用語集

【つ】 7件

【ツェントナーデル銃 (つぇんとなーでるじゅう)】
現在はドライゼ銃と言った方が通りがいい。幕末には普式ツンナール銃とも呼ばれていた。
1841年にプロイセン軍に採用された後装式ライフル。ビスマルク時代にプロイセンがオーストラリアやフランスを破って、次々と領土を拡大していった原動力となった銃。
この銃の最大の強みは、世界で初めて伏せた姿勢で弾を装填できるようになり、匍匐前進したまま戦えるようになったこと。

会津藩が1867年にこの銃をハルトマン商会に発注したが、ヨーロッパから取り寄せたので戦には間に合わなかった。会津は負けちゃったので結局代金を踏み倒すことになり、訴訟を起こされている。
長崎まで行ったなら、上海行ってスナイドル銃探せば、在庫余ってるからすぐ買えるのに…じゃなきゃ横浜のスネル商会に頼んでもいいし。会津はほんと不器用だなあ。

また、薩長のエンフィールド銃やスナイドル銃の射程が900mなのに比べて、この銃の射程は600m。
発射機構も針打式という古い仕組みで、針がすぐ折れて壊れやすい。
プロイセンのように歩兵も士官もきっちり訓練を重ねた軍隊でないと使いこなせない銃なので、日本の官軍の兵士からはあまり好かれなかった。


【月形半平太 (つきがたはんぺいた)】
幕末を舞台にしたチャンバラ活劇のヒーロー。
名前でわかるとおり、武市さんをモデルにしたと言われているが、内容は史実無視なんで、誰がモデルかはあまり関係がない。(映画によっては月形洗蔵をモデルにしているものもある)

どっちかというと大衆演劇などで有名なシーンだけやるってパターンが多い。
春の夜の祇園で、きれいな舞妓のお姉さんが
「月様、雨が…」
と傘をさしかけると
「春雨じゃ。濡れて参ろう」
と自分は傘をささず、舞妓さんに譲るというだけのシーン。

今だと相合傘の方がいいのにねーって話ですが、昔なんで傘が一本しかない場合はどっちか一人が使うって選択肢しかないわけです。
で、普通は男で身分が高い方が使うわけですが、風流を気取って女性にさらっと譲る。そこが当時はかっこよかったわけですね。

たいがいこの後、新選組とか不逞浪人とか出てきて、舞妓さん守ってチャンバラとなります。

大正から昭和半ばまで一世を風靡し、武市さん=正義のヒーローというイメージが定着してましたが、1864年に司馬が「人斬り以蔵」を発表して以降、大手メディアからほぼ完全に消える。ある意味、不遇な作品。


【築地精養軒 (つきじせいようけん)】
明治5年開業の東京で初めての西洋料理店。外国人接待のために岩倉さんらの後援で作られた。
大久保さんが馬車で会食に行こうとして、部下の中井弘のイタズラにひっかかり、御者と馬丁をやらされたという逸話の舞台はここらしい。

場所は今の地下鉄東銀座駅前。
ってことは大久保さん、当時はレンガ造りの洋館の並んでいた銀座通りの真ん中を自ら馬を御して通ったんですね。
しかも今からパーティってことは、ビシッと正装でキメてたはずで。
うーん…けっこう絵になるかも。

築地精養軒は関東大震災で燃えてしまったが、支店の上野精養軒は今でも営業している。






【つぼ漬け (つぼづけ)】
薩摩藩山川港のあたりで、古くから作られている干し大根の漬物。
たくあんと違って、大根を切ってパリパリに乾燥させてから、薩摩焼の壺に入れて漬ける。
一説には、1592年の豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、その武将の一人として出征した島津義弘に、地元の農民が保存食として持たせたともいう。
当時は唐漬と呼ばれていた。

