さらば愛しき馬鹿娘

□第八章
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神社の境内を走り出て、少し広い通りに入る。
見覚えのある店々が目に入ってきて、ほっとする。
やっぱり、あれからほとんど年月はたってない。

でも、どこも昼間だと言うのに、固く戸を閉ざしていて、町には見捨てられたような雰囲気が漂っていた。
えっ…と一瞬思ったけど…。

店の入り口に門松が飾ってあるのに気付いた。
やっぱり…お正月…なんだ。
お店が休業だから、人の姿がないんだ。
そう言えば、江戸時代のお正月って、経験してなかった。

でも、普通に考えて、子どもが凧揚げしてたり、晴れ着姿の人が歩いてたりって、しないんだろうか…。

何だか、いやな予感がする。
ここも、煙がただよっている。
さっきより、火薬のにおいが濃い。

何…これ…?

江戸時代には、正月にたき火をする習慣でも、あるんだろうか?

それにしても、煙が多すぎるよ。

さらに走って水路を渡り、商店でなく、長屋…つまり、人の家が多い一角に入ると、様子が一変した。

たくさんの人が、荷物を抱えて、こちらに向かって逃げてくる。
何…なんで?

いったい、何があったんだろう?
私は、なんだか気持ちがざわざわしてきた。

私は人波を掻き分けて走った。
藩邸の皆に早く会って、元気な顔を確かめたい。皆、どうしてるだろう…。

大久保さんに、半次郎さんに、女中さんたちに、小松さんに、それから…。

私は、大通りをそれて、水路沿いの道に入った。
こっちの道を行けば、橋のかなり手前で、向こう岸にある藩邸が見えてくるはず。

水路が大きく曲がって、目の前が、開けてきた。
あと少しで、藩邸が見えてくるはず…。

そう思った時。

私は、ぎくっとした。

向こう岸に見えるものって…。
あの、縦長の旗…のぼり、って言うんだっけ?

すっごいなじみのある模様がついてる。
水戸黄門と同じやつ。

葵の紋所ってやつだっけ?
その模様のついた旗が、何十本も、もしかしたら百本以上…。
薩摩藩邸を取り囲んでた。

火薬のにおいは…そっちの方角から、いちばん強く匂ってた。



私…そう言えば今まで、考えたことなかった。
未来に帰って、おじいちゃんが時代劇を見てんの、のぞいたりもしてたけど…意識してなかった。

葵の紋の、幟の意味。
つまり、幕府側の軍隊が、あそこを取り囲んでいるんだ。
あれだけ幟があるってことは…千人とかより、もっと多いよね?

そんな…すごい数の軍隊が、薩摩藩邸を襲いに来た。

私が今、薩摩藩邸に行けば、きっと殺される。

そういう意味だ。

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