短編集
□小娘の最強のライバル?
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その日、薩摩藩邸は朝から幸せオーラに包まれていた。
そーゆーことって、滅多にない。つか、私の知る限りでは初めてかも。
暗黒の不機嫌オーラに包まれることはけっこう多いんだけどね。
もちろん、オーラの出所は大久保さんである。
不機嫌な時は、まあ、藩邸の人間がみんなしてビクビクして緊張しまくっちゃうわけだけど。
幸せオーラも…みなさん慣れないものだから…な、何が起きるんだろうって、あせっちゃうわけなんですね。
はっきり言って、ちょっと迷惑かもしれない。
妙に機嫌のいい大久保さんが、女中さんの活けた花を「なかなかいい」なんて褒める(!)なんてことがあると、女中さんがびっくりして花器をひっくり返しちゃったりするわけです。
おまけに、花器をひっくり返して、大久保さんの服に水がかかっても、まったく気にした風もなかったりする。
ここまで来ると、かえって不安になります。
私は、半次郎さんと賭けをしてみた。
大久保さんにお茶を持ってくとき、いつもの極渋玉露じゃなくて、わざとほうじ茶を持って行ったら、どうなるか。
私は、怒られる方に賭けたんだけど…。
大久保さんは、気持ちよさげに笑いながら
「たまにはこういう茶もいいな」
と言っただけだった。
うーん、半次郎さんの予測が当たってしまった。くやしい。
なんで、自分が怒られる方に賭けたかって?
だってさ。
大久保さんが、朝からずーっとこんなに機嫌がいいのは、今日の夕方、薩摩からある人が着くから…なんだよね。
なんかさ。
私が薩摩藩邸にいても、しょっちゅう機嫌悪くするくせにさ…。
その人がただ来るって予定があるだけで、ここまで機嫌よくなっちゃうって、何よ?って思った。
なんかくやしい。
そりゃ…そんなヤキモチ、バカバカしいって思うけどさ。
だって…その人、男の人だし。
そんな私の気持ちも知らず、大久保さんは
「西郷は、遅いな。まだ着かんのか」
などと、言ってる。
「まだ、お昼を回ったばかりです。そんなに早く、着きません」
「そうか?」
うーん…。
来る前からこの調子だと、来たらどうなっちゃうんだろう?
夕方だしさぁ…。夕日しょって、抱き合って、感動の再会?
…にっ、似合わないっ!
そこまで行かなくても…素直な笑顔で出迎えて、遠いところ大変だったろうとか言ってる姿だけでも…想像つきません。
私が、そんなことを考えた話をしたら、半次郎さんがふき出した。
「いやぁ…お御嬢さぁが、泊りがけで藩邸を空けて戻って来た日と、そんな違いありもはん」
そんなこと、ないと思うけどなあ。
そうこう言っているうちに、夕方になった。
なんかちょっと怖いもの見たさと言うか…ライバル意識(?)と言うか…なんかだんだん好奇心と期待が高まってきてしまった。
時々ちらちらと藩邸裏の船着き場の様子をうかがっていたら、そのうち、ちょっと騒がしくなって、船が来る気配がした。
船が着いた。
日が傾いて、夕日に照らされながら、船からたくさんの荷物が降ろされる。
それから、乗っていた人たちが降りて来た。
で…でかい…。
21世紀で言うなら…えーと…ターミネーターやってた元知事さん(名前忘れた)と、お付きのSPって感じ?
うちの高校の柔道部連中も、こんな感じだったけど…。
とにかく、おっきくて、ごつくて黒っぽい服の男の人たちが大勢、ひと塊になって船を降りた。
大柄で迫力のある人たちに取り囲まれていながら、真ん中で、さらに一回り大きい体で、ひときわものすごいど迫力のボスキャラ風オーラを出している人が…たぶん、西郷さんだ。
それはいいけど…大久保さん、あんなに待ってたのに、なんでいないんだろ?
…と思ったら、呼ばれたからしかたなく出てきた…みたいな風情で、面倒くさそうに、大久保さんが藩邸の建物から出てきた。
船着き場へ降りずに、その手前の階段のてっぺんに立って、ふん、という様子で西郷さんを見降ろしている。
夕方で、川風も出ていたから、大久保さん、風しょって見下し姿勢で…どういうわけか、熱烈歓迎と言うより、決闘に来ましたみたいな雰囲気だった。
でもって。
「ふん、よく来たな」
「ああ」
…。
こ…これで、あいさつ終わり?
西郷さんと取り巻きは、そのまま事務的な感じで、船着き場の階段を上って、藩邸に入った。
途中で、大久保さんが、スッ、と当然のように西郷さんの左について歩き出す。
「まったく、何もかも私ひとりに手配させて、今頃ご到着とは呑気なものだ」
と、ぶつくさと嫌味を言う。
「すまん、つい、利通に任せておけば、安心だと思ってな。おはんの手にも余ったか」
「余るわけが無かろうが!」大久保さんがちょっとムキになって言い返す。「…あいかわらず、調子のいい男だ」
大久保さん、いつもの斜に構えた表情なんだけど、なぜか嬉しそう。
うーん…。
よくわかんないけど…。
この二人は、いつもこういうノリなんですね。きっと。
そんなことを考えて、ぼーっと見ていたら、西郷さんが私に気づいて言った。
「利通に嫁女ができたと聞いたが、こん娘か?」
よっ…嫁ぇ?
「だっ…誰が…」
あ…あれ?
大久保さんとハモってしまった。こんなの初めてだ…。
西郷さんはおかしそうに笑った。
…もしかして、わたしたち、手玉に取られてます?
なんか…。
けっこうたいへんな人が来たのかもしれない…。
と、私は思った。