ま、大久保さんは漬物大好きで、たくさん種類が並んでないとご機嫌をそこねたそうですから、このつぼ漬けもきっと毎日のように食卓に上ってたんだろなあ…と思います。


【妻 (つま)】
志士の皆さんの史実でのお相手の名前をまとめてみた。ただし、主な人だけ。
高杉さんなんか、本人も名前を覚えてないっつー相手もいるし…。
ヾ(=;´ ェ `A コマッタヒトダ

大久保さん…[正妻]早崎満寿子、[妾]杉浦ゆう
高杉さん…[正妻]井上雅、[妾]おうの
龍馬さん…[正妻]楢崎龍、[婚約者]千葉さな子、[恋人]西山(平井)加尾
武市さん…[正妻]島村富子
慎ちゃん…[正妻]利岡兼
桂さん…[正妻]幾松(木崎松子)

ついでに
半次郎さん…[正妻]帖佐久、[恋人(京都)]村田さと、[妾(東京)]秋子
小松さん…[正妻]小松千賀、[妾]琴花(三木琴仙子)
西郷さん…[正妻1]伊集院須賀、[正妻2]岩山糸子、[島妻]龍愛加那
乾さん…[正妻3]小谷鈴、[正妻4]荒木絹子、[妾]久川政野、萩原薬子、小清(せい)


【釣床 (つりどこ)】
ハンモックのこと。二段ベッドなどは寝棚と呼ぶ。

当時の軍艦は基本、ハンモックを吊るして寝てたらしいです。
薩摩藩はわからないけど、幕府と英国・米国の海軍はハンモックを使ってました。

というのは、当時の蒸気船はまだかなり帆に頼っているので、斜めにかしいだまま走ることが多く、ベッドだと海が荒れると転げ落ちるから。
実際に、外国の海軍ではベッドの上段から転げ落ちて死んだ事故があったらしい。
ちょっと考えるとハンモックだと海が荒れた時にぶんぶんと左右に揺れそうな気がするが、実際はベッドより安定していて寝心地がいい。
(例えばヨーヨーや振り子の上の糸の端を持って左右に振っても、下の玉はほとんど動かない。あの原理っスね)

あと、敵が大砲を撃って来たときに、ハンモックは弾除けになるそうな。

ただし、当時も大型客船は二段ベッドが主流のようで、岩倉使節団の乗ったジャパン号の客室は寝棚式。

幕末に大久保さんが薩摩だ京都だと飛び回ってた時は、ほぼ船中泊でしたが、ハンモック使ってたかどうかはわかりませんでした。
(もちろん江戸・大坂・長崎には藩邸があるし、各地の有力者と会談して家に泊めてもらうこともあります)


【鶴 (つる)】
序幕で高杉さんがよく食べると言っていた鶴肉。
タンチョウヅルだと思っていたらどうもナベヅルらしい。

江戸時代はタンチョウヅルが神聖視されており、将軍や大名が狩りをしてその肉を家臣に賜るのはもっぱらナベヅルだった。
全身がほぼ白いタンチョウヅルと違い、ナベヅルは胴や翼がグレーなのが特徴。首が白くて頭のてっぺんが赤いのは共通。

桂さんのお祖父さんが村医者をやっていた熊毛郡八代は、全国的に有名なナベヅルの越冬地。
現在では国内で集団で越冬する場所はあと鹿児島県出水市くらいしかないので、二つの町は協力してナベヅルの保護に当たっている。地元の皆さんは現代の薩長同盟とか言ってます。

江戸時代、幕府はツル猟を将軍と大名にしか許していなかった。明治時代になって禁令が撤廃され、ツルも狩猟対象になって全国的に激減する。
しかし長州と薩摩ではもともとツルを守ろうという地元の意識が高く、明治の早い時期に禁猟となってツルの数が復活し、今に至る。

幕恋的には、幼い桂さんがおじいちゃん家に行って、鶴の群れに囲まれてきれいだなあ…とかやってたら、可愛いですね。
ついでにチビ高杉がうまそうだ!とか言ってたら面白いかも。



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