季節もの他

□赤い鼻緒の下駄はいて
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≪赤い鼻緒の下駄はいて≫
雨降りです。
一昨日も昨日も今日も雨降り。

大久保さんは外回りのお仕事を延期して、珍しくお部屋で暇そうにしています。
なのにさ。
さっきっからずっと、こっち見てくんない。
碁盤の方を向いたっきりです。

碁の相手をしてるのは、以蔵。つか、その後ろで囁いてる慎ちゃん。
昨日、二人は新選組に追われて薩摩藩邸に逃げ込んできて、そのまま帰れなくなった。
二人もやることなくて暇だから、大久保さんと慎ちゃんで以蔵に碁を教えることになったみたい。

「あっ、大久保さん。その手は初心者には酷ですよ」
「ふん、勝負に情けは無用だ」

なんか完全に入り込んじゃってるなあ…。つまんない。
そりゃ、大久保さんって集中力が半端ないからこそ、お仕事が人よりできるんだってことぐらい、わかってるけどね。
私はこないだ龍馬さんにもらった外国のファッション雑誌をぱらぱらとめくりながら、愚痴っぽく考えた。
そこには英国かどこかのお屋敷のイラストがあって、スーツを着た貴族っぽい人がメイドさんにお出迎えされていた。

そう言えば…大久保さんってオレ様な性格だから、きっとこういうの、好きだよね…。

「大久保さんってやっぱり『お帰りなさいませ、ご主人様』とか言われたいですか?」
と、私が聞いたら、大久保さんの後ろ頭がぴくんと動いた。同時に

ばちんっ!!

と、碁石を置く大きな音がして、お茶を飲んでいた慎ちゃんがむせた。

「ね…姉さん…藪から棒に何を…って…うわっ…。大久保さん、そんなとこに白石置いたら全滅っス!!」
「待て!今のは無しだ!」
「勝負に情けは無用」と以蔵は言うと、白い石を次々と取っていく。
「こらっ、待て!」
「往生際が悪いぞ。それでも武士か」
「何だと!」
その後も大久保さんは騒いでたけど、最後にこっちを睨むと、ふんとそっぽを向いてしまいました。ちらっと見えた顔が、なぜかちょっと赤かった気がする。

「あれ…?私、何か悪いこと言いました?」
「こんなアホの言い草に動揺する方が悪い」と以蔵。
「姉さん…そういう催促は、人前ではちょっと…」
「催促?何を?」

うーん…メイドさんごっこって、幕末の人には刺激が強すぎるんだろうか?
お裁縫でエプロンドレス作ってみるくらいしか、考えてなかったんだけどなあ…。

「…お前は何の話をしているんだ?」と、大久保さんがイライラと言った。
あれ?何か怒ってます?

「えと…この絵のですね…」
と、私がメイドさんの絵を見せて説明したら、今度は慎ちゃんがへたり込んだ。
「そういう意味っスか…。『お帰りなさいませ、ご主人様』って…俺、姉さんが三つ指ついて玄関で出迎える方を想像したっス…」
「三つ指って、何ですか?」
「そ…そりゃその…新妻姿の姉さんが玄関先で楚々と手をついて、お風呂を先になさいますか、晩酌の用意もできておりますと…。要は男の夢っス!!」
と、慎ちゃんが珍しく、わけのわかんないことを言ってガッツポーズを取った。
「は?」
「要は、お前が早く嫁にしろとねだったと思ったんだ」と以蔵。
「ええっ!」

何で、そうなるんですかっ。

「しかし姉さんの一言ってすごい破壊力っスね。さすがっス」
「あれは手が滑っただけだ!」

*****

その後、大久保さんは超絶不機嫌になっちゃいました。
雨が上がって、門番さんから新選組はいなくなったよって知らせが来て、三人は土佐藩邸に行くことになった。
一人でお留守番はさびしいなって言ったら、大久保さんはお前もついて来いって言った。

