理由
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「エマー。いる?」
 病室の扉をノックして数秒。
 室内からの返事はない。部屋の主がいない、と判断すると、ヴァルカは遠慮なく扉をスライドさせた。
 案の定、そこは蛻の殻だった。
「脱走……てコトはない、わよね」
「誰が脱走したって?」
 顎に親指を当てて覚えず呟いた瞬間、背後からその呟きを拾われてヴァルカは飛び上がりそうになった。声を掛けられるまで気配に気付けない相手など、ヴァルカにとっては限られている。
 振り返ると、そこには予想と違わぬ相手――エマヌエル=アルバが立っていた。ただ無造作に立っているだけに見えるその姿には、一分の隙もない。
 ヴァルカから一メートルほど間隔をあけて立っている少年は、相変わらず綺麗だった。
 烏の濡れ羽とも極上の黒真珠ともつかない見事な黒髪は、下ろせば肩胛骨の間くらいの位置に毛先がくるほどの長さがある。その長い髪は、今日はうなじよりもやや高い位置で無造作に結い上げられていた。深海の群青色をした瞳は、やや切れ長気味の目元が具合良く縁取っている。端正に通った鼻筋と薄く引き締まった唇が、共に逆卵形の輪郭に品良く収まっていてすっきりとした美貌と言っていいだろう。均整の取れた小柄な体躯は、少女と言い切るには若干ラインの柔らかさに欠けるが、それにしても男にしておくのは勿体ない。
 けれども、残念なことに、その表情はどちらかと言えば不機嫌に近い。
「……何かあったの?」
 眉根を寄せて問えば、別に何もない、とやはり不機嫌そうな声音が返って来た。
「それよりそこ、通してくんない? 邪魔なんだけど」
「あ、ごめん」
 投げ出すような口調に、ヴァルカは気を悪くするよりも先に、素早く道を空けている。考えてみれば、彼が愛想良くにっこり笑って誰かと会話をするところなど、見たことがない。――尤も、想像も出来ないが。そんな日が来たとしたら、それこそ天変地異の前触れだ。
 しかし、ヴァルカと話す時でさえ、最近は無表情だった。
「……で、何か用?」
 室内に数歩足を進めたエマヌエルが、顔だけ捻るようにしてヴァルカに視線を向ける。
「あー……うん、用っていうか……ギプス、今日取れるって聞いたから」
 よく見ると、彼女は両手に抱き締めるようにして何か荷物を抱えていた。茶色い紙袋に纏められたそれは、外からでは中身は判別できない。
「ああ。さっき取って貰って来たとこ」
 ようやく自由になった右腕を上げて、ひらひらと手を振って見せる。
 先日、ある一体のヒューマノティックと戦った時に、エマヌエルは又しても重傷を負っていた。内訳は、右肩脱臼に、右脇腹異物貫通、それに伴う出血多量。そこにいるヴァルカの援護と、もう一人、いけ好かない検死官の元医師としての優れた腕がなければ、志半ばにしてあの世往きだったのは間違いない。
 救って貰ったのだから素直に感謝すべきところだが、何だか面白くなかった。特に、医者の方に対しては、素直に感謝するどころか、腹立たしいものさえ感じる。
 それはそのまま、自分の力量不足と、それが原因で不本意ながらも彼女らに協力しなければならなくなったことへの苛立ちなのだが、エマヌエル本人にその自覚はない。だから、自然周囲には『不機嫌』とか『無表情』と取れる態度になってしまっていることにも気付いていなかった。

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