箱庭恋歌

□第三幕 大奥へ
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(――感じ悪っっ!!)
 第一印象最悪ね。
 顔だけ男だなんて、やっぱり武家の人間の大将やってるだけあるわ。こんな男が生涯の伴侶だなんて――。
 その場で思い切り溜息を吐きたいのを何とか堪(こら)えて、家茂との対面の儀を終えると、その部屋を出てまた中庭に面した廊下を先導の女中の後について歩く。

 建物の様式も、都と江戸では全く違う。
 都の、桂御所は、どちらかと言うと優美さを追求している印象だけれど、江戸城はひたすら実用的。
 都の建物様式に慣れたあたしの目には、それが何だか素っ気なく、冷たく映って、不意にまた、泣きたい気持ちにさせてくれる。
 涙を呑み込むように、扇の陰でこっそり深呼吸すると、すぐ後ろを歩いていた藤が、気遣わしげな視線を投げて寄越すのが解った。
 あたしが藤に向かって視線だけ投げ返して前に向き直るのと、先導の女中が腰を屈めて新たな襖を開くのとはほぼ同時だった。
 「こちらへ」と女中が指し示す部屋の中へ足を踏み入れる。
 今日の行事は取り敢えずこれで終わりだ。
 先代御台所(みだいどころ)――つまり、先代将軍・家定(いえさだ)公の正室であり、あたしの夫となる家茂の義母である、天璋院(てんしょういん)との対面が今日最後の行事。
 顔立ちは凡庸でありながら、どこか凛とした空気の持ち主である彼女は、部屋の奥に座してあたしを迎えた。
 あたしの後ろを歩いていた藤が前に進み出てあたしの手を取り上座へ導く。
 あたしもごく自然に従った。
 何の疑問も持たなかったのだが、そこへ先導の女中が割って入った。
「宮様! 宮様のお席はこちらでございます」
 『こちら』と言って女中が指し示したのは、敷物も敷いていない下座の席だった。
 ……あたしに――先帝の内親王であり、今上帝(きんじょうてい)の妹たるこのあたしに、畳の上に直に座れって言うの? しかも下座に!
 そう思った瞬間、頭に血が上ったけど、「どこまで侮辱すれば気が済むのよ!?」と怒鳴り散らすことだけは辛うじて実行に移すのを思い留まった。
「無礼な!」
 だが、あたしの代わりに爆発した者がいた。
 江戸下向に伴って、新しく傍に付いてくれた、庭田嗣子典侍だ。
「和宮様に、下座へ着けと申すのか!?」
 居丈高に叫んだ庭田典侍に、その場に居並んだ女中達は、にわかに表情を険しくさせて腰を浮かせる。しかし、彼女らを制して静かに答えたのは、意外にも天璋院本人だった。
「何か、不都合でも?」
 下手をすると、無反応に近い天璋院に対して、庭田典侍は公家の威厳を示そうとするように、肩をいからせる。
「当然であろう! 宮様ご降嫁に当たり、幕府に遵守するよう提示された五箇条を、よもや忘れてはおるまい。その内の一条には、『何事も万事御所風のこと』とある。つまり、宮様は御所の常識で扱われねばならぬ。そなた達は臣下ぞ。臣下が主の上座に着くとは、何事だ!!」
 これだけ噛み砕いて丁寧に説明すれば、どんなバカでも分からない筈はない。次の瞬間、当然天璋院が無礼を詫び、あたしに上座を譲るものと思っていた。庭田典侍もそうだったに違いない。
 けれども、またも予想外の返事が返って来た。
「ここは、大奥です」
「何だと?」
「その約定に関しては、確かに存じております。ですが、わたくしは委細承知したとは申しておりません」
 穏やかに、だが、反論を許さない口調で、天璋院が続ける。その静謐な色を湛えた瞳が、庭田典侍ではなく、まっすぐにあたしを見据えた。
「事情がどうあれ、嫁して来た以上、それなりの覚悟はおありの筈。そなたも、嫁入り先にあれこれと条件を付けるなど、ただの甘えだと知りなさい。郷に入りては郷に従えとも申しましょう。ここは、武家を統括する将軍家の棲む城。そなたも申したき儀があれば、侍女に頼まず、ご自分の口で申されては如何ですか」

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