「泥道だからな。足袋は懐に入れて着いた先で履け。草履はやめろ」
「えへ。大久保さんにこないだ買ってもらった駒下駄をはいてってもいいですか」
「勝手にしろ」

黒い漆塗りに小花のもようの駒下駄。ずっと履きたかったんだよね。でも雨用だから、晴れの日に履こうとしたら間抜けって言われた。
慎ちゃんは下駄を見ると「姉さんの白い素足によく似合うっス。可愛すぎて俺、見てるだけで照れるっス」とにこにこして言った。
「こういう足指のやつは剣術に向いている」と以蔵。多分ほめてくれてるんだろな。
「くだらん」と大久保さん。もちょっと何か言ってくれてもいいのに。

三人は杉をくりぬいた薩摩下駄。そう言えば、大久保さんと慎ちゃんの素足を見るのって初めてだ。
「大久保さんって華奢なのに…足だけ見ると男の人だなあって感じする」
「…どういう意味だ」
「あ、えと、大久保さんだけじゃなくて慎ちゃんとかも…。未来の男の子とかと比べても、足は大きいんだなって」
「そりゃ姉さん…土佐だ長崎だと歩き回ってたら、足も鍛えられます。つか、足『は』って…どうせ他は小さいっスよ…」

でも文句を言いながら、慎ちゃんは嬉しそうだ。
「土佐じゃ俺たちの身分は下駄が許されてないですから。こんないい下駄、初めて履かせてもらったっス。もちろん土佐藩邸に入る前に草履に替えないとヤバいですけど」

そんな話をしながら京都の街中へ入ると、大久保さんは土佐藩邸への道を行かず、急に左に折れた。
「え?」
「寄る所がある」
そう言って、入り組んだ路地をずんずん歩いていく。大通りにはいろんなお店が並んでたけど、このへんは民家が多くて、いかにも京都って感じのしっとりした閑静な雰囲気。
その中でも、まるで隠れ家って感じの町家…えと、仕舞屋(しもたや)って言うんだっけ…に大久保さんは入って行った。

私も門を入ろうとした途端、庭の方から鶏を絞め殺すような声が響いた。大久保さんが庭に向かって怒鳴る。
「おい、ここで稽古は止めろと言ったはずだぞ!薩摩兵児がいると吹聴してどうする」
「わっ、お、大久保さぁ…」
なんだか大勢がわらわら騒ぐ気配がして、若いお侍さんたちが何人も顔を出した。
「こら、下帯ひとつで出て来るんじゃない」
「じゃっどん、洗濯もんが乾かんで…」

「こいつら、誰だ?」と以蔵が聞いた。
「薩摩から来た書生連中だ。他藩の食客もいるが」
「どういうことっスか?」
「藩邸は幕吏に見張られているからな。薩長が同盟して秘密裏に活動するなら、他に隠れ場所が必要だろう。で、ここを借りた。
ついでに言うと、お前らがこの辺りで追手に遭ったときに、土佐藩邸には気安く逃げ込めないそうだな」
「あ…」
「ここなら、腕っ節の立つ元気なやつらが常にたむろしている。好きに使え」
「大久保さん…」

そっか。碁に夢中になって、私の相手してくれないって思ってたけど、以蔵や慎ちゃんたちがまた追われたらどう逃がそうって、考えてくれてたんだ。

「おや、君たちも来ていたのかい」と後ろから声がした。
ふり返ると、そこには桂さんが立ってて、風呂敷包みを持って微笑んでた。
大久保さんはそれを見ると眉をひそめて、「桂君…君の衣装を一時預かるのはいいが、箪笥をもう一棹増やさないともう入らんぞ」と言った。

*****

それから、慎ちゃんと以蔵と桂さんは庭先で話をし始めてしまった。家には入らずに土佐藩邸に行くつもりらしい。
だけど私を土佐藩邸に連れてって会合の間待たせておくと剣呑だから、この家で少し待ってろって言われちゃった。
うーん、いろいろ身に覚えあるし…と落ち込みそうになったら、慎ちゃんが、土佐藩邸で女性をひとりで放っておくといろいろ問題があるんっスとよくわかんないことを言った。
何だろ?

