短編集
□私を祭りに連れてって
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ある日の夕方。
大久保さんが珍しくお仕事が終わった様子で、のんびりお茶を飲んでいたので、私は言ってみた。
「今晩、お祭りがあるって聞いたんですけど、見に行きませんか?」
「祭り見物?」
大久保さんは、それはもうバカにした顔で私を見た。
「武士がそんなものに行けるわけがなかろうが」
「でも、龍馬さんが、これからの時代は武士も町人もない。武士だからと言って祭りに参加していけないわけはないって」
「そんなに祭りに行きたいなら、寺田屋の浪人連中と行けばいいだろう」
「だって…」
…大久保さんと行きたいんだもん…って言いたいけど、何言われるかわかんないから、黙ってよ。
大久保さんはため息をついた。
「なんだその狆(ちん)のような顔は。頬をいくら膨らませても、ならんものはならん」
狆ってなんだろう?なんか変なものなんだろうな。
「お…大久保さんだっていつも、武士も町人もない世の中を作るって言ってるのに。
お祭りは町人のものだとか、バカにしてるんですか。それって変じゃないですか」
う…自分で言ってて、いかにも人まねのセリフだなーと思った、今。
案の定、大久保さんの反応は、ものすごく白けた感じ…つか、ほとんど憐れむような表情をされてしまった。
「愚か者が自分でも理解していないことを口に出す姿は見るに堪えんな」
そこまで言う?
横で聞いていた半次郎さんが口を出した。
「お御嬢さぁ、そいが問題ではありもはん…久光公が…」
一生懸命話してくれたけど、半分は薩摩弁でよくわかんなかった。でも、藩主のお父さんの久光公とゆーのが、やたら口うるさい人らしい。
んで…。
「武士らしくない行動したのバレたら切腹ぅ?」
「島送りの場合もありもす」
ぶ…武士がお祭り行っただけで、切腹?
ほんとに、時々忘れるけど、どういう世の中なのよ!
あまりにとんでもない話に頭をぐるぐるさせている私を見て、大久保さんはうそぶいた。
「小娘がどうしてもと言うなら祭りに行ってやらんこともないが、日本の将来と引き換えにするだけの覚悟はできているんだろうな」
そこまで大きい話…なのか、やっぱ。
「…あきらめます。…無理言ってごめんなさい…」
なんか、残念だけど…しかたないよね。
お祭り…行きたかったなあ…。
私ががっかりしていたら、その様子を見て、大久保さんが、それはそれは大きなため息をついた。
手を叩いて女中さんを呼ぶ。
「誰か、小娘の髪を結綿に直してくれ」
「え…」
「武家娘の格好で、祭りに行くわけにはいかんだろうが」
眉を吊り上げて、そう言い放つと、大久保さんは、やって来た女中頭さんに、事細かに指示を始めた。
自分も棚の引き出しから紐を取り出して、それをくわえながら髪を結い始める。
大久保さんの襟足って初めて見た。やっぱ肌がきれいだな…って、そういう話じゃない。
「だ…大丈夫なんですか?」
「町人姿なら、まあ問題にはなるまい。ばれた時はばれた時だ」
そっ…そんないいかげんなっ!
その話はもう少しツッコミたかったけど、私は髪結いの準備のできた女中さんたちに、別の部屋に連れ去られてしまった。
****
さすがに正門から堂々と出るわけにはいかなくて、大久保さんは裏門で私を待っていた。
「準備はできたな」
面白いものでも見物するように、薄く笑いながら、町娘姿の私を上から下までじろじろ見る。
大久保さんも町人姿。
黒っぽい透かし模様の羽織みたいのに、下は小紋の着流し…っていうのかな、普通の着物…なんだけど。
「えっ…」
色違いだけど…柄は完全に私の着物と一緒じゃん!
こ…これはけっこう、恥ずかしいかも…。
「何をグズグズしている。行くぞ!」
と、さっさと歩きだす大久保さん。
「は…はい…」
あわてて追いかけたけど…。
「ほ…ほんとに大丈夫なんですか」
「何を今さら。こうやって出かけた以上、祭りに行こうが、途中で引き返そうが、露見したときの処分は同じだ。
おなごのワガママに付き合って、腹を割るのもまあ男子の本懐。一興だろう」
そういう、不安をあおるようなことを言わないでください。
てか、後ろの方は意味わかんないです。
「まあ、実のところ、縁日に行くのは今日が初めてではない」
「見に行ったことがあるんですか」
「食うに困って、香具師のまねごとをしたことがある」
…それは…ちょっと違うような。
****
お祭りは…ほんとに楽しかった。
色んなお店があって、色んなものが売られてて、ワクワクしたし…。
大久保さんが意外に的矢でムキになったりして…ちょっとかわいかった。
だけど、なんか別の意味で、とってもドキドキしてしまった出来事でした。
あ…いちおう、今のところ、お咎めなしです。
てか、町人のかっこで行けばOKって、実は暗黙のルールらしい。まあ、100%OKってわけでもないみたいだけど。
うーん…早く言ってほしかった…。
でもまあ、楽しかったから、いいことにしよ。
【Fin】