用語集

【こ】 13件

【恋の歌 (こいのうた)】
大久保さんが慶応元年五月に作った和歌のうち、恋を主題にしたものだけ集めるとこうなる。

想ひのみ積り積りていたずらに言はで過ぎ行く月日なるかな
なかなかに深き色なる岩つつじ言わぬ思ひをひとは知らずや
久かたの月にあらねどわが恋は雲の晴れ間を待ちやりたらむ
疾くも世にあらわれわたるわが恋はしのびもあへぬ誠なるらむ
しのびつつ結びしものを恋草のいつしか色に顕れにけむ
逢い見よとたのみしものを玉章の道さへ今は絶えぬとすらむ(逢いたいと願っているのに手紙をやりとりすることさえ今はできなくなってしまった)
たのみつつ君もや今宵寝(いね)つらむ結ぶまことは誰がまことなる(夢で逢いたいと願いながら君も今宵は寝るのだろう。願いがかなったとしたら誰の真心のせいだろうか)

別に選んだわけじゃないけど、切ない系の歌が多いなあ。


【鯉幟 (こいのぼり)】
幕恋当時、やっぱり端午の節句にこいのぼりを上げたのかなと思って調べてみた。
どうも、江戸の習慣らしく、京都ではやっていなかったようです。しかも、当時は黒い真鯉のみ。赤い緋鯉も飾られるようになったのは、明治からだそうです。


西の方では、代わりに五月幟というものを立てた。(上の写真:出典 島根県HP)

史実だと、大久保さん、当時はすでに三人の息子がいるけど…。
やっぱ五月幟を飾ってもらったのかな。

なんか大久保さん、子煩悩だから、明治になったら、こいのぼりも一緒に飾るぞ!と、こっそりあつらえて、息子をびっくりさせて、ふふん、とか得意がっていそうな気がするけど。


【紅茶 (こうちゃ)】
こないだテレビで某歴史作家が大久保さんは紅茶派だったと言ってたので、ちょっと調べてみた。
どうやら妹の証言によると、朝食はいつもパンに濃い紅茶だったそうです。
でもって日本で初めて紅茶の生産をさせたのは、大久保さん。

幕末から明治初期、茶は日本の主な輸出品だった。
ところが英国で、中国の茶には緑を鮮やかにするために緑青など有毒な着色料が入れられているという噂が広まり、ヨーロッパの緑茶ブームは急速に衰える。
米国は独立時の「ボストン茶会事件」以来、とくに中西部では紅茶より緑茶を選ぶ人が多かったが、こちらの消費も徐々に減っていく。

そこで欧米向けの輸出用に紅茶も作らねば!と明治7年に内務省は製茶掛を設け、紅茶の製法書を作って、日本各地で紅茶の生産を振興する。
結局、日本の紅茶生産はたいして発展しなかったけど…このころに外国から持ち込まれた紅茶の木が、何度も品種改良されて生まれたのが「べにふうき」。
今では花粉症に効く緑茶として有名ですが、もともとは鹿児島県枕崎市で紅茶用に生まれた品種です。


【好物 (こうぶつ)】
志士の皆さんの好きなものをまとめてみた。

大久保さん…宇治の玉露の渋茶、漬物、酢の物、薩摩ずし
龍馬さん…鯖、軍鶏鍋(ただし好物だという記録はない)
慎ちゃん…焼肉
高杉さん…鯛のあら煮、まぐろのヅケ
桂さん…焼き揚げ豆腐
武市さん…お菓子
土方さん…たくあん
乾さん…半熟卵、アユの塩焼き
西郷さん…白いご飯、うなぎの蒲焼、豚骨、カステラ
近藤さん…まんじゅう

以蔵、沖田さん、平助君の好物は謎。
半次郎さんは仲間としょっちゅう寺田屋で飲んでいた。

大久保さんは胃が弱いので、あっさり目がお好み。
西郷さんの白いご飯というのは、小さいころに食べたことがなかったから。とにかく山盛りご飯さえあれば嬉しい人なので、大久保さんや周囲の人は西郷さんにダイエットさせるのに苦労した。
反対に高杉さんや龍馬さんはお坊ちゃまなので、毎日のように鯛を食べて育った。
長州武士ってフグは食べなかったそうな。


