短編集

□ポオトレエト
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≪ポオトレエト≫

[大坂 薩摩藩邸]

「あなたの瞳はギリシャの海のように美しい」
と、その人はいきなり初対面で私の両手をがしっ、と握ると、そう言った。

…大久保さんの目の前で。

その人を連れてきた慎ちゃんが、あまりの成り行きに硬直してました。

正確に言うと、「あなたの瞳は…」という日本語のセリフは本人が言ったわけじゃなくて…。

「あー、彼は、あなたの瞳はギリシャの海のように美しい、と言っています」
と、横にいた金髪のお兄さんが、ものすごーく嫌そうに訳してくれました。

私の手を握ったのは、いかにもイタリア系アーチストって感じの30才くらいのひと。すごく手入れのよさそうなオシャレ系のヒゲを生やしているけど…それが余計、女好きっぽく見える。
横で、肩をすくめて、つくづくあきれ果てたという顔でいやいや通訳しているのは、ドイツあたりのなんか硬派っぽい顔立ちの、20才くらいの短い金髪のお兄さん。

「フェリックス…xxxxxxxx」と、金髪のお兄さんはとっても早口で何か英語で言った。たぶん、彼女を放せとか言ってんだろうと思う。

「オオ、アレックス…xxxxxx」と、ヒゲ面アーチスト(?)の方が答えたけど、手は放してくれない。

フェリックスとアレックスって…。何かのコンビですか。

えーと、えーと…こういう時は…。
放してくださいって、英語で何つったっけ…。

「ぷりーず、れっと、みー、ごー!」と私は、つっかえつっかえ言った。

フェリックスさんがびっくりしたように手を放す。
私はあわてて大久保さんの後ろに隠れた。

あ…危なかった…。

大久保さん、無言のまま手袋を半分脱ぎかけてました。あとちょっと遅かったら、これで思い切りフェリックスさんの顔をはたいていたに違いない。
そしたら、国際問題だよ…。

「なんだこの貧相な熊のような男は。英国では動物園とやらいうものがあるそうだが。
出張興業でもやる気かね、シーボルト君」

「いいですねえ…日本にも動物園があるなら、放り込みたいですよ。この男のお守りは疲れた」
と、なんかむちゃくちゃ自然な、年相応のカジュアルな日本語で、アレックスさんは答えた。
まだ20才くらいなのに、かなり日本には長く暮らしてる感じがする。
見た目が金髪碧眼なのに、さりげない体の動きとか、姿勢とかが、外人ぽくなくて、ふつうの日本人の男の子みたいなところがある。

「だいたい、こんな若くてきれいなお嬢さんが、三十男なんか相手にするはずがないじゃないですか。ねえ。
ぼくと君なら、年が近いからお似合いかもしれないけれど…」

アレックスさんはにっこり笑ったけど…。

なんかますます状況が悪化した気がして…怖くて大久保さんの顔が見られません…。

「し、しーぼると…さんですか?」

私は無理やり話題を変えた。シーボルトって…聞いたことはあるけど…。

「あれ…?お医者さん…じゃ…なかったでしたっけ?」

アレックスさんはげんなりしたような顔で、肩をすくめた。
「長崎で医者やってたのは、親父のフランツ・フォン・シーボルトです。ぼくは、アレックス・フォン・シーボルト。英国公使館で通訳やってます。
まったく…親父も変な事件とか起こして有名になるから…。
なんか会う人ごとに説明してて、いい加減、飽きた…」

「す…すいません…」

「ついでに言うと…つか、そもそも自己紹介もしないうちから、何やってんだ、こいつって思ったでしょうけど…。
この男はフェリックス・ベアト。写真家です。
日本中を撮影旅行しているそうですが、この通り日本語がダメなんで…。このクソ忙しいのに、ぼくの跡をついて歩いちゃ、邪魔してるわけです」

