季節もの他

□高師の浜
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「うわあ、きれい」

見渡す限り続く白い砂浜。目の前には青い海。
浜を縁取るように、何千本もあるという広い広い松林が続いている。私がその林の先を探すように、頭をあげて遠くを見ると、強い潮風が吹きつけてきた。

「大久保さん、早く早く」
私は波打ち際でぴょんぴょん跳ねた。

海の向こうには、ふたつ、大きな陸地の影が青くかすんで見えた。

えーと…。
私は島影を指さしてみた。

「大久保さん、あっちの右の方は、兵庫(神戸)でしたっけ?んで、左は…あれ?」
「悩むな。お前は淡路島も知らんのか」
「だって…」
「まったく。ついでに言うと、淡路島の右側の海が明石海峡だ」

夏の午後おそく。
あいかわらず尊大な態度で、びしっと背筋伸ばして立ち、西の水平線近くの海を指さしながら、風に袖や髪の毛をなびかせてる大久保さんは…なんかむかつくんだけど、やっぱりかっこいい。
それに今日は、いつもより、ちょっとだけやさしい雰囲気がする。
あいかわらず嫌味は言うんだけど、見下し顔より微笑が多め、っていうか。

ちょっとだけ…じゃないな。
今朝いきなり、そう言えばお前はこっちでは海を見ていなかったな、案内してやる、と言われた時はびっくりした。

なんか急に、今日会う予定だった幕府の偉い人の都合が悪くなって、二日後に延期になって、大久保さんの予定があいたとかで。
も、もしかして…これは憧れのお誕生日デートというやつですか?
…と、私は、なんだかワクワクしてしまいました。

***********

一週間前、大久保さんに、お誕生日のお祝いに欲しいものはありますかって聞いた時には、ものすごーく冷淡にスルーされた。
ま、その時、高杉さんと20日の彼の誕生日話で盛り上がってて、なんかついでみたいに聞いちゃった私もいけないんだけどさ。

「ふん。朱子学では、誕生日というのは祝うものではない。今、自分が生きていることを、親や世話になった人間を偲んで、感謝する日だ」
と、ご高説をご披露されてしまいました(…って、この字でいいのかな。この文句は高杉さんの受け売り)

それでも、私は、年に一度のお誕生日くらい、何かお祝いしたいなって、何度か聞いてみたんだけどさ。
パーティーとかプレゼントとかなんて、不謹慎だみたいな顔されちゃって。
うーん…武士っていろいろ難しいなあ…と思っていました。
そりゃあその、人間、誕生して今生きてるのは、自分だけの力じゃなくて、親や周りの人のおかげだけど。正論なんだけど。
やっぱ…お誕生日って言ったら…ふたりで何か思い出になること、したいのになあ…。

その後、例によって、ちょっと大坂出張だから荷物持ちに付き合えって言われて。
そっか、お誕生日当日は、お仕事かあ…。夜も幕府の偉い人と宴会とかなんかなって、あきらめてたんですが。

いきなり、丸一日、ふたりで夏の海!ってことになって、びっくりしました。

ちょっと遠いけどきれいな浜辺があるからと、藩邸から船を出してもらって。
ますます二人で小旅行!って気分が盛り上がっちゃって、私は言った。

「そうと知ってたら、水着もってくればよかったなあ…」
「水着?」
「合宿先のスポーツセンターにプールあるって聞いてたから、スクバに入れといたんですよ。紺色の地味なスクール水着だけど」

「紺色…」大久保さんは少し考えた。「あの、金太郎の前掛けのような、あれか?」
「金太郎って…」と言いかけて、私もちょっと考えた。「大久保さん…私の荷物、勝手に覗いたんですか?」

大久保さんは無視した。「あんな破廉恥な格好で泳ぐつもりだったのか、お前は?」

「破廉恥って…」
そりゃ、江戸時代の人にはスクール水着でも刺激強いかもしれないけどさ。私はちょっと意地悪を言ってみた。
「そんなこと言って、大久保さん、ほんとは私の水着姿、見たかったんじゃないですか」
「…」
「言ってくれれば、お誕生日だし、大久保さんだけ特別に見せたげてもいいなーなんて」

すこーんっ。

「…いきなり、頭はたかないでくださいっ」

************

そして今、私は大久保さんと二人で海を見てる。
きっとこの辺は、二十一世紀なら人がいっぱいで、海もこんなに青くないんだろうけど…今は人が全然いなくて、二人の話す声以外は、波と風の音しか聞こえなかった。
なんだか、それだけのことが、すごい幸せに思える。

