箱庭恋歌

□第三幕 大奥へ
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 楽しかったなぁ。
 辺り一面にもみじが積もってて、赤や黄色で敷き詰めたみたいになってたっけ。すごく綺麗だったのを覚えている。
「……落ちて行く、身と知りながらもみじ葉の、人なつかしくこがれこそすれ」
 悲しいのと悔しいのと、熾仁への恋しさが一緒くたになった歌が口を突いて、尚更惨めな気分になる。
 天皇家から、臣下の筈の将軍家へ。京の都から江戸へ。
 今のあたしは、二重の意味での落ち人だ。
(ううん、三重かも)
 熾仁の元から……顔も知らない、他の男の所へ。
 人知れず、盛大な溜息を一つ吐いて。
 あたしは、江戸への道行きを輿に揺られていた。

 ***

 一ヶ月弱の旅路の果てに、江戸に着いたのは十一月の半ばだった。
 けど、その後色々公式の事務手続きがあったらしくて、実際にあたしがこの江戸城に足を踏み入れたのは、十二月も十日を過ぎてからだ。

 中庭に面した廊下から見える冬の空は、小春日和と呼ぶにふさわしい、薄い青に染め上げられている。
 都でも江戸でも、見える空の色や様子は何も変わらないようだ。

「――……ま……宮様?」

 ふと足を止めてぼんやり空を眺めていたあたしは、先導の奥女中の声で我に返った。
「和宮様。如何(いかが)なされました?」
 型通りに伺いを立てる言葉を掛けながらも、目の前の女中の顔には『別に貴女の心配なんてしていないけど、ボーッとしてられると困るんだよ』とデカデカと書いてある。
「あ……いえ、別に何も」
 だから、あたしも愛想笑いを浮かべることもせずに淡々と答えてやった。
 江戸城内の女中と来たら、階級の上下を問わずまるで表情がない。感情がないのかと言ったらそうではなくて、出世欲にギラギラしてるのがありありと見えるけど。結局意地汚いというか、嫌らしいというか……こんな中に放り込まれたら、確かに公家(くげ)出身でもがっついて嫌味にもなるだろう。なまじ、相手や場の空気なんて読んでいたらやってられない。公家出身だからこそ変わらなければならなかった大叔母様に、あたしは今更ながらに同情の念を禁じ得なかった。
「それではまずこちらへ。上様がお待ちでございます」
 先導の女中も相変わらずにこりともせず、事務的に襖(ふすま)に手を掛けた。
 『上様』――こと、将軍・家茂(いえもち)。
 あたしと同い年の、この国の最高権力者が、女中が開けた襖の奥に座していた。
 襖の開く乾いた音に、その顔がゆっくりとこちらを向く。
 烏帽子・直垂に身を包んだその容姿は、意外な程整っていた。
 武家の男なんて、みんなむさ苦しくってごつい男ばっかりに違いないと思っていたのに、目の前の男は、あたしの先入観を見事に吹っ飛ばしてくれた。
 烏帽子の下からわずかに見える漆黒の髪。
 通った目鼻立ちと、切れ長の目が、逆卵形の顔の中に品良く収まっているのだけでも『端正』の一言に尽きるその容貌の中で、特に印象的なのは涼やかなその瞳だった。
 極上の黒曜石をはめ込んだような、それでいて透き通るような瞳。
 数瞬、あたしは状況も忘れて、吸い寄せられるようにその綺麗な瞳をまじまじと見つめてしまった。
 視線と視線がぶつかって、一瞬時が止まったような錯覚に襲われる。
 どうにも肩透かしを喰わされた気分になって拍子抜けしながら、あたしは家茂の正面に用意された敷物へ歩を進めた。
(……何か、完全に一杯喰わされた気分ね……)
 政略の為に、しゃあしゃあと婚約破棄を請求する連中の大将が、どんな男かと思ったら。
(結構、整った顔立ちよね……)
 そりゃあ男は顔じゃないし、あたしは特に面食いだという自覚もない。それに心は他の男性のものだけど、女としてそれとこれとは話が別だ。
 好奇心で、扇の蔭からチラリと目だけを覗かせて、改めてその容貌に視線を走らせると、再度合ったと思った目はフイと反らされてしまった。

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