季節もの他
□松の内の客人
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≪松の内の客人≫
去年の暮れ、すす払い…大掃除の時のこと。
「あの赤猫はどういう経路で奥御殿に忍び込んで来るんだ?」
と、大久保さんが私に聞いた。
赤猫って…トンちゃんか。
「えと、川べりの松の木から塀の上に飛び移って…土壁の崩れたとこをくぐって奥御殿の庭に入るみたいですけど?」
すると大久保さんは、お前はふだんからずいぶん猫ばかり見ているんだな、と不満そうに言った。
もう。自分から聞いたくせに。
年末は忙しいのか、最近の大久保さんはちょっとご機嫌ナナメ気味です。
ぱんぱん、と手を叩いて人を呼ぶと、
「植木屋に言って松の木を剪定させろ。築地塀の穴もふさいで…」
と言いつけ始めた。
「ダメですよ。冬なのに屋敷に入れなかったら、かわいそうじゃないですか」
なんか、イライラすると猫にあたるのは、やめてください。
「正月は奉公人を里に帰すから、見廻りの手が足りん。うろんな連中に忍び込まれては面倒だ」
「あんな細い松の枝や、小さい穴から忍び込める人なんていませんって」
「普通の人間ならな。奴らはそうはいかん」
奴らって…。そいや、幕府の隠密が…とか前に言ってたけど…。
いやいや…マンガじゃあるまいし、隠密とか忍者とかだって、猫のマネして枝に乗ったら折れるし、穴は小さすぎてつっかえますって。
大久保さんは私の顔を見て、何か思いついたように急に意地悪そうな顔になった。
「ふん。小娘がそこまで言うなら、そのままにしておいてやる。だが、奴らに忍び込まれて、乱暴狼藉をされても泣くんじゃないぞ」
「えっ…」
大久保さんは、思いっきり馬鹿にした顔で、とっても嬉しそうに笑うと、さっさと表御殿の仕事場の方に戻って行ってしまった。
そんなあ…。
ら…乱暴って…。
何か今、黒い忍者服の隠密さんが手裏剣を持って私を追っかけてくる図、とか浮かんじゃったんですけど…。
そんなの、ぜったい勝てないよっ。
*******
お正月。
大久保さんの言ったとおり、藩邸の中はすっかり人が減って、静かになった。
藩邸だけじゃなくて、伏見の町全体も、人通りがなくなっちゃった。
しーん…と静まり返った屋敷の中は、ちょっとだけ怖い。
いや、ほんとなら、のどかでいいなあって思うはずなんだけど、大久保さんがおどかすんだもん。
大久保さんは、御所のお正月行事とかで、出かけてしまった。
昼過ぎには戻るって言ったけど…早く帰って来ないかな。
空はすっかり晴れて、雲一つないお天気。お正月だから、凧が高く上がってる。
川の近くってこともあって、風はけっこう強い。
あーあ。
雪でもちらついたら、傘持ってお迎えって口実にして、大久保さんに会いに行けるのになあ…。
…なんて考えてたら、がさがさっ…パタン、って、庭の隅で何かが動く気配がした。
トンちゃんが、庭の枝折戸を蹴り開けて、とことこ入って来た。縁側に座っている私の膝に飛び乗って、ごろごろ喉を鳴らす。
「もう、脅かさないでよ」
と、言ったとたん、いきなり私の上に、何か白いものが降って来て、顔をおおった。
「きゃっ」
な、何…?
私はよけようとして、つい後ろにひっくり返っちゃったんだけど…。
その途端、トンちゃんが膝を蹴る感触がした。
「ふぎゃっ!」
バリバリバリバリバリッ!
えっ?
トンちゃんは飛び上がって、その白いものに思いっきり爪を立てたかと思ったら、着地するなり体をひねって、今度は思いっきりタックルをかました。
「あっ」
これって…。凧?
「トンちゃん、だめっ!」
私があわてて奪い取ったんだけど…。
落ちてきた凧は、もう、完全にバラバラになって壊れてた。
トンちゃんは、私を見て、「守ってやったぞ、感謝しろ」みたいな顔をした。
がさがさがさっ…パタン!
また、庭の隅で音がした。今度はさっきより大きい。
「あーーっ!!ひでえっ!!」
へ?
