さらば愛しき馬鹿娘

□第十章
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【ゆう】

…もうダメだ。もう一歩も逃げられないよ…。

寺田屋の崩れかけた残骸が、ごうっと大きな音を立てて燃え、たくさんの火の粉が風で舞い上がるのを、ぼーっとした頭で眺めながら、私は思った。

せっかく幕末まで来れたのに…。
私、大久保さんに会えないで死んじゃうんだ…。

そんなの、いやだよ…。

そう思うんだけど…脚はもう、全然動かなかった。

やだよ…。
会いたいよ…。

「大久保さーんっ!」

私は、なんか馬鹿みたいに、ここにいるはずのない人の名前を繰り返し呼んでいた。

会いたいよ…。
一度だけでも…会いたかったよ…。

すぐ近くの壁が、突然、、ばきばきという音とともに崩れ始めた。
何もかも飲み込むような、高い火柱が吹き上がった。

私は、炎を上げながら、壁が崩れ落ちてくるのを、見つめたまま…。
もう、これで終わりだと思った。

燃える壁の下敷きになる寸前、私は、ぎゅっ、と目をつぶった。

「助けてーーっ!!利通さんっ」

そんなこと叫んでも意味がないことは分かってたけど…。
死ぬなら好きな人の名前くらい、呼びながら死にたいよと思った。

と、同時に、頭の上で、ばきっ、と木が砕け散る音がした。

同時に、なぜか、馬の啼く声。

壁は…いつまでたっても落ちてこなかった。

え…?

「何をぼんやりしている?焼け死にたいのか?」

なんだかすごく、懐かしい声がした。

私は、目を開けた。

開けたんだけど…なんか目の前が黒かった。
すっごい大きな黒くて、あったかそうな柔らかいものが、目の前いっぱいにあった。

何だろう?と思ったら…それは大きな黒い馬の胸だった。
いやあの、馬ってふつう大きいもんだし、見慣れてないから大きく見えただけだったかもしんないけど…。
とにかく、私のすぐ前に、真っ黒い馬がこっち向いて立ってて、私の視界をふさいでいた。

こ…この馬、どこから?

そう思ったとたん、馬は、炎を背にして、両前足を高く上げると、さっき崩れて来た壁の残骸をもう一度蹴っ飛ばして、粉々にした。

「きゃっ」

「きゃっ、じゃない。つくづく、のんきなやつだ」

馬の上から声が降って来た。

馬と同じ真っ黒い色の軍服を着た大久保さんが、馬の上から不機嫌そうに、フンと小馬鹿にした顔で私を見下ろしていた。

なんかあの…黒ずくめに黒い馬だし…。
背中に炎しょってる上に、熱風であおられて髪の毛なびいてるし…。
軍服の金ボタンとか金線とか、炎がゆれるのに合わせてちろちろ光っちゃってるし…。

なんかその、下から見上げると、ちょっと迫力あり過ぎるっつか…。


えと…、どっかのラスボスですか…って雰囲気の大久保さんがそこにいた。


「あ…」
「何だっ」

完全に、お怒りモードの表情と声。

「この忙しいのにいちいち呼びつけるなっ。人の時間を何だと思っとるっ」

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