箱庭恋歌

□第三幕 大奥へ
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 何だって、あたしがこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。本気で理不尽だ。
 あれから――熾仁との婚儀がダメになってから、本当に幾度となく考えたことが、無限の輪のように今も頭を巡る。
 到底納得できないながらも、正式に将軍・家茂との婚約が決まったあたしは、文久元(一八六一)年十月下旬に京都を発(た)った。

 本当は嫌だった。心底、屈したくなかった。
 住み慣れた京を離れるのも、熾仁と別れて他の男に嫁ぐのも。そこに、政治的な思惑が絡んでるっていうのも本当に気分が悪い。
 一番悲しかったのは、やはり熾仁と引き離されたことだ。
 悲しいっていうより、悔しいっていうか……いや、どんな言葉を使っても適切な表現にはならない。
 片想いだった男性(ひと)に、最後まで想いが通じなかったのとは全然違う。
 相思相愛だったのよ。なのに、政治的に必要だから別れて下さいって、どういう神経してんのよ、有り得ない!!
 訳が分からない焦燥に、胃が捩れて、頭の芯がねじくれそうだ。
 今からだって、可能なら輿を飛び降りて熾仁の所へ駆け出したい。
 けれども、そうしたら熾仁は『将軍の婚約者』を奪ったかどで、処刑されてしまうかも知れない。そんなの、あたしの想いを引き裂かれることよりも耐えられなかった。
 どんな形であっても、生きていればまた逢える。
 そう自分に言い聞かせて、駆け出したい衝動をようやくねじ伏せる。

 それなのに、随行した側近にすれば、あたしと熾仁の関係は『既に終わったこと』だというのがまた腹立たしかった。
「よろしゅうございますか、和宮様。貴女様のご使命はただ一つ。将軍に、攘夷を実行させることでございます」
 その筆頭が、この庭田嗣子(にわたつぐこ)という女性だった。
 先の帝である仁孝天皇、こと、あたしのおもう様(要するにあたしの父)の典侍(ないしのすけ)だった女性で、おもう様が亡くなってからも宮中に残って、後進の女官の指導を担当していたらしい。
 あたしは、生まれる前におもう様が亡くなって、宮の外で生まれたから、宮中に上がったのも、江戸に下る前に内親王の位を授かる為に、正式な手続きをした時が初めてだ。つまりそれが、彼女とあたしの初対面(はつたいめん)だった。
 ちなみに、典侍というのは、宮中の女官職の一つで、帝の側室予備軍でもあったらしいけど、庭田嗣子がどうだったのか、あたしは知らない。
 とにかく、この庭田典侍は、あたしが降嫁する交換条件である、『幕府に攘夷を実行させる』という使命を果たすことに、燃えに燃えているのだ。
「将軍は、宮様よりも格下。つまりは、臣下でございます。それを、ゆめゆめお忘れなさいませぬよう。そして、江戸に到着しましたら、何が何でも攘夷実行を確約させるのです。よろしいですか。夫婦というのはあくまで形式上だけのものです。決して将軍にはお心をお許しなさいませぬよう――」
 ただでさえ、熾仁との別れに意気消沈してるあたしとしては、道々延々と続くこの結婚の意義講義には辟易した。
 恋人と引き裂かれて傷心中なんだから、せめて江戸に着くまでの間くらいは、熾仁との思い出に浸らせて欲しいわ。それで、気持ちの整理が付くかといえば、簡単じゃないけど……。

 それに、あたしだって、男女として徳川家茂とどうこうなる気は更々ない。身体はこうして江戸に赴くことになってしまっても、心だけは永久に熾仁のモノだ。
 それが、理不尽にあたし達を引き裂いた幕府への、せめてもの意趣返しで、あたしができる唯一で精一杯の抵抗なんだから。
 そんなことを、悶々と考えながら、ふと視線を上げた時。
(あ……あんな所にもみじ)
 その先に、川に張り出した枝が燃えるように赤くなっているのが見えた。
(そう言えば、何年か前に、熾仁ともみじ狩りに行ったっけ)

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