紺の着物に前掛け。いかにも町人って感じの、小さな男の子たちが数人、庭の枝折戸のところでこちらをのぞきこんで、そろって鼻の頭を赤くして、ぷんぷんと怒っていた。
「その凧、高かったんだぞ!」
「どうしてくれんのさ!」
子どもたちは、口々に叫んだ。
年は小学生くらいかな…現代の子たちより、ずっと痩せてて小柄なんだけど、腕白っつか、ふてぶてしい悪ガキって感じ。
わお…鼻垂らしてる子とか、おでこにケンカ傷っぽいのある子とかいるよ…。
「君たち…どうやってここへ?」
「前からその猫見てて、ああこっから忍び込めばいいんだなーって、目を付けてたんだよな」
「そうそう。いつもなら、大名屋敷に勝手に入ったら、斬り捨て御免だけどさ」
「正月だけは凧取りに行くって言えば、大目に見てもらえる決まりだから、中をのぞいて見てえなって思ってたんだ」
男の子たちはそろって、得意そうに言った。
大久保さんの言ってた奴らって…この子たちのことか。
確かに、こんなに小柄なら、猫のマネして木登りしたり、穴くぐったりできるかも。
「あ、お前、夏に珍妙な格好で歩いてたやつだろ!なあ、かんかんのう踊ってくれよ」
「なんかいい匂いがする…。お重があるじゃん!この茶色いの何?薩摩の菓子?食ってもいい?」
「ちょっと、勝手に上り込んじゃだめっ」
「いいじゃんいいじゃん。それよりさ、凧、弁償しとくれよ」
もしかして、私…乱暴狼藉…されちゃってます?
「べ…弁償?」
「そーそー。凧、買い直さないといけないから、五十厘ちょうだい」
にゅっ、と黒い腕がつき出され、せかすように私の顔の前でふられる。
えと…私、こんな小さな子に、お金、せびられてんですけど…。
どうしよ?
私がしかたなく、ふところから巾着を出そうとしたら…、廊下の方から咳払いがした。
「五十厘?ガキのくせに、ずいぶん吹っかけるな。だいたい、凧も作れず金で買うとは、京都の男はガキまで軟弱と見える」
ふり返ると、大久保さんが、なぜだかわかんないけど、すっごい得意そうに腕を組んで立ち、子どもたちを見下ろしていた。
「何だとっ」
「田舎侍が偉そうに」
「ならお前は凧作れんのかよ!」
「当たり前だ。そもそも凧というものは元来、戦時の通信や敵陣への放火に使うものだ。武士が凧ぐらい作れんでどうする」
いやいやいや…。
私はおずおずと口をはさんだ。
「あの…大久保さん…。問題にするのは、凧作れないことじゃなくて、勝手に上り込んだことだと思うんですけど…」
「ん?そうか?我が薩摩藩邸に白昼堂々と忍び込もうという、その豪胆さは買うぞ。お前ら、いい兵卒にはなれる」
「はあ?俺たち、杜氏の子だぜ。兵卒なんかなれねーよ」
「何を言うか。これからの世の中は日本人全員が一丸となり、国を守る。そういう時代がもうすぐ来る」
あのー。
大久保さん、こんな小さな子ども相手にそんな小難しい話しちゃっても…。
ほら、子どもたち、ぽかんって顔して、あきれてますって。
大久保さんはそれを無視して、滔々と続けた。
「町人や農民だろうと、働きがよければ大将にもなれる。杜氏よりよっぽどもうかるぞ。だが、お前らには士官は無理だな。特に海軍はだめだ。
お前らのように凧も作れん上に、揚げても墜落させる体たらくでは、風を読む才能は無きに等しいな。
風を読めんようでは、軍艦の帆もまともに張れまいし、ましてや大砲の弾道などとうてい計算できんだろう」
えと。
大久保さん。
お仕事、熱心なんですね…以外に、何を言えばいいのだろうか。
「何だよ!杜氏を馬鹿にすんのか?」
「馬鹿にしてはおらん。質のいいアルコールがなければ雷管も作れん。銃も大砲も撃てん。いい杜氏がおらねば日本は守れん」
「…」
うーん…。
でもまあ、私も聞いててよくわかんないけど、日本の将来を一生懸命考えてくれてんだなあってのだけは、伝わります。