【石高 (こくだか)】
薩長同盟さえ結べば幕府は倒せる〜みたいな流れで語られることが多いけど、ほんとにそうなのかなあと疑問に感じるようになった。

討幕側から、「実はかなりぎりぎりで勝てた。負けたら藩主ひっ担いで、全国逃げ回らねばと思ってた」的発言が出てるし、「あとちょっと開戦が遅ければ、幕軍に最新鋭武器が届いてたのに」ってケースもある。

んで、幕府と薩長土肥の収入(年貢高)と藩士の数を比べてみた。つまり武器買う金と兵隊の数ですね。

徳川幕府 石高 約400万石(ただし旗本知行地や大名預地を合せると約700万石) / 直参&家臣 約8万人?
薩摩藩       約75万石 / 藩士4万8千人
長州藩      公称37万石 (実質73万石) / 藩士 1万人
土佐藩       約24万石 / 藩士8千人
肥前藩       約36万石 / 藩士1万1千人
全国       約3000万石 / 全国の藩士 + 直参&家臣 49万人?


石高でいうと薩長土肥あわせて全国のわずか7%。藩士は16%。
幕府単体と薩長土肥で戦えばどうにか…ってレベルである。

もし1868年の段階で武力倒幕せず、数年経過して幕軍が近代化してたら、明治維新はなかったんじゃないの?と思ってしまいました。


【小倉袴 (こくらばかま)】
慎ちゃんの履いている袴。縞模様が特徴。
ちょっと見、細かいプリーツの入った袴に見えるけど、あれは縦縞が入ってるだけで、袴自体のデザインは沖田さんとあまり変わらない。

絣の袷に小倉織の袴というのは、幕末から大正にかけて、若い男性の定番の服装だった。
ただし、たいがい足元は色足袋に下駄だけどね。

慎ちゃんの場合、土佐では下士は下駄禁止なので草履なのでしょう。

小倉袴が人気だった理由は、安くて丈夫で長持ちするから。

ところで小倉藩といえば長州征討で幕軍の先鋒として戦った藩である。
第一次長州征討の後の元治元年(1864年)12月4日、慎ちゃんが長州派の公家(五卿)の助命のために西郷さんに談判に行った場所が、小倉。
この時が慎ちゃんと西郷さんの初対面で、これをきっかけに、慎ちゃんは薩長同盟の活動を始めることになります。

ところで慎ちゃんの着物ですが、絣はたいがい藍色で、緑色は珍しい。
緑色に必要な染料は日本各地で手に入るんで一概には言えないけど、緑の絣の生産が多いのは八重山諸島。幕末は薩摩藩の支配下でした。


【小納戸役 (こなんどやく)】
藩主と家族の衣服や髪などの日常の世話をする係の人。
一人で全部やるんじゃなくて、配膳役とか毒見役とか月代役とか何人もいて、細かく分業されている。んで小納戸役たちを統括するのが小納戸頭取。

元々は雑用係ですが、藩主から見れば自分の食べ物を扱わせたり、かみそりで月代を剃らせたりするってことは、命を預けるに等しい。
ってことで、もっとも信頼する部下が務めることになり、藩主の側近として政治にかかわるような人たちが配属されるようになった。

久光公上洛や寺田屋事件のころ、大久保さんは小納戸役をやってた。
なもんで、移動中は駕籠の横にぴったりついてるし、宿では久光公の就寝後しばらくはずっと隣の部屋に控えてるし、起床するかなり前から準備の手配とかしてて、いつ寝てるんだって感じでとってもたいへんそうである。
さすがに宿直は交代でやってて、日記で今日は当番だとか書いてある。

大久保さんは寺田屋事件直前、小納戸役の仕事を干されちゃって進退伺(辞表)を提出するんだけど、結局受理されなかった。
んで、一か月後、お公家さんや幕府と折衝に必要だってことで小納戸頭取に出世する。
出世自体はめでたいことなんだけど、寺田屋事件直後ってこともあり、口さがない連中に仲間を売ったんじゃないかとか変な噂を流されて苦労することになる。


