短編集
□煙草喫みの言い訳
1ページ/1ページ
それは二本松藩邸まで、大久保さんの書類持ちでついて行った日の、帰り道。
大久保さんがごほうびにお菓子をおごってくれると言い、掛茶屋…今でいう茶店ですね…の軒先の緋もうせんに二人で腰かけた。
私は何を頼もうかなあ…としばらく悩んでいたんだけど、大久保さんはさっさと手を打って店員を呼び、たばこ盆をレンタルした。
腰のたばこ入れから、ご愛用の銀ギセルを取り出して、ちょいと優雅な手つきで火をつけると、すっかりくつろぎモードで吸い始める。
…なんだ。
茶店に寄ったのは、結局自分がたばこ吸いたかったからでしたか。
いや、おごってもらう身で、そういうことを言ってはよくないか。
私は自分のぎんつばをつつきながら、でもちょっと煙いな…などと思った。
大久保さんは私がそんなことを考えてるのも知らず、キセルの先でたばこ盆をコンコンと叩きながら、
「この羅宇(らう/キセルの管のこと)も詰まりやすくなったな…そろそろ、すげ替えるか」
などと言っている。
大久保さんはほんとにたばこが好きみたいで、道具にはけっこう凝る。時々、自分でたばこの葉を刻んでいたりする。
けど…。
「…大久保さん、そんなにたばこばっかり吸って、体によくないんじゃないですか?」
幕末の人に言ってもしかたないけど…やっぱり肺がんとか、怖いよね。
「やっぱ、たばこって…百害あって一利なしと言うか…」
「なに、利ならあるぞ」
「あるんですか?」
「ああ。頭が晴れ晴れとして、バカな小娘がくだらんことを言っても、大きな気持ちで笑って許そうという気分になる」
また、そういうことを。
ちょっと、ムカっとする。
「たばこは煙を吸わされる方にだってよくないんですよっ」
と、当てつけがましく、ちょっと大久保さんから離れてみる。後ずさりして、
「これくらい離れたって、煙を吸ってると…」
「おいっ、後ろ…!」
「きゃっ!」
どん!っと私は背中から思い切り誰かにぶつかった。
同時に、ぷぅんとお酒の匂い。
振り返ると、なんだかとにかく体の大きい、薄汚れた着物の浪人みたいな人が、ふたり。
酒臭いし、私を見てへらへらっと笑って、すごい嫌な感じの人たちだった。
「なんだなんだ、このアマ」
私は、店の前をちょうど歩いていたこの人たちに、ぶつかっちゃったみたい。
「ごっ、ごめんなさい」
「何、武士に突き当たっておいて、御免ですむと思うか、そこへ直れっ!」
相当酔っぱらっているみたいで、いきなり刀を抜こうとする。
大久保さんは、あきれたように、はぁとため息をついて、立ちあがった。
「小娘、おまえは菓子ぐらいおとなしく食えんのか」
そういうと、ひょいと私を引っ張って、自分の後に立たせると、ふたりの浪人の前に立つ。
「申し訳ない。連れが不調法した。このとおり、何もわきまえの無い愚鈍なおなごゆえ、ご容赦願えぬか」
「けっ、ご容赦とは…尻腰のねえ痩せ侍がっ。女連れでにやけていても、いざ刀を抜くのは怖いか」
「それが謝る態度かっ。娘と一緒に四つに斬ってくれる」
そう言って、唾を吐きかけてきた。
「…小娘ごときを避けられんだけあって、こいつらも愚鈍と見えるな」
と、大久保さんは、ものすごーく面倒くさそうに、言った。
「何をっ」
二人が一斉に刀を抜いて、斬りかかってきた。
それと同時に。
大久保さんが、ぽん、とキセルを叩くと、火のついた灰の塊が勢いよく飛び出し、左側にいた浪人の眉間に当たった。
「ぎゃっ!」
そのまま、袈裟がけに斬り下ろそうとした右側の浪人の懐に飛び込んで、キセルの先を思い切り、みぞおちに突き立てる。
「ぐぉっ!」
右側の浪人は、そのまま悶絶した。
その勢いで、大久保さんのキセルは二つに折れていた。
左の浪人は、ようやく体勢を整えて、斬りかかろうとしたけれど…。
その喉元には、すでに大久保さんが折れたキセルの先を突き付けていた。
浪人は、そのまま硬直し、動けなくなった。
「喉仏をつぶされたくないのなら、このまま大人しくどこかへ消えることだな」
「ひっ」
大久保さんは空いた方の手で、地面に小判を投げた。ちゃりん、と景気のいい音がする。
「小娘の不調法のわびだ。取っておけ。そして、二度と顔を見せるな」
浪人は、はいつくばってそれを拾うと、連れを必死に引きずりながら、逃げて行った。
大久保さんは、やれやれといった風情で、肩をすくめてみせた。
「ご…ごめんなさいっ。私のせいで…」
と、私は言った。
ふん、と大久保さんは鼻先で笑った。折れたキセルのもう半分を地面から拾いながら、
「まあ…こういうふうに、たばこを吸っていると便利なこともあるわけだ」
などと、うそぶいた。
そ…そこですか?
「あの…キセル、折れちゃって…すみません…」
「なに。どうせ羅宇は買い替えるつもりだったからな」
そう言いながら、私の手をつかんで、二つに折れたキセルを手のひらの上にのせた。
「小娘、こいつはお前が弁償しろ」
「ご…ごめんなさい…」
「まあいい。お前は知らんだろうが、キセルの羅宇と言えば、おなごが惚れた男に贈るものの代表格だ。
お前に私のキセルの羅宇を買う権利を与えてやるんだ。光栄に思え」
「…は…?」
大久保さんは、あっけにとられている私を無視すると、茶店の主人にもやはり小判をあげて、さっさと茶店を出た。
「行くぞ」
そう言って、すたすた歩きだしてしまう。
「あ…待って…」
うーん…。
よくわかんないけど。
私は、手の中の折れたキセルをながめた。
この吸い口、さっきまで大久保さんがくわえてたんだよね。
どんなの買えばいいか、見当もつかないけど。
せっかくご指名いただいたんだから、なんとかがんばって選ぼ。
私は、なぜか知らないけど、妙にうれしくて。
大久保さんの後ろを歩きながら、大事に大事にそのキセルを握りしめて、藩邸に帰った。
【Fin】
*****
ちなみに、タイトルの「煙草喫み」は「ヘビースモーカー」の意味です。
<2011/7/30>