用語集

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【アーニーとバート (あーにーとばーと)】
以前、先輩とセサミ・ストリートの話をしてて「アーニーとバートと言えば、幕末っしょ」と言われたことがあって、なーんか頭に残ってたんで…。
1866年当時、英国公使館またはその周辺で活躍していた外国人と、年齢と在日経験を整理してみました。

アーネスト・サトウさんと、アルジャーノン・バートラム・ミットフォードさん。とっても仲が良かったそうですが…。
アーニーとバートという愛称より、アルジャーノンって名前の方が気になる…。

しかし、イギリス勢、若いなあ…。
情勢の変化に敏感で、最終的にフランスを出し抜いた理由が、年齢だけでもわかるにゃ。

●英国公使館(横浜…ただし一時は品川周辺)
ハリー・パークス(公使) 38才 1年間
アーネスト・サトウ(通訳官) 23才 5年間
アレクサンダー・フォン・シーボルト(通訳官) 20才 7年間
ウィリアム・ジョージ・アストン(通訳生) 25才 2年間
ウィリアム・ウィリス(医師) 29才 5年間
アルジャーノン・バートラム・ミットフォード(二等書記官) 29才 同年秋に来日

●それ以外
レオン・ロッシュ(フランス公使) 57才 3年間
トーマス・グラバー(商人) 28才 7年間
フェリーチェ(フェリックス)・ベアト(写真家) 34才 3年間
チャールズ・ワーグマン(漫画家) 34才 5年間

【アームストロング砲 (あーむすとろんぐほう)】
当時は先端技術だったライフル式施条を施した後装式大砲。

後装式…つまり砲弾を後ろから装填できるので、短時間に何発も撃てる。
ライフル式なので、飛距離が長い。
なんでまあ、ものすごい強力な兵器のように書いてある歴史小説もありますが、口径が小さいので、殺傷能力自体はそれほど高くなかった。

砲弾は炸裂弾…つまり、当たると同時に爆発するような仕掛けがしてあるので、どちらかというと、建物を破壊し火事にするのが目的の大砲です。

メンテと弾道計算が難しく、薩英戦争中にトラブルが相次いだために、英国海軍に一旦は採用されたものの、あまり使用されなくなりました。
なんで、幕末には世界的に在庫が余って値下がりし、幕府や各藩がたくさん購入したわけです。

【逢引 (あいびき)】
高杉さんの都々逸の「三千世界の烏を殺し」と同じで、幕恋においては、本来の意味を深く追究してはいけない言葉のひとつ。

逢引とは、男女が人目を忍んで会うこと。媾曳、相引とも書く。
明治以降は、月を見ながら路傍で二人だけで語り合う程度でも、逢引と言ったが、江戸時代の場合は、出会い茶屋(今のラブホ)で男女が待ち合わせるなど、もう少し俗っぽい状況を指すことの方が多い。

当然、逢引をするときは、他の人たちに会っていることを知られないように行動する。
従って、同じ宿に泊まっている同士が、どちらかの部屋を訪ねて話をしたり、二人で公道を歩いてどこかに行って話すなどの場合は、本来は逢引とは言いがたいんですが…。
そのへんは追究しないで素直に楽しむのが、全年齢向け乙女ゲームの心得というやつでしょう。
ヾ(=;´ ェ `A

【あくまき (あくまき)】
薩摩では「ちまき」と呼ぶ。
端午の節句などに食べられる薩摩の郷土菓子兼保存食。

一週間ほど日持ちするので、薩摩軍の携帯食にも使われた。
もちろん、大久保さん、西郷さんなどにもおなじみの菓子。
つか、彼らにとって端午の節句の「ちまき」と言えば、これである。

作り方は、もち米を灰汁に一晩漬け込み、同じく灰汁に付け込んでおいた竹の皮に包んで糸で縛り、灰汁の中に沈めて何時間か煮る。
飴色のねばりのある餅状になり、黒砂糖などをかけて食べる。
詳しいレシピと写真は霧島市のホムペで(PCのみ)


台湾や中国の少数民族にも、似たちまきが作られている。

…と書いたけど。
そう言えば、端午の節句に、あの細長い和菓子のちまきって食べたことあったかなあ…。
中華ちまきならしょっちゅう食べるんだけどね。

【浅葱裏 (あさぎうら)】
主に江戸で田舎者や貧乏人の侍を馬鹿にするのに使った言葉。
も少しありていに言うと、田舎者+貧乏+侍=薩摩藩士のこと。

羽織の裏地に浅葱色の木綿を使っていたことから、来たらしい。
落語の「花色木綿」という何でも裏地を花色(青色)にしてしまう話があるが、藍染めの木綿は虫よけ効果があり丈夫なので一時流行した。
普通に考えると、浅葱色は花色より薄い青で、染めの工程が少ない分安いので、貧乏の意味になったんだと思うんだけど…。
浅葱裏自体も流行したことがあって、すたれたのに着ていたから田舎者、という説もあって真偽はよくわかんない。
ただし、浅葱色流行説は「花色木綿」のような裏付け史料がなかった。

大久保さんの羽織の裏は何色だったのかな。新選組嫌いっぽいので浅葱ではないよね。
藤の模様の羽織なので、かさね色目(御所風の色のコーディネート)で言うと萌黄(黄緑っぽい色)かなあと勝手に考えてます。
なんかそういう見えないとこで、こだわっていそうだ。

