季節もの他

□ハイスペック小娘
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≪ハイスペック小娘≫

【小娘】

あれ…。
なんか、頭痛いなあ…。
そう思って目を開けると、なぜか大久保さんが私の顔を覗き込んでいた。

「小娘、痛いところはないか」
「えと…ちょっと頭が…」
「馬鹿が」

大久保さんはそう言うと、つい、と私の枕元から離れた。
なんでこの人って、いつも失礼なんだろう。

「医者は何と言ってる?」
「大事はないはずだと」
大久保さんと女中頭さんが、低い声で話している。

…私、どうして寝てんだろ。

「まったく。なんで屋根になぞ上るのだ?平地を歩いていても転ぶやつが、転げ落ちんわけがないだろうに」

そうでした。はは。

「大久保さんだって屋根上って足踏み外したことあるそうじゃないですか」
「何だとっ。お前のような阿呆と一緒にするな」

何でだろ。いきさつは思い出せないけど、私、大久保さんがなんで屋根に上ったんだろなあって知りたくなって、つい同じことをしてみたくなったんだっけ。
私って、馬鹿?
ちょっと信じられないよね。恥ずかしい…。

「だいたい私が屋根に上ったのは、薩英戦争中に敵艦のようすを窺うためだ。小娘の暇つぶしとは違う」
「暇つぶしって何ですか。決めつけないでください」

大久保さんが、いぶかしげな顔で私を見た。
何だろう、この人。やっぱり何を考えているのか、よくわからない。

でもとりあえず、私の頭痛はすぐに収まった。
藩医の先生も、落ちる時に私を下で受け止めてくれた大久保さんの方を、心配してた。

あれ…そう言えば、よく思い出せないけど…大久保さん、あの時かなり遠くにいたのに、ものすごい勢いで走って来て、野球の盗塁でもするような感じで、ぎりぎり私の下敷きになってくれた気がする…。
確かに…あの体勢だと、かなりお腹痛かったと思うんだけど…。
でも…、なんだかとっても平然としてる。
大久保さんって、タフだなあ…。

大久保さんが部屋から出て行った後、女中頭さんにそう言ったら、女中頭さんも首をかしげて、不思議そうな顔をしていた。
「そういえば…大久保さんの体調のことは、いつもお嬢さんがいちばん大騒ぎなさいますのに、今日は違うんですね」
「え、だってあんなに元気に嫌味言ってるのに?」
私、変なこと言ったかな?


******

次の日、薩摩藩邸で例の薩長同盟の話し合いがあった。
私は会合の席には呼ばれていなかったんだけど、あいかわらず細かいところで揉めているみたい。
そんなに何回も何回も会合ばっかりして、なんだかまだるっこしいなあ…。
どう考えたって、日本の将来のためには同盟しなきゃいけないんだから、昔の恨みなんか蒸し返してないで、男らしくスパッと決めちゃえばいいのに。

私はお茶をもって、会合をしているお座敷に入った。

「やあ、ちょうど喉が渇いていたんだ。お気遣いいただいてありがとう。嬉しいよ」
と、桂さん。やっぱりこの人は常識人だ。安心する。
私は礼を言われてちょっと嬉しくなって、桂さんに笑いかけた。

「ふん、どうせ薩摩が出す茶など、味わって飲むほどのこともないのだろうな」
「いえ、そう言うわけでは…」

大久保さんがまた、言わなくていい嫌味を言った。この人って、誰に対しても意地悪なんだろうか。

「こらっ、なんで俺にいちばんに寄こさないんだっ。俺の嫁だろう」
「旦那なら普通は最後だろう」
「以蔵の言うとおりだな。もっとも今、3番目に置かれていたが」
「桂さんとはずいぶん仲がいいのう…」
「姉さんの淹れた茶は、いつもうまいっス」

あー、もう。いつもいつもそうやって…子どもみたいに騒ぎ出しちゃうんだから。この人たち、ほんとに歴史教科書に載っている志士なんだろうか。

「毎回毎回、いい加減にしてください」
私は、そこに座り直すと言った。
「皆さん、ご自分が、日本の行く末を支えているという自覚があるんですか。だいたいだらだらと何度も何度も会合を開くなんて無能の証明です。
ご存じないかもしれませんが、欧米では会議は毎回必ず結論を出すというのが常識なんです。
こんなことじゃ、列強に対抗できる日本なんか、到底作れませんよ。しっかりしてください」

「は?」
7人の声が重なった。

「だいたい倒幕は大事だって言うのはいいですけど、皆さん言ってることがバラバラで、コンセンサスが取れてませんよね?」

「こんせんさす?」
「共通認識とか、全体の合意形成ってことです」

「それが大事なことくらい、わかっとるっ。お前は口で簡単に言うが、そんな合意が簡単に取れれば、今までこんなに苦労しとらん」と大久保さん。
「確かに、話し合いを何度も重ねないと、お互いの事情や利害のすり合わせは難しいですね」と桂さん。

