さらば愛しき馬鹿娘

□第二章
11ページ/11ページ

1866年。

【薩摩藩】大久保利通

ゆうの姿が消えると、神社は、また、何もなかったような普通の姿に戻った。

十何年前のあの時と変わらんな、と私は思った。

ただ、空に雲が増えて、朝だというのにあたりは暗くなり始めていた。

そう言えば、今朝も朝焼けが見事だったな…と私は思った。
まったく…私は二番煎じは好かんというのに…。また、ひと雨来そうだ。

濡れんうちに、藩邸に帰らねば。


十何年か前のあの日、薩摩の神社で小娘を見送った後…情けない話だが、私はしばらく熱を出して寝込んだ。
まあ、病み上がりだったこともあるが…。

吉之助…西郷には、飢え死にしかけたと思ったら、今度は恋煩いか、と笑われた。
また体調でも崩そうものなら、あいつに何を言われるか、わかったものではない。


目の隅で、影が動いた。私の死角の方向から、すっと人の姿が現れた。

「…半次郎、見ていたのか」

「ゆうさぁに危険がないように、しばらく見張っていろとのお言いつけじゃっで」

「…そうだったな」

「あげん心にもなかこっ言うて、ゆうさぁが御気の毒じゃしたなあ」

「余計なお世話だ。お前はさっさと藩邸に帰れ」

ふっと、また気配が消える。


ぽつりぽつりと、雨が降り始めた。

雨脚が早い。

これは、藩邸に帰るまでに、ずぶ濡れになりそうだ。


私は、ますます暗くなる空を見上げた。

ゆうは…雨に遭っていないといいのだが、と思った。

一瞬ちらりと見えた未来の風景は、夏の晴れた昼下がりに見えたものの…。
雨に打たれていまいか、冬の寒さに震えていまいか、夜露に濡れていまいか…少し、心配になった。

あの、めーるとやら言う奇妙な仕掛けは、無事に動いただろうか。
お琴に似た性格だと言う、ゆうの親友に、あの意味がきちんと伝わって、迎えに飛んで来てくれているといいのだが。


なぜか、急に可笑しくなった。
そうだな…。あの娘は、いつも、本人も気づかぬところで、私の気持ちをかき乱してきた。
そして私は…小娘にそうやって翻弄されている自分が、少しばかり嬉しかった。

だが、それも終わりだ。
もう一生、あの娘と会うことはないのだから。


雨は、いつの間にか本降りになっていた。

髪が濡れて、雨のしずくが、毛先からぽたりと落ちた。


月並みな言い草だが…。

雨は、便利だ。どんな顔をして歩いたところで…。

雨で濡れたのだと、言えば済む。


次の章へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