「最初は、ただ海を見に行くのに、ずいぶん南まで行くなあって思いましたけど…。
このへんって、藩邸近くの港と違って静かだし、ほんとにきれいですね」

「きれいか…まあ、そうだな。このあたりの浜は、昔から和歌にも詠まれているくらいだからな」
そう、大久保さんは言ったけど…声の調子は、きれいだから連れて来てくれたって感じには聞こえなかった。

「他に、何かあるんですか?」
「お前がさっき聞いたろう。兵庫の海岸と明石の少し沖合が同時に見える場所は、大坂の近くではこの浜くらいだ」
「…そのふたつに、何があるんですか?」
「誕生日は、自分が生きていることを感謝する日だと言ったろう。だから、お前に見せようと思った」

…えと。
話がかみあっていない気がするのは、私だけでしょうか。

「生きていることに感謝…?」
「ああ。薩摩を出て志士として活動するようになってから、今までに2回、ここで自分は死ぬのかと思ったことがある。
明石沖で船が沈んだときと、兵庫の海岸で西郷と刺し違える覚悟で談判する羽目になった時だな」
と、大久保さんは、ごく普通の口調で言った。

「…」

「固まるな」
きゅっ、と片眉がつり上がって、不機嫌そうな顔になる。

「…だって…」
いきなりそんなシリアスなこと言わないでください!何て返していいかわかんなくなりますってば!
私はとーっても深刻になっちゃってたんだけど、大久保さんには、今のカミングアウトは大したことないみたいだった。
つか、大久保さんに限らず、志士の皆さん、斬る斬らないとか死にかけたとか、気軽に言いすぎるよ…。

大久保さんは、私の顔色を見て、ふんと馬鹿にするような顔をした。
「子どもじゃあるまいしいちいち動じるな。別にお前の、大久保さん可哀相、などと言うくだらん戯言を聞きたくて教えたわけじゃない。
そうではなくて…」

それから、大久保さんはイライラしながら、もう一度、海の向こうにかすむ、対岸の明石や兵庫の青い山影をにらんだ。
「…ふん。お前は知らなくていいか。ただ、あの時に頭をかすめた馬鹿女に、いつかあの場所を見せてやろう、と思ったというだけの話だ。
とりあえず、私がどん底から這い上がる気力をくれたのは、あいつだからな」

「へ?」

「わからんやつだな」
と、大久保さんは不機嫌そうに振り返った。
「今はいつ戦になってもおかしくない。今はそういう時世だが…。
お前がここにいる限り、どんな死地に赴く羽目になっても、私は生きて戻ってくる。それを言うためにここに連れて来たんだ」

早口で怒鳴りつけるようにそう言うと、大久保さんは、くるんと私に背中を向けてしまった。

「大久保さん…」
「お前をこの時代に一人取り残すわけにはいかん」

…。
そか。
なんかもう…ものすごく回りくどい人だけど…。
言いたいことはなんとなくわかった気がした。

私もきっと…この時代でいろいろ辛いことがあっても、今ここに生きてて、これからも生きてやるって思えるのは、大久保さんがいるからなんだと思う。
…うん。気持ちは同じだけど、やっぱ本人に直接言うのは恥ずかしいや。それも同じか。

「あ…」
「今度は何だ」

「もう少ししたら、淡路島に夕日、沈みますね」

大久保さんは、ふん、話を聞かんやつだと文句を言った。そこで嫌味を言っちゃう大久保さんだって、話聞かない人だけどなあ。

私は黙って、背中を向けたままの大久保さんの左袖を端をつんつん、って引っぱってみた。
それでも強情にこっちを向いてくれないので、そおっと左側から回り込んで顔を見上げようとしたら、大久保さんも黙ったまま、私の左肩を抱いてくれた。
やっぱり今日は、ちょっとやさしい。

西の空はどんどん赤くなってきた。黒い島影に沈む夕日の光が、海に一面にこぼれてキラキラしてる。

「きれいだなあ…なんか花札の坊主みたい」
「なぜ博打に例える。情緒のカケラもないな」

「花札じゃダメですか…それなら…えーと…」
「団子や饅頭に例えても変わらんぞ」
「うー。いじわる…」
「いいから黙っていろ」

左肩に回された手に、少しだけ、力がこもる。
えへ。ちょっと恥ずかしくって、馬鹿言ってたの、バレちゃったかな。

だってさ。
大久保さんにとって特別な場所に連れて来てもらえたことは、すごい嬉しいし、ちょっと照れくさい。
それに、大久保さんの腕の中で見る夕日は、今まで見たどんな夕焼けより、素敵に見える。

いつか…。
斬るとか斬らないとか、戦とか、そんな心配をしなくていい時代になったら。
大久保さんの夢がかなったら。

また、二人でここに夕日を見に来たいね。
…私は、そう思った。

【Fin】

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