箱庭恋歌

□第一幕 降り懸かった理不尽
2ページ/3ページ

 熾仁も入ってきた室内に腰を下ろした実麗伯父様は、藤が出してくれたお茶に手を付けることなく、どっと疲れたような口振りで手にした勺(しゃく)を口元に当てた。
「そもそも、公武一和の為に、公方(くぼう)さんと天皇家の姫宮さんとを娶(めあわ)せるいう話が出た時は、何も和宮さんをいう話やなかった筈なんや」
 伯父様の話によると、『公武一和』というのは『公武合体』とも呼ばれている幕府の政策のことだそうだ。その名の通り、公と武、つまり天皇家と将軍家を一緒にする事によって天皇家の威光を借り、失墜(しっつい)した権威を何とか持ち直そうというのが幕府側の思惑らしい。
 それは別にいい。
 政治を執(と)る身としては幕府も必死なんだろうから、好きにやったらいいと思うんだけど、問題はそこじゃない。
「だったら、どーして今更あたしに白羽の矢が立っちゃった訳!?」
 そう。
 問題は――あたしにとっての問題は正(まさ)にそれなのだ。
 そもそも、約二百六十年も前に――というか、武士が朝廷から政権を取り上げたのは江戸幕府成立よりももっと前なんだけど、とにかく随分昔に朝廷と貴族を政治から引き離しておいて、自分が困ったらニコニコすり寄って来て仲良くしましょうってちょっと違うんじゃないの?
 ……百歩譲って『困った時はお互い様』とか言うんならそういうことにしておいてもいいけどさ。でも……。
「その通りや、兄さん。第一、宮さんには既に熾仁親王さんいう許婚(いいなずけ)があらしゃいますのに……」
 その場にいたおたあ様(つまり、あたしの母親)が、見事にあたしの内心を代弁してくれる。
 そう。そうなのだ。
 あたしが問題にしているのもつまり、『婚儀も目前に迫ったこの期に及んで何を血迷ってるのか』っていうことなのよ。
 眉根を寄せたあたしとおたあ様に、負けず劣らず渋くなった表情を崩さないまま、伯父様が溜息と共に答えを口に乗せた。
「今の天皇家に適齢の姫宮さんが他にいてへんからや」
 ……はい?
「和宮さんの他と言えば、宮さんの異母姉に当たられる敏宮(ときのみや)さんと当今(とうぎん)さんの姫宮であらせられる寿万宮(すまのみや)さんやが、敏宮さんは既に三十路(みそじ)を超えてはるし、寿万宮さんは去年お生まれにならしゃったばかりの赤ん坊や」
 ちなみに敏宮の異母姉(あね)様は、別に嫁(い)き遅れて独身、という訳ではない。異母姉様は、十一歳の頃婚約した方がおられたのだけれど、婚約の翌々年、お相手の方が逝去(せいきょ)なさったので、以来ご結婚なさらず独身でおられるというだけの話だ。
 一般人なら、妙齢になったら他に改めて良いお相手を探して結婚するのだろうけれど、皇族の『婚約』というのは結婚と同等の意味を持っている。婚約後、正式に夫婦になる前に相手に先立たれても、その後他の相手と結婚するということはまず有り得ない。
「一方の現将軍・家茂(いえもち)さんは当年和宮さんと同じ十五歳。年齢も釣り合うから、熾仁さんとのお話はなかったことにして早(はよ)うご降嫁(こうか)あれ、というのが幕府の官僚方の言い分や」
 ……何なのよ、ソレ。
 年齢が釣り合うから、一度は幕府(そっち)も認めた結婚話をなしにして早く嫁に来い?
 随分一方的な話じゃないの。
 そもそも年齢が釣り合えば誰でも良い的なその言い方って何なのよ?
「……それで異母兄(あに)様……いえ、主上(おかみ)は何て……?」
 そう、異母兄様さえお断りになって下されば、この問題はそれで片が付く筈。
 あたしは、わらにも縋(すが)る思いで、伯父様の顔を見た。
「勿論、有栖川宮さんとのお約束はもう十年前からのことやし、お式の時期も内定済みやと、斯様(かよう)にお断りにならしゃいました」

次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