用語集

【み】 6件

【みかん (みかん)】
現在、一般にみかんと呼ばれているウンシュウミカン(温州蜜柑。学名はcitrus unshu)の原産地は鹿児島県。英語ではsatsuma mandarinという。
中国から渡って来た柑橘類が突然変異したもので、幕末ころは薩摩みかんと呼ばれていた。

紀伊國屋文左衛門で有名なキシュウミカン(紀州蜜柑/citrus kinokuni)は別の品種で、やや小さくて種がある。
ややこしいことに、有田などの和歌山県産みかんは、ほぼすべてウンシュウミカンだが、たまに紀州みかんとして販売されていることがある。さらに、鹿児島で作られているキシュウミカンは、桜島小みかんと呼ばれている。

薩摩みかんは種なしなので、江戸時代には縁起が悪いと言われたが、幕末から明治にかけて、食べやすさと大きさで人気となり、全国に広まる。
同時に、尾張みかんなど産地名を冠した改良品種が続々と登場し、日本では薩摩みかんの名前は消える。

みかんを最初に海外に紹介したのはシーボルトだが、英語でみかんをsatsumaと書いた最初の例は、おそらく慶応3年11月1日の薩英戦争の賠償金支払い時。薩摩藩から英国軍旗艦乗組員にみかんが贈られた。

当時の日本人には外国人相手でも、冬に客が来るとまずみかんを出してもてなす習慣があったので、英国人でも紀州と薩摩のみかんの違いはわかっていたようである。


【三つ葉葵 (みつばあおい)】
徳川家の家紋。だけど、御親戚の松平家とかでも同じ家紋を使う。
ちとややこしい。
小娘ちゃんにはまったく区別はつきませんが、

徳川家の三つ葉葵


会津松平家の三つ葉葵


なのでちょっと違うのだ。
ちなみに、伏見薩摩藩邸を取り囲んだのは、会津の砲兵隊なんで、紋所は下のやつです。


【三つ藤巴 (みつふじどもえ)】
大久保さんの家紋。

土佐の後藤さんと同じだったりする。
大久保さんの羽織に、けっこう大きく家紋の意匠が使われてますが…武市さんはあんまり見たくないだろうなあ…。


【ミニエー銃 (みにえーじゅう)】
当時主力だった先込め式ライフル銃。

龍馬√で高杉さんが間違って「エミュー銃」と言っている。

薩長同盟の締結条件の中でも、長州がミニエー銃4300丁を密輸する際に、薩摩が名前を貸すというのがあった。

ミニエー銃自体にもいろいろブランドがあったし、それ以外にも当時は毎年のように新しい型式の銃が出ていたので、薩長同盟の話し合いで
「おっ、弾倉式連発可能なんてすごいものが出てるぞ。このスペンサー銃ってのはどうだっ?」
「それは騎兵隊用の銃だ。奇兵隊で使っても仕方あるまい」
「歩兵用か…せめて元込め式がいいんだが、このスナイドル銃ではなんとかならんか」
「今年出たばかりの新作はダメだ。非常識に高すぎる」
「悪かったなっ」
「君の名前の話ではない」
というしょーもないダジャレが繰り広げられていた気がする。


【身分 (みぶん)】
幕恋の立ち絵つきキャラのうち、生まれた時の身分がいちばん低いのは、農民出身の土方さん。
桂さんのお父さんは医者ということで、町人かな…とも思ったけど、藩医なので士分である可能性が高く、まだ調査不足。

たぶんいちばん身分が高いのは、高杉さん。
残り五人は下級武士。
土佐連中は武市(郷士・白札)>龍馬(郷士)>以蔵(足軽)>慎ちゃん(庄屋)の順。
大久保さんは城下士(ただし最下位)で、薩摩郷士より微妙に上だけど、土佐と薩摩では身分制が違うので比べられない。

ちなみに、フィクションでは貧しい足軽出身と言われている以蔵ですが、お父さん、四人扶持もらってたと聞いてぶっとんだ。
ふつう、貧しい侍っつったら三両一人扶持である。武市さんだって二人扶持しかもらってない。
以蔵って、江戸に剣術留学させてもらってるし、その後も各地を剣術修行で回ってるし…、実はそれなりに親が金持ちでないと不自然なことが多すぎる。

たぶん、いちばん貧困経験があるのは、大久保さん。
薩摩藩士の給料は全国平均のたった3割(!)で、他の藩と比べて異常に安かった。
慎ちゃんの残した手紙にも「御国(土佐)の足軽よりも窮せる者多し」と書いてあるので、以蔵より貧乏だったことは確かなようです。

同じ慎ちゃんの手紙で、京都に滞在する薩摩藩士のひと月の手当てが一両二分(現在のお金で約6千円)と書いてある。や、安すぎるよ〜。


【宮さん宮さん (みやさんみやさん)】
戊辰戦争を描いたドラマで、薩摩が行軍してる時にはたいがいピーヒャララと祭囃子みたいのが流れる。
いつも同じ曲なので何なんだろなと思ってたらわかった。

「宮さん宮さん」または「トコトンヤレ節」という事実上日本最初の軍歌。(なんつータイトルじゃ)
作詞は長州の品川弥二郎、作曲は大村益次郎。火吹き達磨にこんな才能があったとは…。

歌詞から見て、作られたのは鳥羽伏見の戦い直後。著作権切れてるので一部載せてしまうと

宮さん宮さんお馬の前に
ヒラヒラするのは何じゃいな
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか

錦旗って最初は誰も知らなかったわりに、あっという間に認知度上がったよなーと思ってたら、官軍がこんなの歌いながら京都から江戸まで行軍してたからだったんですね。
さすが長州。イメージ戦略うまいわ。

歌詞の内容は要するに、幕軍=朝敵で、抵抗するなら戦うぞという官軍の宣伝&士気の鼓舞のための歌なんですが

国を追うのも人を殺すも
誰も本意じゃないけれど

なんて文句もあり、官軍側もけっこう複雑な心境だったのがわかります。



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