箱庭恋歌

□第二章; 初対面
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 感情はどうあれ正式に将軍・家茂との婚約が決まったあたしは、文久元(1861)年十月下旬に京都を発った。
 江戸に着いたのは十一月の半ばだったけど、その後色々公式の事務手続きがあったらしくて、実際にあたしが江戸城に足を踏み入れるのは十二月も十日を過ぎた今日が初めてだ。

 中庭に面した廊下から見える冬の空は小春日和と呼ぶに相応しい青に染め上げられている。
 都でも江戸でも、見える空の色や様子は何も変わらない。

「――……ま…宮様?」

 ふと足を止めてぼんやり空を眺めていたあたしは、先導の女中の声で我に返った。

「和宮様。如何なされました?」
 型通りに伺いを立てる言葉を掛けながらも、目の前の女中の顔には『別に貴女の心配なんてしていないけど、ボーッとしてられると困るんだよ』とデカデカと書いてある。
「あ……いえ、別に何も」
 だから、あたしも愛想笑いを浮かべる事もせずに淡々と答えてやった。
 江戸城内の女中と来たら、階級の上下を問わずまるで表情がない。感情がないのかと言ったらそうではなくて、出世欲にギラギラしてるのがありありと見えるけど。結局意地汚いというか、嫌らしいというか……こんな中に放り込まれたら、確かに公家出身でもがっついて嫌味にもなるだろう。なまじ、相手や場の空気なんて読んでいたらやってられない。公家出身だからこそ変わらなければならなかった大叔母様に、あたしは今更ながら同情の念を禁じ得なかった。
「それではまずこちらへ。上様がお待ちでございます」
 先導の女中も相変わらずにこりともせず、事務的に襖に手を掛けた。
『上様』――将軍・家茂(いえもち)。
 あたしと同い年のこの国の最高権力者が、女中が開けた襖の奥に座していた。
 襖の開く乾いた音に、その顔がゆっくりとこちらを向く。
 烏帽子・直垂に身を包んだその容姿は、意外な程整っていた。
 武家の男なんて、みんなむさ苦しい荒夷だとばかり思っていたのに、目の前の男は見事にあたしの先入観を吹っ飛ばしてくれた。
 烏帽子の下からわずかに見える漆黒の髪。
 通った目鼻立ちと切れ長の目が逆卵形の顔の中に品良く収まっているのだけでも『端正』の一言に尽きるその容貌の中で、特に印象的なのは涼やかなその瞳だった。

 ――綺麗な、瞳。

 数瞬、あたしは状況も忘れて吸い寄せられるようにその瞳をまじまじと見つめてしまった。
 視線と視線がぶつかって、一瞬時が止まったような錯覚に襲われる。
 どうにも肩透かしを喰わされた気分になって拍子抜けしながら、あたしは家茂の正面に用意された敷物へ歩を進めた。

(……何か、完全に一杯喰わされた気分ね……)

 政略の為にしゃあしゃあと婚約破棄を請求する連中の大将がどんな男かと思ったら。

(結構、整った顔立ちよね……)

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