「そこが甘いんです」

「何だとっ」

「薩長同盟って、ほんとに国を動かす規模のコラボレーションプロジェクトじゃないですか。
こんな重要なタスクの意思決定に、ただナラティブに…ええと、口頭でだらだら喋ってて、皆で同じビジョンを共有しようなんて、非現実的もいいとこです。
だいたい、互いに何が重要か伝わってないじゃないですか。
もっと可視化を進めて…じゃない、図とかで一目でわかるような資料作って、説明しなきゃだめです」

私は、部屋の隅から一番大きな紙を取って来ると、皆の前に広げて見せた。

「まず、現状分析が必要ですね。国際的視点や幕府・朝廷の立ち位置から見たマクロ環境の分析と、薩長それぞれの比較的ミクロな環境と、二方向から見て行きましょう。特に現状明らかになっているリスクと不確実性については、前倒しの対応のために、詳細を検討するべきでしょう。

マクロ環境だとやはり、今の最大の課題は、開国後の経済混乱の収束と、状況変化に迅速に対応できる体制作りですよね。
それを一目でわかるように説明できる統計資料、ありますか。例えば、外貨と日本の通貨の為替相場の変動とか、米価の変遷とか。

あとは、対応の遅れで、幕府と一般社会の被った損失を、定量化…じゃない、金額で示すことのできる資料とか。
えと、簡単なグラフが二、三描ければ十分だと思うんですけど」

「ぐらふ?」と、二、三人の声が重なる。

「それは今、描いて見せます。これは口じゃ説明できないから。あとは、ブレーンストーミングやって、その結果をSWOT分析しましょう」

「ぶ、ぶれ…?」

「それも今、やり方をお見せします。
んー…。シックスシグマ方式と、ハーバードMBA方式と、どっちがいいかなあ」

私はそう言いながら、まっすぐな線を引くため、カラス口に墨を入れた。

「お…俺…姉さんの言ってること、全然わかんないっス」
「中岡、安心せい。わしも同じじゃ」

ふふ。
みんな、目を白黒させてる。私のこと、単なる小娘と思ってたら、大間違いなんだから。

今まで私、頭いいこと隠してたから、皆びっくりしちゃったよね。
大久保さんだってきっと、私の知識に感心して、私のやることを興味津々で見守ってるんだろうな…。
と、思って横を見たんだけど。

あれ?

確かに、大久保さん、興味津々って顔ではあるけど…。
私のこと、馬鹿にしたような、あきれた顔で見てるんですけど…。
それって…ちょっと…嬉しくないかも…。

いきなり、高杉さんが大久保さんの襟首をつかんだ。
「おい、こいつに何をしたっ!?」
「…屋根から、落ちた。どうも頭を打って、前より愚かになったらしい。私の手落ちだ」

ええーっ。ま、前より愚かって…。
そ…そんなことないっ。
そーだ。大久保さん、負けず嫌いだからきっと、私の話に着いてけなくて悔しくて、そんなことを言っているに違いない。きっとそうだ。

「こいつは、こんな俗物じみた女じゃなかったぞっ」
「何も本人の目の前でそんな話をしなくてもいいだろう、晋作。可哀相じゃないか」

た…高杉さんに、桂さんまで?

「まったく。年下の少女に大人げない」と、武市さんが、私の方を見て微笑んだ。「なぜ、突然、我々の会合に加わりたいと思ったんですか」

た…武市さんも、私が変なこと言ったと思っているのかな?

「それは…私も日本の将来のために、役立ちたいと思って…」
「それはそうでしょうね。でも、それが一番の理由ではないでしょう?」

え?

「武市君、こいつに要らん差し出口をせんでもいい。小娘、お前は奥へ下がってろ。あとで説教してやる」と、大久保さんがまた嫌味を言う。
「ひどいですっ。武市さんは私を心配してくれてるのにっ」

「やっぱりお前、変だぞ」と以蔵が目を丸くして言う。
「確かに…以前の姉さんなら、大久保さんの言葉の裏をちゃんと感じ取ってるところっス」と慎ちゃんが困った顔をした。
「ほいたら、今の武市の質問の答えも、わからんようになってしもうたかのう」と、龍馬さんが私を見た。

質問…?
私が…つい口を出しちゃった本当の理由は…。

「私…あの…。大久保さんがいつも私のこと、馬鹿にするから…。そんなことないよって…。否定したくて…。
知識があるところを見せたら…お仕事に役に立てたら…大久保さんに認めてもらえるかなって思って…」

私…すごい得意になっていろいろ話したのに、ぜんぜん大したことなかったのかな。
政治のわかんない小娘がつまんないこと言うって、みんな思ったのかな…。
なんか…だんだん自信なくなってきた。
そしたら…とても恥ずかしくなって…泣きたくなってきた…。

「なんで私がお前を認めんとならんのだ。そこが浅墓だと言うんだっ!」と、追い打ちをかけるように大久保さんが言った。
「大久保さん…今の彼女には、そういう言い方は伝わりませんよ…」と桂さんがつぶやいた。

伝わらないって、何?
大久保さんの言うことって難しすぎて…やっぱり今の私じゃ全然ダメで、もっと勉強して知識つけないと、大久保さんには認めてもらえないってこと?