「しかしだからと言って、薩摩藩とイギリスとの政治的な連絡の席に、こんな熊男を連れてくる必要はなかろう」

大久保さん…熊男って…。もう完全に敵視してますね。

「あ、この熊の用のあるのは、こっちの可愛いお嬢さんなんで…ぼくらが会議やってる間にちょっと用向きを済まさせていただけたらと」

アレックスさんまで、熊って言ってる…。なんか、この二人、皮肉屋同士、気が合うかも。

「す…すいません…グラバーさんに、誰か洋装の似合う日本人女性を紹介してくれって、頼まれたっス…」

と、今までずっと圧倒されていた慎ちゃんが、やっと口をはさんだ。

「日本人女性を紹介…?」

大久保さんの額のあたりで、なんかピキッとでも音のしそうな反応。

「あ、その、変な意味じゃありません。その、今の日本の変化を写真に撮って、欧州のかわら版屋に送りたいんだそうっス…」

すると、フェリックスさんが何やらさかんに訴えた。

「えー…、このお嬢さんは自然にドレスを着こなしていて素晴らしい。日本人女性も西洋の猿真似ではなく、自らの美を主張できることを広く世界に知らしめたい、だそうです。
この熊も、たまにはまともなことを言う」

アレックスさん…ひとこと多いよ。

「まあ、薩摩藩の女性が洋装を着こなしている写真を欧州で出版すれば、徳川幕府より近代化が進んでいるという印象を、欧米列強に植え付ける役には立ちますね」

「へ…?」

なんか、ただ私の写真を撮るってだけの話が、外交の難しい話に化けちゃったり、してる?

「それとも大久保さんは、このお嬢さんの姿が欧州の男どもの目にさらされるのは耐えられませんか」

「何をくだらんことを言っとる!」

「いや、うちのサトウにそう言えば大久保さんは許可してくださるだろうと言われまして」

「ふん。馬鹿馬鹿しい。最初から反対はしとらんだろうが」

そう言いつつ、むっちゃくちゃ機嫌悪そうなんだけど…。

「あのー…大久保さんと一緒の写真じゃ…ダメですか?」

私は、大久保さんの後ろに隠れながら言ってみた。
なんか、フェリックスさんと二人っきりで写真撮るのって、ちょっと怖いっていうか…。いろんな意味で。

フェリックスさんが何か言う。
「男は邪魔だ、要らん、だそうです」

「失敬なっ!」

フェリックスさんはそれを無視すると、何やらルンルン言いながら、持ち込んできた写真機材を組み立て始めた。この人もけっこうマイペースかも。
興に乗って来たのか、準備をしながら、朗々とイタリア民謡っぽいのを歌い出す。

「熊が吠えとるぞ」
「まあ、害はありませんから、歌わせといてください」
と、変に息の合った皮肉を言う二人。

慎ちゃんだけ、一人でおろおろしてました。

フェリックスさんは撮影準備を整えると、私に椅子を持ってきて、ここへ座れという身振りをした。

私のポーズが気に入らないみたいで、フェリックスさんがちょっと私のスカートをつまんだら、大久保さんはものすごく大きな咳ばらいをした。

「さて…我々も会議に入りますか」
と、アレックスさんが、大久保さんと慎ちゃんに言う。

えーっ、行っちゃうの…?
なんかフェリックスさんと二人きりだと、べたべた触られそうで嫌なんですけど…。
と、思ったら…。

大久保さんが、当然のような顔をして、椅子を3脚持ってくると、撮影をしようとカメラを構えているフェリックスさんの横にでんと置いた。

「へ…?」

「会議なら、ここでもできる」

続いてやっぱり、当然って顔で、机を持ってくると、3脚の椅子の前に置いた。

で、椅子の一つの上にふんぞり返って座り、高く脚を組んだ。

「熊にはさっさと撮影しろと言え」

なんか、その様子がおかしくって、私は思わず笑ってしまいました。

「オオ、ワンダフル。ザットスマイルっ」
…みたいなことを、フェリックスさんは叫んだ。もちょっと長いセリフだったけど。


結局、大久保さんにずーーーっと見張られて、ちょっと大人しくなったフェリックスさんは、それでもいっぱい私の写真を撮った。
で、その後で、現像したのを何枚かくれたんですが…。

その写真を見た大久保さんは、なんだかちょっと不機嫌そうだった。

なんでだろうなあ…と、いろいろと聞きだしてみたら。

「何だこの幸せそうな顔は。熊に写真を撮られるのがそんなに嬉しかったのか」

と言ったので、私はくすくす笑ってしまった。

「大久保さんが見張っててくれたのが嬉しかったんだもん」

「何だそれは。お前は一人で異人の相手もできんのか」

なーんて言っちゃって。素直じゃないなあ…。

写真は同じのが何枚もあったので、京都に帰ってから慎ちゃんが皆も欲しがっているって言うから分けてあげたんだけど…。
その時も、大久保さんはなんか不満そうでした。

もう。
写真一つ撮るのも、いろいろたいへんです。

…楽しいけどね。

【Fin】



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