箱庭恋歌

□第一章; 敗北
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 そこからは言うまでもなく持久戦だった。

 ……まあ、熾仁との婚約が向こうの思惑通り破談になった時から、あたしとしては長期戦は覚悟してたけど、そのしつこさたるや、スッポンも恐れ入るのではないかという凄まじさだった。
 と言っても、あたしと江戸からの使者が直に会う事は一度もなかった。ただ、毎日懲りずに……と言うより止むなく通ってくる御所からの使者の疲労度合いから幕府の鼻息の荒さが垣間見えるのだ。
 
 ……しかし、あたしと御所からの使者との一種不毛にも見える戦いの火蓋が切って落とされた当初こそ、それこそ日長一日言い争い――と言うよりもあたしが一方的に拒絶の意思を捲くし立ててたものだったけど、それにも些か飽きたというのは唯一お互い共通した意見らしくて、最近では言わずとも判り切った用件を言わずに黙って座り続ける使者と、これまた言わずとも判り切った拒絶の意を口に出さずに黙り込むあたしの無言の攻防に発展している。
 朝早くからあたしの住む桂御所に訪ねて来て日が暮れるまで座り続けてる使者に罪はないのは判っているし、自分の意思とは無関係に差し向けられる使者の境遇と心中には同情もするけど、あたしにだってあたしの意思があるのは幕府側にも認めて欲しいところだ。
 他の事ならともかく、結婚なんて自分の生涯を左右する人生の一大行事なんだから、お国の一大事ですから一度決まってた結婚を蹴って下さい、なんて言われてハイそうですか、と従う女が何処の世界にいるってのよ。
 それとも皇族の姫宮なんて周囲の指示にホイホイ従ってるだけの人形だとでも思ってンのかしら。だとしたら全くとんでもない勘違いだわ。

「……宮さん。その……今日もいつものお客さん来やはりましたで」
 朝の手水を終えたあたしの所へ、おたあ様がいつものように遠慮がちに、しかし些か『うんざりだ』という心情を声色に滲ませて声を掛けて来た。
 いい加減うんざりしているのは、何もあたしだけではない。
 はっきり言ってしまえば、もう桂御所の全員――上はあたしから下はお端の女官まで――がうんざりしているのだ。
 いっそのこと、抜き打ちで縁の尼寺に駆け込んで髪を下ろしちゃおうかしら。
 それだけ嫌がってるって判れば幕府も引っ込んでくれるかも知れないけど、事ここに至るまでの幕府の執念を考えると今度はお金を積んで還俗しろとか尼寺まで押し掛けて来かねない。
「……もう今日はほっときましょうよ。毎度毎度顔合わせて黙りも飽きて来たわ。今日からあたしは使者の前には顔出さないから、悪いけどそう伝えて」
 溜息混じりに藤に向かってそう言うと、おたあ様がいかにも言いにくそうに口を挟んで来た。
「……それがな、宮さん。その……今日はいつもの女官さんだけやないんや」
「え?」
 いつもの女官だけじゃない?
 どういう意味だろ。
 しかしそれをおたあ様に質す必要はなかった。
 疑問に対する『答え』が自分からやってきたのだ。
 廊下を歩く衣擦れの音と、女官が口々に「お待ち下さいませ」「どうかあちらへお留まりを……」なんて言う声が微かだったものが徐々に近付いて来る。
 女官の制止を見事に無視したらしいおたあ様の言うところの『御所の使者に従いてきたらしい客』が、後続の女官より一歩早くあたしの部屋の前の廊下に姿を現した。
「先触れもなく御前失礼致します。宮様のお部屋はこちらか」
 ちっとも失礼だと思っていない口振りで現れたのは、おたあ様よりも二十は年輩の女性だった。髪型から一目で武家の人間だと判るその女性は、こっちの返答も待たずにさっさとその場へ居住まいを正してしまう。
 武家の人間ってどうしてこう誰も彼も無礼な人間ばっかりなんだろう。

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