子どもたちも、話についていけずに、目を白黒させてます。
「えっと…つまり、大久保さん、凧を作るのは得意なんですよね?」
「当然だ。同じことを二度言わせるな」
大久保さんがそう言ったとたん、子どもたちの目が輝いた。
「金はいらないや」
「作り方、教えとくれよ」
「風を読むって、どうやんの?」
*******
四半刻後。
大久保さんは大きい紙になんだか難しい図面を引いていて、小さい子たちはそれを囲みながら、尊敬の目で大久保さんを見つめてた。
いちばん年上っぽい男の子は、大久保さんに命じられて、竹を削ってひごを作ってる。
珍しく羽織姿の半次郎さんが、部屋に顔を出した。
「大久保さぁ…御慶のご挨拶に…。凧作りでごあっか?」
「ふふん。自慢じゃないが、私は小僧のころ、甲突川のケンカ凧では負け知らずだったからな」
半次郎さんは、はあ…と頭をかいた。
「じゃっどん…そいは城西だけの話でごあんそ。そげな紙で凧を作っちゅうようでは、吉野村じゃあ…」
「何だとっ!」
すると今度は弥助君が、何だろうって顔してのぞきに来た。
「大久保さぁ…そいは名人向きの凧じゃ。小さい子らには、風で引っ張られても転ばんような形にせんと危ないです」
何かよくわかんないけど。
その後も、新年のあいさつがてら、のぞきに来た藩士さんたちが、いろいろ口を出してきて。
それぞれ、『俺様の考えた最高の凧のスペック』みたいなこと言い出しちゃって。
なんかみんな、すっごい嬉しそうに大議論始めちゃいました…。
…これってやっぱり。
男の会話って…やつなんだろうか?
よくわかりません。
*******
まあとにかく。
大久保さんは何のかんの、文句は言ってたけど…。
結局、落ちてきた凧はひとつだけだったのに、子どもたちは人数分の凧をもらって、嬉しそうに帰って行きました。
そしてすぐに空には凧が揚がって、なんか楽しそうに凧合戦してる。
さっきの子たち、さっそく近所の土手で、作ってもらった凧を試してるみたい。
藩士さん皆にいろいろ言われたから、凧の種類はひとりひとり全部違ってて、飛び方にも個性があって、見てるだけで楽しい。
私は子どもたちにつまみ食いされたお重を詰め直して、縁側に座って空をながめてる大久保さんに、お茶と一緒に出した。
「…前よりずいぶん、高く揚がってますねえ」
「当たり前だ」
すっごい得意そうな大久保さん。
私は、何だかつい、ふふって笑っちゃった。
「何がおかしい」
「おかしくないです。なんか嬉しくて」
私はお茶を飲んでみた。
うん、いつもながら完璧だね。
大久保さん仕様のすっごい渋いお茶だけど、最近はちゃんと旨味も出せるようになった気がする。
「大久保さん、ずっと忙しくてイライラしてたけど…今日はいい気晴らしになりましたね」
「聞いた風なことを抜かすな」
大久保さんはそう言って、きまり悪そうにそっぽを向いた。
「大久保さんが小さいころ、凧揚げ名人だなんて知らなかったです。かわいかったろうなあ…」
「語彙の無いやつだ。お前は何でもかわいいですまそうとする」
ふふ。私がまた笑っちゃったら、大久保さんはちょっとスネた顔で振り返ったけど…。
ピーヒョロロ。
上空で鳥の啼く声がして見上げると、いちばん年上の子に作ってやったトンビ凧の周りを、本物のトンビが回ってた。
「すごいなあ。大久保さんの作った凧、本物のトンビが仲間と間違えて寄って来ましたね」
「ふん。何しろ私の作った凧だ。驚くには当たらん」
お正月。晴れたのどかな空の下。
二人で縁側でお茶飲んでるだけなのに…なんでこんなにうれしいのかな。
来年のお正月も、その次のお正月も、こんなふうに平和に二人でお茶が飲めたらいいね。
そう、私は思った。
【Fin】
<2013/1/3>