短編集

□序幕・大久保さん視点
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幕恋初日、序幕

【薩摩藩 大久保利通】

長州という藩は、どういう藩なのか。

薩長同盟関連で長州の連中としげく接するようになってから、しばしばそう感じるようになった。
…まあ、以前から感じていたことではあるが。

どうも書生気分の連中が、派手な議論をぶち上げては、お祭り気分で集団で突っ走り、訳の分からない行動に出る。
そして、いい大人どもが、それを止めようともしない。
そういう印象は、ある。

その疑問は土佐の脱藩連中にも言える。
しかし、そもそも常識人なら脱藩などせんだろう。こいつらに関しては、多少言動が変でも、想定の範囲内ではある。


今回も、何やら首をかしげることが多かった。
まず、土佐連中がなぜか私を長州藩邸に案内すると言ってきた。
しかし、案内も何も、伏見の薩摩藩邸から三条の長州藩邸へは、川舟で行けばただ上流に向かってまっすぐ北上するだけである。
行先が本当に長州藩邸なら、あの屋敷も薩摩藩邸と同じく川に面しており、それなりに大きな船着き場もある。迷う心配などない。

案内など特に要らんと断ったが、あまりにしつこく主張するので、根負けしてつきあうことにした。
するとなぜか、水路でなく、陸路を徒歩で行くと言う。
新選組に追われている連中が、なぜ川舟でなく徒歩でくねくねと長州藩邸に向かいたがるのか、どうも理解に苦しむ。

脱藩浪士どもの逗留先は薩摩御用達の寺田屋という船宿である。
私や朋輩も四年ほど前まではあの宿を懇意にしていたが、他の船宿と同じく、どこかに出かけようとする毎に、船の方が速いとそれはしつこく勧める。
長州藩邸と薩摩藩邸の位置関係を、やつらが知らんはずはない。

そのあたりをそれとなく聞いてみたが、何やら陸路が当たり前かのような返答が返って来るばかりで、埒が明かない。
いったいやつらは、何をたくらんでいるのか。


まあ、いろいろと不可解なことは多いが、持ちかけてきた話自体は悪いものではない。
それを断る道理もないので、徒歩の移動で時間を食うのは癪ではあるが、やつらの言うままに付き合ってやることにした。

そうして、出かけて行ったのはいいのだが…。
きゃつらは、こともあろうに、途中で何やらよくわからん座敷に私を一人置き去りにして、そこで待っていろと言う。

あの時はさすがに、長州の奴らめ、ひとを升落し(罠)にかけて暗殺でもするつもりか…と、一瞬疑った。
なにしろ、敵を知らん座敷に呼び出して一旦放置し、別部隊に集団で斬り殺させた上で、自分が留守の間に襲撃されたと主張する…というのは、あまりに定石通りの粛清の手口である。
それに、長州にはそれだけのことをされる程度には、恨みを買っている。心当たりなど、いくらもある。

しかし、驚いたことに、本当に土佐の奴らは、待ち合わせをしているにすぎなかった。
おまけに、こんなやり方をすれば私がどう受け取るか、まったく思いつきもしていないようだ。非常識にもほどがある。
あきれて文句のひとつも思いつかん。

さらに非常識なことには、きゃつらは妙な小娘を連れて現れた。
髪を振り乱し、膝上まで肌を露わにしたあられもない風体で、一瞬、夜鷹か狂女かと疑った。少なくとも、身分のある武士が連れ歩くような女ではない。
実に不可解な行動であるが、特に本筋とは関係ないので、小娘とのやり取りの詳細は省くことにする。


しかし、本当に解せなかったのは、長州藩邸とやらに着いてからのことだ。

その、やつらの言う長州藩邸に我々が着いてみると、妙なことに長州藩士が一人も出迎えに顔を見せない。
このまま建物内に入っても、人の気配すらない。

これは、一体どうしたことだ?

しばし考えてみたが、何とも解しがたい。

まあ来客に対して無礼であろうということもあるが…それ以上に、今の私の立場は、お前たちの仇敵だぞ?
そんな者に、長州の京の拠点であるこの屋敷の入口を、見張りも付けずに無防備にさらしておいてもいいのか?

実に不可解だ。

興味を持ったので、さらに人目を減らしてやろうと思い、試しに、土佐連中に
「よし、ご苦労だったな。お前らはもう帰っていいぞ」
と言ってみた。
すると、本当に帰りそうなそぶりをした。

どうやら、こいつらも、長州から私を見張れと託されているわけではないらしい。

何やら面白くなって、その連中と別れて、そのまま、一人でずんずんと屋敷の奥へ向かってみた。
誰も、止めない。

それどころか、人の気配がまったくしない。
薩摩藩邸なら、忙しく行きかう人間に、何度かすれ違ってもおかしくない状況なのだが…。
そう言えば、私以外に訪ねて来ている人間もいなかった。妙な話だ。

確かにその時は薩長同盟の交渉が進行中ではあったが…長州藩でもごく一部の連中しか知らん話のはずだ。
長州藩士、特に下々の連中には、「薩賊会奸」などと草履裏に書いて、踏みつけて歩くなどというふざけた習慣もはびこっていると聞く。

そういう連中にとってみれば、私なぞは、ここで会ったが百年目とばかりに、出会いがしらに袈裟がけに斬りつけられてもおかしくはないほど、憎い相手だとは思うのだが…。

何しろ、今の私の格好は、薩摩拵えの大小を差して、三つ藤巴の家紋を大きく染め抜いた羽織を着ている。
誰が見ても、薩摩の大久保だということは、一目でわかりそうなものだ。

