正助と小娘

□作者のぼやき
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この話については、もう、むちゃくちゃ苦労したので、ちょこっとここでぼやきます。

ほんとに私的な、日記みたいな内容なので、読まなくていいです。

*****

大久保さんを中心にストーリーを書くにあたって、ゲーム中のセリフを書きとめている人は多いと思います。
そういう方はお気づきになっていると思いますが、この方、自分の感情について一切言及しない。
常に態度や行動で、感情表現する人なんですね。

例えば、小娘が「心配だ」と形容動詞では言わない。小娘を「案じている」と動詞で表現する。
これでギリギリの感情表現。これ以上感情を出すと、大久保さんじゃなくなる。

怒ったり感情が高ぶったら、他のキャラなら切々と自分の気持ちを語る。大久保さんは壁を殴る。後ろを向いてしまう。

まあ「面白い」「気分がいい」「気色が悪い」くらいは言いますが、これって感情なのか誤魔化しなのか、いまひとつはっきりしない。
いちばんストレートな感情表現は、高杉√の「楽しい」という発言ですが、これは桂さんのセリフをおうむ返しに繰り返してるだけだったりする。


「正助と小娘」で、ほんとに困ったのはこの点でした。

何しろ、「正助が、ひそかに自殺を考えてしまうくらいの苦境にあるのに、誰ひとり助けてくれない」という状況があって、それを小娘が救ってくれたからこそ、十何年も待ち続けるくらいに惚れるって話です。
正助の心情を説明しないと、話が成立しない。
でも、本人が、自分の感情を一切言わない。

最初は普段通り、小娘の一人称で書いてみたのですが、現代っ子の小娘には流罪や身分差別や飢餓なんて問題を察することはできない。
いくら匂わせても小娘が気づかないので、ただグダグダと話が長くなって、肝心のテーマを書けない。

正助の一人称にすると、キャラの違いが前面に出すぎて、幕恋じゃなくなる。
それ以前に、一人称というのは、そのキャラの本音を延々と書き連ねるという表現形式なので、自分の感情を一切言及しない人を語り手にはできないんですね。
で、苦し紛れに、じゃあ本音じゃなくて、心に鎧をかぶせたままで、大久保さんに語り手になっていただこうかと、やってみたのが第二章の冒頭。
ははは。あそこが一番恥ずかしくてグダグダのとこですが。
わかったのは、この人、自分のことを語るときには、理路整然と話すことができないってことですね。まったくストーリーが展開しなくなる。

かといって、他の人を語り手にはできない。
誰一人助けてくれない、理解者もいないというところが重要なので、正助のそばで心情を解説してくれる人がいてはいけない。
ゆえに、1ページもの短編の「遠島船」なら半次郎を傍観者としての語り手にできるけれど、中編の「正助と小娘」では登場させられない。
登場させて、正助の心情を解説させると、小娘でなく半次郎が救済者になってしまうので。

で、まあ、結局最後にひねり出したのが、竜助・弥助の二人が、子どもならではの残酷さで、正助君の傷を平気で口に出すという方法だったわけです。
これを思いつくまで、ものすごく紆余曲折がありました。

ただまあ、正助はなんでこんなに自分の感情を言葉にできないんだと悩んでいるうちに、失感情言語化症だってことに気づいたのは、収穫かもしれません。
これが分かったことで、正助or大久保がなぜああいう言動をとるのか、非常にすっきりと説明できるようになりました。

そして、同時に、なぜ彼が他の女性とは表面的にしか交流できないのに、小娘とは深いコミュニケーションが成立するかも、かなり明確に説明できるようになりました。

苦労した分、収穫もあったからいいかなあ…なんて思っています。
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