大久保さんはすごいイライラした顔で、ふん、と鼻を鳴らすと、くるりと後ろを向いて背中を見せた。
「お前は…私ごときが認めんでも、元々価値のある女だっ!それぐらい理解していろっ!」

「えっ?」

「だいたい、たかだか知識のあるなしで、お前の器の大きさを見誤るものかっ。私はそんな目先しか見えとらん男ではないっ」

それって…あの…。
私のことを…。
つまり…。

あれ…。
胸の中がなんか温かくなってきた…。
頭の中で、もう一人の私が何か言ってる…。

そうか…今の私の方が愚かって…大久保さんのこういう気持ちを、わかんなくなってたからか。
私、大久保さんに認めてもらうとか、やさしい言葉を言ってもらうとか、自分に都合のいいことばっかり考えてて…。
大久保さんの今の気持ちや、志士のみんなの考えを、ちゃんと受け止めることは、ぜんぜん考えてなかった…。
そうだね…。浅はかって言われても…しかたないかも…。

その時、ちょうど大久保さんの真正面の襖が開いて、西郷さんが入って来た。

「お待たせして、申し訳ない。
なんだ、利通。赤い顔して、また痴話喧嘩か?」

大久保さんの後姿が、目に見えて動揺した。

「だっ、誰が赤い顔などしとるかっ!」

西郷さんは、大きな手で大久保さんの頭をがしがしっと撫でた。
「そう騒ぐな。それより何度言ったらわかるんだ。人に背中を向けて話すやつがいるか。失礼だろう。ちゃんと正面向け」

「や、やめろっ。その馬鹿力で、人の頭をつかむなっ」

そして大久保さんは西郷さんに無理やりこっちに向かされて、私と目が合うと…。

******

【カナコ】

携帯のメール着信音で、目が覚めた。

電車の中で本を読んでて、うつらうつらしてたみたい。
すっごいシュールな変な夢、見てた気がする。

やば…。
伏見桃山駅、乗り過ごしたかな。バイトに遅れちゃうよ。

実はあたし、大学に入ってから、経営学の本なんか読み始めちゃいました。
専攻の課題も毎日山ほど出てるから、片づけないといけないんだけどね。バイトもやってるし、少し睡眠不足気味。まずいかなあ。

でも経営学の本ってやっぱ、わかんない言葉とか理論とかいっぱい出てきて、頭ん中がオーバーヒートしちゃう。
こんなに変な夢見るなんて、相当頭ん中ぐちゃぐちゃになってるな。


なんで経営学の本なんか読んでるかっていうと…。
うーん…自分でも気が早すぎるというか…獲らぬタヌキの皮算用、だとは思うんだけどね。
だってさ…その…。

今のバイト先の店主さんが、その…すっごいステキな人で…。
っつか、ステキすぎちゃって。

あたしみたいのが、こんなステキな人のそばにいていいんだろうかって、不安になっちゃったんだよね。
で、ちょっとでも、役に立てるようになりたいなあ、難しい話をされてもわかるようになりたいなあって…思ってさ。

で、まあ、お店を経営してる人だし…。
お仕事関係でお店に来る人と商談してる時とかに、聞こえてくる難しい話って言えば、やっぱり経営関係なんで…。
お仕事の中身わかったら、あたしでも話相手くらいにはなれないかなあ…なんて。

もちろん、あたしの前で愚痴とか言う人じゃないんだけど…。
それはそれで、あたしが大人の世界を知らないから、弱みを見せてくれないのかな…なんて、少し心苦しくなる。

そんなこんなで、大学の図書館から、いちばん言葉のやさしそうな経営学入門書っぽいやつを借りて読んでみてるんだけど。

うーん…。
さしものカナコさんにも、経営学はさすがに難しすぎるわ。


それにしても…。
あの子の夢を見ちゃうなんて、やっぱ今でもあたし、あの子がどうなったか心配なんだなあ。

あ…、そうだ。
メール来てたんだっけ。

え…と。

メールは伏見の東の方の、あるお寺の住職さんからだった。
幕末に薩摩藩と懇意にしていたそのお寺の、庫裏を改装していたら、不思議な手紙がみつかった。
慶応二年に書かれたと記してあるのに、あたしのメアドに連絡しろと書いてあった…って。

わお。
今見た夢って、何かの予感だったのかな。

あ…そうだ。
古い手紙の扱いには、ちゃんとプロを呼ばなきゃね。店主さんにもメールしとこ。

これで店主さんと二人でお出かけできる…とか…今、考えてるあたしって…。
やっぱ…現金?

まずいまずい。
あたしの顔、今きっと、一人でにやけて赤くなってるよね。

あたしは、また、急いで本で顔をおおった。

【Fin】

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