箱庭恋歌

□第三章; 揺れる想い
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 政治的行事の前に個人感情なんて配慮はされない。

 重々解っていたつもりだったけど、江戸城に初めて入った日にそれを再確認させられたあたしは、婚礼の日まで居室から外へ出る事をしなかった。
 何をする気にもなれずに放心状態でいた事が一つと、室外へ出れば寄ると触ると武家側の人間と摩擦が起きたからだ。
 主人であり、皇女でもあるあたしと違い、都から伴ってきた使用人である侍女達は、都と江戸との温度差に驚こうが失望しようが放心して引きこもっている訳にもいかない。
否応なく部屋の外へ出て仕事をこなす事を余儀なくされている訳だが、部屋の外へ出れば、当然江戸城内に以前からいた女中達と顔を合わせる事もある。
 一日が終わる度に侍女達からやれ今日は何をされたの、こんな侮辱を受けたのと報告を受ける――というよりもグチを聞かされていれば、いかに幕府側にこちらの言い分が通っていないか判ろうと言うものだ。
 江戸城に入ってから婚礼までおよそ二ヶ月の間があったが、その間勿論夫となる家茂と顔を合わせる事はなく、あたしの気分は順調に下降の一途を辿っていた。
 別に家茂が機嫌伺いに来ないのが不満という訳じゃない。
 今の武家社会に皇族への礼儀がないのは、残念ながら一日も経たない内にイヤという程思い知らされたのだ。今更常識は期待しない。
 じゃあ何が憂鬱なのかというと、この調子であたし本当にどうしても嫁いで来ないといけなかったのかしらっていう疑問が日増しに大きくなるのが不愉快なだけよ。
 絶対イヤだって何度も言ったのに、武力チラつかせて挙げ句こっちの身内全部人質に取ってどうしても何が何でも嫁に来いっていうから、都からわざわざこんな遠い所まで来てやったのよ。
 最低限これだけは守って頂戴って言う五項目の条件付きでね。
 でも、既にその内の一条、『江戸城内に於いてもあたしの身辺は万事御所風の事』――つまり、『御所の常識』であたしは扱われなければならないのにそれがもう守られていない。
 この分じゃ残りの四ヶ条も守られるかどうかかなり怪しい。ていうより守られる事はないと思っていいだろう。
 だけど、あたしの事だけならまだいい。
 あたしが我慢すれば済む話だからだ。
 でも、異母兄様と幕府が交わした攘夷の約束まで違えられては、その約定と引き換えにこんな所までノコノコやって来たあたしの立つ瀬がない。
『必ず攘夷を実行します』という約束の下に、あたしはいわば『お礼』としてどうしてもあたしを欲しいという幕府に差し出されたのだ(尤も、そう捉えてるのは異母兄様ではなく周りの側近共だけど)。
 ならば、必ず約束は果たして貰う。
 見てなさいよ、野蛮人達。

 このまま泣き寝入りすると思ったら大間違いなんだからね。







 明けて文久二(1862)年二月十一日。
 あたしが江戸城に入ってから丁度二ヶ月後、あたしこと皇妹・和宮親子内親王と将軍・徳川家茂の婚儀が江戸城内にて執り行われた。

 家茂と顔を合わせるのも丁度二ヶ月振りになるが、この男はお式の間中、隣に座っていてさえやはり目を合わせようとしなかった。
 本当になんてイヤミな男なんだろう。
 こんな男と一生添い遂げなきゃなんないなんて……。
 あのまま何事もなければ、去年の冬にあたしは有栖川宮熾仁親王妃になっていた筈なのだ。
 恋した男性と穏やかに暮らす、熾仁の妻としての穏やかな日常。
 理不尽な横槍に因って遂に来る事のなかった未来をつい思い描いてしまい、あたしはお式の途中だというのに危うく物憂げな溜息を吐きそうになるのを懸命に堪えた。

 しかし堪えていた溜息は、一番避けたい行事を前には抑えようもなかった。

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