季節もの他
□カエルの出てきた日
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ある晴れた春の日のこと。
冬の京都はすっごく寒かったけど、最近はすっかりあったかくなって、とってもいい気分。
大久保さんにお茶を持って行って、
「やっぱり春はいいですねっ」
と言ったら、そりゃ能天気な季節だから、お前にはぴったりだろうと言われた。
…なんでこう、嫌味ばかり言うのかな。
大久保さんは最近、お公家さんとのお仕事で、歌会とか梅見会とかに呼ばれて忙しく、不機嫌です。
花の季節にお公家さんに会うと、やたら和歌を詠む機会が多いらしくて、最近はいつも帳面を開いて筆を持ったまま、うーんとうなっている。
私はこういうの、よくわかんないんだけど。
沖田さんに言わせると、ああいう体勢で悩んでいる人には、逆らわない方がいいらしい。
でもって、当り散らされそうな予感がする時は、先手を取って、何かきれいなものを見つけて注意をそらすといいって、教えてもらいました。
きれいなもの、ねえ…。
大久保さんとこの庭って、殺風景だからなあ…。
あ。
「大久保さん、あそこの石の脇に、たんぽぽが咲いてますねっ」
私は庭に降りて、ここだよって指さしてみた。
「ふん。そんなもの、和歌になるか」
「そうかなあ…」
私が、何か他のものを探そうとくるりと回りかけた時、大久保さんが言った。
「それより、その足元の茶色いやつは、踏むなよ」
は?…と地面を見て、それと目があった。
----げこ。
「ひっ!!」
思わず硬直して、それでも逃げようとしたもんだから、よろよろっと後ろに下がった途端、尻餅をついてしまった。
大久保さんがあわてて庭に下りてきた。
私はつい、パニックになって抱きついちゃった。
「カエルきらいカエルきらいカエルきらいっ!!どっかやってくださいっ!!!!」
大久保さんにしがみついて震えてたら、カエルはとうに逃げたぞと、大久保さんはあきれたように言った。
それから私は助け起こしてもらって、部屋に戻ったんだけど、なぜだか大久保さんはその間、とっても上機嫌だった。
「ふふん。小娘は、カエルが怖いのか」
和歌から気がそれたのはいいけど…何というか、その、新しいおもちゃでも見つけたような、わくわく顔してます。
うっ、嫌な予感。
その…おもちゃって…私だろな、たぶん。
「まあ、何だ。転んでぶつけたところに、ガマの油でも塗ってやろう」
「が…ガマガエル…?嫌です嫌ですっ!」
「遠慮せんでもいいぞ」
大久保さんは、なんか貝の入れ物みたいのを箪笥から出すと、私を見ながら、嬉しそうにちろりと舌先で唇をなめた。
前にテレビで見たけど、カエルを見たヘビって、こういうことするよね…。
あの…何と言うか、とっても危険な目つきなんですけど。
まずい…大久保さんには、私がカエル嫌いってこと、絶対、知られちゃまずかった気がしてきたぞ。
なんか私、これから先、カエルでからかわれ続けるような…きっとそうだ。
*****
その次の日、私は大久保さんのお手伝いで、一緒に北岡の岩倉さんのお屋敷に来いって言われた。
今まで、連れてってもらったことなかったのにな。
急にどうしたんだろ。
北岡は、京都の街中から、ちょっと離れたところにあった。
町はずれの大木戸門を出る時、大久保さんは意地悪そうな顔で言った。
「ここから北岡までは水田が多いからな。今時分は道にカエルが出ているかもしれん」
そ…そう来ましたかっ。
「お…脅かさないでくださいっ」
と、つい反射的に怒鳴っちゃったんだけど…。
まずい…。
本当に道にカエルがぴょこぴょこ歩いてたら…その時に頼れる人はこの人しかいないっ。
怒らせないようにしなくちゃ…。
私は、歩き出そうとする大久保さんの袖をつかんだ。
「あの…」
「何だ」
「えと…カエルがいたら、追っ払ってくれますか?」
大久保さんはその途端、はっはっは…と笑い出した。
そんなに楽しそうに大声で笑わなくったっていいじゃないですか。
「珍しく小娘が年頃の娘らしく、男の袖を引いて上目遣いにものを頼むと思えば…。お前のねだり言はえらく安上がりだな」
「…だって…」
「たかだかカエルごときで、『世の中には大くぼさんほど頼りになる人はいません』とばかりにしおらしく目を潤ませるのなら、これからは毎日、カエルの巣窟に連れて行ってやる」
し、しまった…この人の性格を忘れていたっ。逆効果だったかも…。
「大久保さんのドSっ!」
「何のことかは知らんが、別にほめんでもいい」
「ほめてませんっ」
私は怒って大久保さんから離れようとした。
「おい、あまり道の端に寄ると、下の地面にはまだカエルが冬眠しているかもしれんぞ」
「きゃっ」
はああ…と大久保さんはため息をついて、私の手を握った。
「…私が先に歩けば、やつらは驚いて逃げる。お前は後ろをついて来い」
「はい」
「まったく…やっかいな小娘だな」
なんか口調はきついけど、大久保さんはその後、ずっと私の手を引いて歩いてくれました。
途中で、田んぼにシラサギが何羽もいてきれいだなと言ったら、あれはカエル目当てで飛んで来てるんだと嫌味を言われたけど、私がゆっくり眺めていられるように、歩くペースを落としてくれた。
ちょろちょろ流れる水路の上を渡る時、大久保さんは、こいつらの上を歩くのは平気かと聞いた。
こいつら…?と思って足元を見たら、きらきら光る水の中に、湧き上がるようにオタマジャクシの黒い群れが動いていた。
「うん…。だけどオタマジャクシってこんなに泳いでるんだ…。これ、全部カエルになるのか…」
「お前の目は節穴か?ここへ来るまで、さんざん鳥を見てきたろう。こいつらの九割九分は尻尾の消える前に食われる。生き残るのは百匹に一匹くらいだ」
そっか…。
「カエルさんもいろいろ、たいへんなんですね…」
カエルは…私と違って…守ってくれる人がいないんだもんね。
大久保さんは、たかがカエルごときって言うけどさ、私、幕末に来るまで、こんなにたくさんの生き物を見たことって無かったんだよ。
やっぱり、ぜんぜん違う世界に来たんだなあって、しみじみ思っちゃいました。
私が考え込んでいたら、大久保さんが聞いた。
「どうした?オタマジャクシが怖くて渡れんか?」
ううん…と私は首を振った。
「せっかく大久保さんが手をつないでくれるんだから、できるだけ長いこと歩いてられるように、ゆっくり進みたいなあ…なんて」
「!」
大久保さんはちょっとだけ赤くなると、急にムスッとした顔になって、ぐいっと私を引っ張った。
「この馬鹿娘。…たらたら歩いて、訪問先を待たせるわけにいかんだろうが」
「ごめんなさい…」
そうして、しばらくずんずん歩いてから、大久保さんは前を向いたまま言った。
「…帰りは、小娘の好きなだけ、時間をかけて歩いてやる。それで満足か?」
「はい!」
ふふん、と大久保さんは鼻で笑った。だけどいつもよりちょっと節回しが楽しげ。
歩く後ろ姿は、あいかわらずふんぞり返ってる感じだけど。
大久保さんの手って、やっぱり大きいなあ…。
「お前は、頬だけでなく手も柔らかいな」
「そうかな?」
突然、私たちをからかうように、すぐそばの木陰で、ウグイスが高く鳴いた。
春の道を歩くのも、そんなに悪くないな、と私は思った。
≪Fin≫
<2013/2/13>