人物録

【み】 3件

【三木琴仙子 (みきことこ)】
お琴さんは家老の小松さんの京都妻で、小娘やカナコと同い年ぐらい。
幕恋の年に、小松さんの長男の安千代君を産む。

小松さんは幕恋当時ぐらいからかかっていた病気が重くなり、明治3年(1870年)に大阪でお琴さんに看取られて亡くなる。

小松さんは遺言には、小松家を鹿児島と大阪に分割して、それぞれ養子の右近君と安千代君に継がせろと書いていたんだけど、小松さんの死後、小松家が大反対して、結局、安千代君はお琴さんと引き離されて、鹿児島の小松家でお千賀さんに育てられることになる。
安千代君、よっぽどさびしかったらしくて、大阪から船が着くたびに家を抜け出して、妹が乗って来なかったかと見に行っていたらしい。

お琴さんは大阪で、娘のお寿美ちゃんと二人で、五代さんの家に世話になる。
もしかして、これって五代さんとゆくゆくは恋愛関係?と思いたいところですが、当時五代さんは結婚したばかり。新婚夫婦と同じ邸で暮らすって、居づらそうだなあ…。

お琴さんは4年後、26才の若さで病死する。お寿美ちゃんは鹿児島に引き取られ、兄の安千代君と一緒に暮らすことになった。
そして、当時の鹿児島では考えられなかったことらしいんですが、お千賀さんは、お琴さんの最期の希望を聞いて、小松さんのお墓のそばに葬ったそうです。

なんかけっこう、お琴さんって可哀相なんだよなあ。


【皆吉金六 (みなよしきんろく)】
大久保さんの母方の一番年上の伯父さん。
医者の息子なのに跡を継がず、弟に譲った。
城下でも特に強い柔道家として知られ、加治屋町の少年たちはみなこの伯父さんから柔道を習った。
もちろん甥の正助君もみっちりしごかれたらしいが、胃弱のため武芸修行は十五六才ころまでで挫折。

お由羅騒動の時は、大久保さんの借金の証拠人になってくれた。


【皆吉鳳徳 (みなよしほうとく)】
大久保さんの母方のおじいちゃん。蘭方医。
藩医だったが、1808年の近思録崩れで処分され、寺に蟄居。のち、町医者になる。
海外のことが大好きで、この時代ですでに、筒袖の服をいつも着ていた。
孫の正袈裟君が8才の時に病気となり、一生懸命看病したものの、30日後に亡くなる。

近思録崩れとは、薩摩藩のお家騒動。
秩父太郎が作った『近思録』の勉強会の面々(近思録党)を中心とした藩政改革をきっかけに、藩内で藩主の父、島津重豪と側室お登勢の方の派と、藩主斉宣と家老秩父太郎や近思録党の派の争いになった。

大久保さんと西郷さんがお由羅騒動の直後に、『近思録』の勉強会(後の精忠組)を作るのは、これにならったから。
つまり、大久保さんって親子三代にわたってお家騒動に巻き込まれてるわけですね。



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