そんな恰好で、薩摩憎しの連中の巣のような建物の中を、ひとりでふらふら歩いていれば、すぐに見咎められそうなものだが…。
しかし、まったくそんな気配はない。
さすがにここまで無防備な様子を見せられると、一応敵方である私としては、ちょいと悪戯してみたいような誘惑に駆られた。
遠狼煙(時限発火装置)を仕掛けてみようか、井戸に薬でも投げ込んでみようか、などと一瞬くだらんことを考えた。が、あいにくとそういった気の利いた物の持ち合わせはなかった。実につまらん。

しかし、長州という藩は規律がゆるいとは聞いていたが、ここまで危機管理がなっとらん状態で、幕府と戦をしてはたして勝てるのだろうか?
何やら心もとない気分になってきたぞ。
こいつらと同盟を結んでも、本当に大丈夫だろうか…。

とりあえず気を取り直して、今回の訪問先の客間に着き、声をかけて中に入った。

部屋の奥に座っていた男が、ぎょろりとした両目を上げ、私をにらんだ。
いや、本人はにらんでいるつもりはないのだろう。黒い毛虫を二匹貼りつけたような眉毛では、にらむ以外の表情はできんものと見える。

高杉君はこの男を火吹きダルマと呼んでいるらしいが、確かにそんな面相をしている。

「大村君、待たせたな」
と、言ってみたが、特に相手は返答をするでもない。
別にこちらに怒っているということもなく、淡々とした様子で、早く続きを言えという顔をしている。

「大坂の適塾に、君が緒方先生の法事で顔を出していると聞いてな。桂君経由で、君に京都に来てもらうように頼んだわけだが…。
この暑い中、大坂から京都まで、たいへんだったろう」

そう、私が言うと、火吹きダルマは真面目な顔で

「夏は暑いのが当たり前です」

と答えた。

よほど無駄話が嫌いらしい。

まあ要するに、小娘のさかんに言うところの、空気が読めない人間なのだろう。

しかし私はどちらかと言うと、読まんでもいい空気を小賢しげに読んで見せる種類の人間の方が好かんので、この火吹きダルマの返答は大いに気に入った。

私が、ここを訪ねてきた本題を切り出そうとすると、何やらぱたぱたと騒々しい音を立てて、男が二人、座敷に入ってきた。

生っ白い丸顔の妙に愛嬌のある男と、色黒で貧相なひょろりとした陰気な男。
どちらも、今の京には珍しく、ザンギリ頭に黒い筒袖の洋装姿だった。

「いやあ、大久保さん、お待たせして申し訳ない」
と、丸顔の方が言った。

この二人組には以前にも会ったことがあるが、常に丸顔の方が二人分以上にぺらぺらと話し、色黒の方は黙って不愛想に話を聞いている。
「ちょっとそこで面白い女を見てしまいまして。つい見入ってしまいました」

「君も相変わらず、暇そうだな」

「とんでもない。そりゃあもう大忙しですが…忙しくても女の話は別です」
と、悪びれもなく、へらへらと笑う。

「いやあ…土佐の脱藩連中が拾って来たらしいんですがね。
露出狂のような恰好をしているから、年増になりすぎて売れなくなった夜鷹でも迷い込んだかと思いましたが、中身は番茶も出花の十七八。
なかなかきれいな肌を惜しげもなくさらして…いい目の保養になりました」

「あの洋装の小娘か」

「おや、大久保さんもご覧になりましたか。
あれは…洋装とは言いませんねえ。倫敦(ロンドン)の売春婦も、よほど酒手(チップ)をはずまないと、あそこまで脚を見せてはくれませんでしたよ」

そう言いながら、なぜか自慢げに黒目がちの犬のような目を、くるくると動かす。

「君は…ロンドンまで女を買いに行ったわけではあるまい」

「ははは…。実はそうかもしれません。しかし、女はやっぱり日本人に限りますな…。異国女はどうも肌の滑らかさに欠ける」

何なんだ、こいつは。

長州というのは…まったく一体全体どういう藩なんだ?

私は、大きくため息をついた。

私は、本当にこんなやつらと同盟を進めてもいいのだろうか?

まあ、いい。

今日の話し合いは、できるだけ早く、可及的速やかに、電光石火で片づけてやる。

あの小娘は、どうせ行くあてもないだろうから、今頃は長州藩邸と寺田屋のどちらに世話になるかなどと、愚にもつかん算段をしているに違いない。

しかし、こんな連中の息のかかった場所に、あれを置いておくわけにはいかん。断じていかん。

小娘の身が心配だと言うわけではない。
長州の風紀の乱れをこれ以上見逃しておくわけにはいかん、という意味だ。

「今日の議題は、エンフィールド銃とスナイドル銃のどちらを購入すべきかという話ですので、その話題を始めます」

と、火吹きダルマが突然、丸顔の話を遮って、勝手に話し出した。
やはりこいつは、使えるな。

色黒の方は、相変わらず黙っている。

さて。
火吹きダルマのやたらと細かい技術者然とした説明を聞きながら、私は考えた。

あの小娘、どうせ今頃は高杉君あたりにつかまっているだろうが…。
どうやってひっさらってやろうか。

なに、これも長州のためだ。感謝してもらわんとな。

【Fin】


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