大久保さんと一緒に玄関を入ると、下男っぽいおじいさんが桶を持って出てきた。

「旦那様、お戻いやんせ」

あ…それ、私が言ってみたかったセリフなのにっ。

私がついちょっと頬を膨らませてしまったら、大久保さんにふにっとつままれて馬鹿にされた。
「お前はひょっとこか。何をぼさっと突っ立ってる」
「突っ立ってる…って…?」

玄関の上がり口は少し高くなってた。えと、ここに腰掛けろってこと…かな?
私が座ると、大久保さんはその横に座った。

「言っておくがな。薩摩藩の御側役は十五人扶持だ。お前が婢(はしため)の真似をしなくても、その気になれば家来衆には事欠かん」
「ごめんなさい…」

そっか…。
考えてみれば『ご主人様』って言われて喜ぶのは、ご主人様じゃない人だけだよね。
この人は大久保家ご当主なんだから、出るとこ出ればすでに思いっきりご主人様なわけで…。

でもなんか、そういうのってつまんないって言うか…。私だけの大久保さんじゃないんだよなって感じで…。さびしいな。
ううん、それってワガママな気持ちなんだなってのは、わかってるけど。

「旦那様、こんお方は?」
「ああ、いずれこいつがこの家を切り回すことになる。しばらく置いておくから、家の中を案内してやれ」
「へえ」
「なんでも私を『お帰りなさいませ、ご主人様』と言って出迎えたいそうだから、三つ指の突き方も教えてやれ」
「…ちゅうことは、奥様になられるお方で?」

「ちょっ…」私はバタバタと手を振った。「何ですか、その話はっ…きゃっ!」
私は、後ろにひっくり返りそうになった。
大久保さんが、上がり口に腰かけていた私の右足をつかんで、くいっと持ち上げたから。
「な…何するんですかっ」

「相変わらずしとやかに歩けんやつだな。足が泥ハネだらけだ」
そう言うと懐から手ぬぐいを出して咥えると、私の足から下駄を脱がせた。
「え…」
「桶の使い方がわからんようだから、今回だけだぞ。次からは自分で洗え」
「お…桶?」
確かに下男のひとが持ってた桶が目の前にあって、お湯が入ってるけど…。
大久保さんはその桶を手元に引き寄せると、そのお湯で私の足を洗い始めた。

ええっ…。

「泥だらけの足で畳に上がる気だったのか、お前は?」
「えと…あの…」

こ…これって…江戸時代では普通の習慣なんでしょうか?
大久保さんの白い長い指が、なんかすっごく優しく洗ってくれると…その…ものすごく照れるっていうか…なんかドキドキしちゃうんですけど。

大久保さんは私のそんな様子なんて気づかないような態度で、両足を洗い終えると手ぬぐいで拭いて、足袋をはかせてくれた。
それから、くいっと私を抱え上げて、板の間に下ろしてくれたんだけど、その時に耳元で言った。
「どちらかというと私は『ご主人様』より『旦那様』の方が好みだな。それも練習しておけ」
「は…はい…」

ふふん、と大久保さんは笑うと、そのまま玄関から出て行っちゃったんだけど…。

皆が土佐藩邸から帰るのを待つ間、なんかもうボケっとしちゃって、下男さんが教えてくれたこと、全然頭に入らなかった。

泥のついた駒下駄も洗って、玄関先に立てかけて乾かしながら…。
そう言えばこれを二人で選んだ時、大久保さんはなんか嬉しそうだったなあ…なんて思い出した。
もしかして、いつか大久保さんに『お帰りなさいませ、旦那様』って言うようになったら、私が大久保さんの足を洗ったげることになるのかな…?

今の時代って、舗装道路もレインブーツもないけどさ。
こっちの泥んこ道も、いいよね。
なんて、ちょっと思った日のできごとでした。

≪Fin≫
<2013/6/19>


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