用語集

【も】 3件

【もす (もす)】
薩摩弁の助動詞の「もす」。
ただの「ます」の意味だと思ってたら、謙譲語でした…。

なので、「もす」は自分や目下の人に使ってもいいけど、目上に使ってはいけない。

目上の場合は「たもす」か「やす」を使う。他に丁寧語で「ごわす」「おじゃんす」などがある。

うー…。
半次郎のセリフ、直さないと…。


【紅絹 (もみ)】
武市さんの服装は羽二重の小袖に紅絹(もみ)裏。おそらく歌舞伎の助六など典型的色男の服装を参考にしている。
例えば、こんな感じ↓


幕末の芸妓さんの証言でも、羽二重はモテる男の服装として挙げられています。
紅絹はどちらかというと、女性の下着に多く使われていた生地。男でこれを着るのは、かなり自分の容姿に自信のあるお方のみ。

ちなみに、上記の絵の大口屋暁雨や助六など、この服装のモデルはケンカしたり見得を切ったり、両脚をがばっと広げるポーズが多い。
なので、まあ、つまらん推理が成り立つわけですが。
おそらく、武市さんは褌の色も赤と思われます。


【モリソン号事件 (もりそんごうじけん)】
1837年(天保8年)、米国船モリソン号が、日本人漂流民7人を送り届け、ついでに通商交渉もしようとして鹿児島湾入り口の山川港と江戸湾入口の浦賀に入港を試みたものの、幕府が異国船打払令を出していたために、砲撃されて逃げ帰った事件。

ただしどうやら、薩摩藩では、いきなり船に向けて大砲をぶっ放したわけじゃなくて、モリソン号から手紙を受け取って、藩主にお伺いを立てたり、船上で交渉したり、夜中にこっそり薪と水を与えたり、いろいろとやり取りがあったらしい。その後、幕府の作った法には逆らえないからと、モリソン号に警告した上で、空砲を撃って追っ払ったそうです。
この辺、とっても日本人的な本音と建て前の使い分けしてますね。

というわけで、黒船は、来航してすぐに追い払われたのではなく、しばらくは鹿児島湾入り口に停泊していたことになる。

大久保さんは当時7才ですが、好奇心旺盛なんで、黒船を見に行ったりしてたら面白いなあ…と思ってしまいました。
うまくすると、大久保さんはペリー来航の16年前に、すでに黒船を目撃してたことになります。
鹿児島湾入口までは、子どもの足には遠いけど、ちょうどお父さんが沖永良部島に単身赴任した時期と重なるので、島への船が出る山川港にちょくちょく行ってた可能性はある。あくまでも可能性ですけどね。



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