【朝風呂 (あさぶろ)】
妹の証言によると大久保さんは、朝にお風呂に入る習慣だったそうです。
朝風呂になったきっかけは久光公に仕え始めたから。
久光公の前ではびしっと身なりを整えていたいので、朝に入念に支度をすることにしたんだそうな。
当時はそれだけ、チャンスをつかもうと必死だったということですね。

朝風呂の習慣はその後ずっと続いたそうです。
つーことは、小娘が早朝にいきなり「大久保さん、おはようございます!」と部屋の襖をあけると、とんでもない格好してたりすんのか?と一瞬思ったけど…。
幕恋だと自宅じゃなくて藩邸に寝泊まりしてるから、そのへんのつじつま合わせが難しいなあ…。
``r(=・ ェ ・;=)

当時はまだヨーロッパにもシャンプーがないし、石鹸は貴重品だったので、お風呂で使うアメニティは今とずいぶん違ったようです。
ちなみにシャンプーの語源はインドの言葉で、マグノリアの香油を使ったアーユルヴェーダ式ヘッドマッサージのこと。
イギリスでインド人実業家が、海辺のリゾート地にエステサロンを開業したのがきっかけで伝わりました。
大久保さんも岩倉使節団でこの地を訪れていますが…。

「わーい、エステだ!」と喜ぶ小娘。
他の男に小娘のマッサージなんかさせたくない大久保さん。
「ふんっ、これくらい私がやる!」とか言い出したりして…と妄想してしまいした。

【あだ名 (あだな)】
志士の皆さんにつけられたというあだ名。

大久保さん…竹筒っぽ(やせて背が高いから)。天皇(ガキ大将だったから)
武市さん…あご
龍馬さん…あざ(背中に毛が生えてるから)
慎ちゃん…土佐犬(気が強いから。命名は西郷さん)
以蔵…不明。人斬りは後世の創作。
高杉さん…あずき餅(あばたがあるから)。あばれ牛(無茶をするから)
桂さん…逃げの小五郎
西郷さん…うーとん、うどめ(目が大きいから)

皆けっこう言われ放題っスね。

【油小路事件 (あぶらのこうじじけん)】
慶応3年11月18日、近江屋事件の3日後に起きた新選組の内紛事件。
内紛なんで日本史に大きな影響を与えた事件ではないのですが、幕恋ではこの時の犠牲者の伊東さんや平助君が登場し、龍馬さんに警告するなど、わりと大きく扱われている。

大久保さんとの関係で言うと、新選組に襲われた御陵衛士の生き残りが翌朝早く大久保さんの自宅に助けを求めに来る。
たまたま葬式帰りの報告がてら泊まっていた半次郎さんが二本松藩邸の長屋に連れて行ってかくまう。
なぜ薩摩藩で立ち絵付きキャラが大久保さんだけなのか、なんで相関図に半次郎が出て来るのか、つねづね疑問に感じていましたが…。
油小路事件との絡みと考えれば、説明はつきます。
あくまで推測だけど。

この時かくまった御陵衛士の人たちが、龍馬さん暗殺犯は新選組だと言ったせいで、話はややこしくなる。
大久保さんは日記には二つの事件のことは一っ言も書いてませんが、どちらの事件直後にも岩倉さんと会っている。岩倉さんは慎ちゃんが大好きだったので、「復讐してやりたい」とかなりお怒りで、大久保さんも一緒になって近藤さんを罵倒してたらしいです。

【アメリカの薩摩 (あめりかのさつま)】
アメリカにもサツマという名前の町が4か所ある。
地図で場所を調べていて、面白いことに気づいた。



フロリダ州サツマ 北緯29゚36'36"
アラバマ州サツマ 北緯30゚51'16"
ルイジアナ州サツマ 北緯30゚30'10"
テキサス州サツマ 北緯29゚54'12"

と、広い合衆国内でほぼ北緯30゚線上にまっすぐ東西に並んでいる。しかも、この線をさらに西に伸ばすと、

鹿児島市 北緯31゚36'0"
与論島(鹿児島県最南端) 北緯27゚02"40'

と、みごと鹿児島県にぶちあたる。
まるでアマチュア考古学に出てくるレイラインみたい。

実は理由は簡単。
この4つの町はsatsuma mandarin、つまり明治初頭に薩摩から持ち込まれたミカンで一時栄えた場所。
この辺は今ではオレンジの名産地ですが、当時オレンジはメキシコ以北でうまく育たなかった。
なのでミカンは世界でもっとも寒さに強いオレンジとして、期待されたんだけど…。
温和な島国育ちのミカンは、寒すぎても暑すぎても枯れちゃう。大陸気候で寒暖の差の激しいアメリカでは、北緯30゚近辺の狭い地域でしか生き残れなかったんですね。
ちなみに今では米国産ミカンは南カリフォルニアがいちばん多いようです。

【あんぽんたん (あんぽんたん)】
別名、円山かき餅。
祇園近くの円山の安養寺で、寒のころに作られていたかき餅で、砂糖がけの甘い菓子だったらしい。

明治後期に安養寺が火事で焼け、作られなくなった。

寺田屋などの船宿で、大坂に向かう三十石船に乗ると、「お土産(みや)いかがどす。あんぽんたんはどぉどす」と女の子が売りに来たらしい。

伏見の土産にはもうひとつ、伏見人形という土人形があった。農業神である伏見稲荷の土には霊験があって、人形の形によって、いろいろなご利益があると言われた。

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