【此難に斃れて以て無量の天恩に報答奉らん (このなんにたおれてもってむりょうのてんおんにほうとうたまわらん)】
大久保さんが明治6年の政変の直前に、米国留学中の息子たちに送った手紙の一節。実質上の遺書。

明治6年の政変で大久保さんは、征韓論派の西郷さんたちと対立して、結果的に彼らを追い出すことになります。
この時にすでに、そんなことをしたら自分は殺されるだろう、と大久保さんは予見していた。

んで息子たちに「今回はいろいろと悩んだ。参議に就任(して閣議で西郷さんと対決)するのはあくまで辞退しようと思っていたが、今は皇国存亡の危機である。この難局から逃げることは本懐ではない。いさぎよく拝命し、この難に斃れて(難局打開のために命を捨てて)天皇陛下の恩に報いようと思う。お前たちは外国で私が襲われたというニュースを聞いたら驚くだろうが、お前たちが日本にいて(止めたとして)も決意は変わらん」みたいなことを書いている。

結局この政変後すぐ、西郷さんは鹿児島に帰り、仲間たちもついて行っちゃうので、大久保さんが殺されることはなかった。
けど、鹿児島に明治政府に不満を持つ士族たちが集まり、西南戦争へ突き進んでいくことになる。


【護衛 (ごえい)】
幕恋の後期√では、大久保さんの護衛として、半次郎さんがちょくちょく登場します。
けど、実際の半次郎さんは仲間たちと市中パトロールとか、自分なりの志士活動とかしてて、大久保さんとは完全別行動だったっぽい。

じゃ、京都で大久保さんの護衛をしてたのは誰かというと…。
西郷さんの弟の西郷信吾(幼名は竜助。後に従道)が主にやってたっぽいです。

西郷さんの護衛をしてたのは、いとこの大山弥助(後に巌)。
寺田屋で龍馬さんが襲われた時に、助けに行った伏見藩邸留守居役の大山さんは、お兄ちゃんの大山成美(通称、彦八)です。

信吾君は薬丸自顕流の剣の使い手、弥助君は槍が得意ですが、二人ともピストル持って護衛してました。
というのも、弥助君の証言によると大久保さんの自宅の前には、夜になると会津藩士らしい武士が立っていて、人の出入りを見張っていることが多かったそうな。
さらに慶応3年ころになると幕府方らしい武士がいきなり薩摩藩士に斬りつけるという事件も何度か起きている。この頃になると、大久保さんもピストルを持つ。

ところで幕恋では以蔵や慎ちゃんが大久保さんの護衛をすることが多いですが、実際は逆で、大久保さんの幼馴染の吉井友実さん(通称、仁左衛門または幸輔)を中心に、何人かの薩摩藩士が龍馬さんと慎ちゃんの護衛を代わる代わるやってます。吉井さんは精忠組の中ではかなりの主要人物。


【ゴールドラッシュ (ごおるどらっしゅ)】
1848年1月24日にカリフォルニア(当時はメキシコ領)で金が発見され、世界中から何十万人もの人々が、金採掘による利益を求めて殺到した騒動のこと。

米国は当時メキシコと戦争していたが、2月に勝利して、カリフォルニアを併合する。
人口の激増により、1850年には早くもカリフォルニア州が成立し、いくつもの都市が生まれる。
生活用品の需要も急増したが、まだ、大陸横断鉄道やパナマ運河は開通していないため、商品はハワイや中国から船で運んで来る方が、米国東海岸から馬車で運ぶより、安くて速かった。

1853年にペリーが来航し、通商のために日本に開国を迫ったが、背景のひとつにはカリフォルニアの急激な発展と商品供給不足がある。
他にも捕鯨とか、いろいろ背景はあるけどね。

ちなみに、金を採掘する労働者のために、安くて丈夫な服地を売ってもうけたのがリーバイスで、ジーンズはここから生まれた。
岩倉使節団がカリフォルニアを通過するころは、ちょうどリベット付きジーンズが新発売されて評判になっていたころに当たる。

ま…いくら当時の流行とは言え、大久保さんは、はかなかったと思うけど…。
小娘が勝手に買って来て、
「えー…似合うと思うのになあ…」
とか言ったら、どういう反応するだろ。


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