人物録

【わ】 1件

【和田昌景 (わだまさかげ)】
1780年(安永9年)〜1851年2月12日(嘉永4年1月12日) 享年72才

桂さんの実父。長州藩医。専門は蘭方の眼科と針治療。

周防国八代村の村医者、藤本玄盛の長男として生まれ、萩に医術の勉強に出て、藩医の和田文景の養子になる。
家督相続してすぐ藩主の御側医(侍医)となるが、側近の属する手廻組ではなく、御番医(御用達の医者)の属する寺社組のままだったので、身分的にはかなり下級の武士である。
寺社組は無給通といって土地はもらえない。昌景さんは藩医の給料として米で20石もらっていたが、それでは暮らせない。なので町医者として患者を診察することも許されていた。

46歳の時、参勤交代のお供で江戸に出て蘭方医に学び、萩に帰って藩校医学所で「眼科新書」を会読する講師になる。ただし翻訳版を使ったので、外国語の読み書きはできなかった。
53歳の時に長男小五郎が生まれるが、桂家に養子に出す。

…と書いてて気づいたけど、桂さんのお父さんの経歴をグレードアップすると、まんま大村益次郎ですね。
大村も周防の村医者の子で、桂さんより9歳上。長崎と大坂で医術を学び、外国語に堪能。1858年に江戸藩邸で蘭書会読会の講師をしていたところを桂さんに見出され、大抜擢される。
桂さんにしてみりゃ、尊敬するお父さんの生まれ変わりか、みたいなもんですからね〜。なつくのも分かる気がする。



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