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「…おい根元」

A組の教室は他の組に比べ一種独特の雰囲気を有している。今日のこの休憩時間は数学の小テストを控えそれぞれ復習にいそしんでいるが、平時でもその雰囲気は保たれている。偏に彼がいるからだ。
跡部景吾が周囲に及ぼす影響を数え上げればきりがない。彼へ向かうもの、渦巻く数多の感情が導線のように束になり、纏わりついている。蛇のようにとぐろを巻くそれを、重たいとは感じていないようだった。むしろ、それを纏えば纏うほど彼は飾られていき、より一層高貴な存在になるようだった。まるで鎧だ。閉じ込められるかわりに絶対の安全が保障された籠のインコのように、枷になりうる錘を盾にする。彼はそれを平然とやってのける。生きてきた環境下で自然と身に付いたのか、そうあるべきと考えた結果なのかは彼にしか分からないところだが。
そんな彼が一人の女生徒に声をかけた。それも今まで何ら接点もなかったであろう彼女にだ。教室中の女生徒達が、根元千聖の情報を瞬時に抽出する。これといってめぼしいものは浮かばなかったが、強いて上げるならば、生徒会副会長の友人か男子テニス部マネージャーの友人という点だ。そこまで思考して、跡部の「合宿について書いてある、同意書にもサインしろよ」という言葉にもしやと思う。もしかして彼女はテニス部の合宿に参加するのだろうかと。だから、彼がその場から去り自席に戻るのを確認し千聖に近付いた。

「ちょっと千聖、それなに?まさかテニス部の…」

「ああ、うん、瑞季に渡しとくように頼まれたの」

「瑞季参加するんだ…千聖も?」

追及したくて仕方がないといった様子のクラスメートに千聖は肩をすくめて「まさか」と返した。「私、テニス部嫌いだもん」彼女の言葉にそういえばそうだったねと納得したようだ。周りにいた他の女生徒達も同様に、中には未だ怪訝そうに見てくる子もいたが、千聖が今まで男子テニス部に関わりがある話を聞いたこともなかったので最後は始業の鐘とともにその疑いも散らばった。
今までにも同じことがあった。
小学生の、まだ男子とも普通に仲良く混ざって遊んでいた時分だ。
どの学校どのクラスにも必ずと言っていい程一人は突出した容姿だったり運動神経だったり優れた生徒がいる。
これが女子の場合であれ男子の場合であれ、残酷なまでに真っ直ぐな恋情がつきまとうかぎり、その中で起こるいざこざは絶えない。千聖の通っていた小学校にも、クラスで人気の男子生徒がいた。格好良いし、明るいし、クラスで一等足の速い男の子だった。彼に幼い恋心を抱く女の子は多く、千聖の友人もその一人だった。その友人も至って平凡な顔立ちで、そこら辺に転がる石ころを少し磨いた程度の存在で、だが花屋の娘で花については特別たくさんの知識を持っていた。だから千聖はその知識の豊富さに興味を持って友達として接していたのだ。彼女の恋も、それなりに応援していた。
だが、ある日突然彼女は学校に来なくなってしまった。クラス内で村八分、すなわちハブられてしまったのだ。理由は、学校内を浮遊する噂に耳を澄ませてやっと分かった。どうやら、彼女は彼に手作りの押し花を渡したのだそうだ。それだけ?たったそれだけのことで、無情にも渡す現場をクラスのリーダー格の女生徒に見られてしまった。その女の子も、彼が好きだったのだ。あの年頃の子はよくテレビに映るタレントなどの口真似をするが、彼女もまた、ドラマの台詞をそのまま花屋の少女に浴びせたそうだ。そのドラマがあの年代が見るには些か過激なもので、それはそれは、直情径行な言葉で幼さゆえの素直で鋭利な刃物のように、少女の心を抉るものだった。
千聖はそれ以来、誰が誰を好きなのか情報を蓄積するようになっても手を貸したり、応援することはしなくなった。
そしてそれ以上に学内でも人気のある男子生徒を敵視するようになった。ねじれた考え方だと思われても、千聖にはその男子生徒が許せなかった。誰に対しても平等なことは、誰の心をも弄んでいるように映ったのだ。
これが、そのままテニス部が嫌いな理由に繋がっている。正直、合宿に参加するのも遠慮したい気持ちが先程の女子の食いつきで増したのだ。
「頑張ります」だから「頑張ったけど合宿参加には到りませんでした」も有りだろう。無責任だと言われるだろうか、否行く前にはっきり行かない旨を示すのもひとつの責任の在り方だと考えるため、千聖は渡された紙を瑞季に渡すついでに自分の紙も渡し断ろうと考えた。
だがその思惑も露のように消える。
数学の授業が終わり、さて渡しに行こうと立ち上がったと同時に跡部が来て「今日の放課後見学に来い」とのたまったからだ。彼は直ぐに廊下へ出て行ってしまったため、断ることも出来ない。
さあ、どうする?



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