用語集

【り】 3件

【琉球 (りゅうきゅう)】
沖縄のこと。
当時は薩摩藩の支配下にあって、中国経由の外国貿易の拠点となっていた。
薩摩が琉球から輸入していたものは、主に絹製品、生糸、鮫皮、丁子など漢方薬で、輸出していたのは銀、昆布、干しアワビ、いりこなど。

つまり、薩摩は鎖国下にあっても、実質上は海外とつながっており、琉球経由で多くの情報を仕入れていた。
実はペリー来航による開国(1854年)より早い1847年に、琉球ではイギリス・フランスとの通商が始まっている。
大久保さんのお父さんは、その貿易をする藩の役人のひとりで、琉球館というお役所に家族ぐるみで住み込んでいた。これは、お由羅騒動で、大久保家が突如不幸に見舞われるまで続く。
大久保さんが12才のころには、琉球使節団一行がやって来て、何か月か琉球館に滞在している。

これよりさらに早く、大久保さんの祖父で蘭方医の皆吉鳳徳は、幕府が禁じていた西洋型帆船を仲間と建造し、自ら琉球に貿易に行っている。
ものすごい西洋かぶれで、普段の生活でも書物や長崎留学で得た知識をもとに、西洋風の服などいろんなものを自分で作って使っていた。
祖父は孫の正袈裟君(大久保さん)をとても可愛がり、8才のころに亡くなるまで、自分の知識をことあるごとに教え込んだ。

要するに大久保さんは日本が開国するより前から、海外の文化に触れて育ったということになる。


【琉球絣 (りゅうきゅうがすり)】
大久保さんが薩摩で初めて龍馬さんと会った時、着る服もなくて困っていた龍馬さんに白い琉球絣の単衣(ひとえ)と鍔細(つばぼそ)の大小の刀をあげた、という話がある。
龍馬さんに似合いそうなスッキリした好青年風の格好です。

しかし、大久保さん、龍馬さんにあげる前は、自分で着てたんだよね?
そんなサワヤカ系の着物を持ってたんだ(笑)…。

いや、そりゃ薩摩だから、琉球絣って普通じゃんと言われればそれまでですが…。

幕恋って夏が舞台っぽいのに、大久保さんの和装は5月くらい、洋装は11月くらいの格好だし…。
リアル大久保っつったら明治のフロックコートに顎髭の印象が強いし…。
大久保さんにはイギリスっぽい寒い気候の格好が似合うイメージがある。

けど、大久保さんの生い立ちとか調べると、奄美・琉球と関係深いし…薩摩って南国なんですよねえ。

南の青い海の波打ち際、白い砂。近くにはソテツの花とか咲いてて…。
20才前後くらいの大久保正助&西郷吉之助が、白い絣の着物姿でじゃれあってる図…とか想像すると…。
すいません…。
それって、ありなんだろけど…あはは…としか言いようがない…。
ヾ(=;´ ェ `A

でも一方で思ってしまいました…。
幕恋大久保の京都の格好、リアル大久保の東京での格好…。

あれは、南国育ちだから、寒くて厚着してた…ということなんでしょうか?


【緑茶 (りょくちゃ)】
緑茶は日本独自のものと思われがちだが、実は上海からモロッコまで、ユーラシア全域では昔から緑茶が飲まれている。
特に有名なのは上海のご近所、杭州の龍井茶。
龍馬さんに頼んで取り寄せるなら、こっちがお勧めである。
(単に小娘が「りゅうせい」と「りゅうきゅう」を聞き間違えたってオチにもできるし)
ちなみに当時の琉球茶は中国茶に似た製法で、あまり美味しくないという記録が残っている。そもそも琉球貿易は薩摩が独占しているので、土佐浪人の龍馬さんには手が出せません。

ところで情報の出所は不明だが、大久保さんは緑茶に砂糖を入れて飲んでいた、という話がある。
日本人にはかなり掟破りの飲み方だが、幕恋当時のアメリカでは緑茶がブームで、砂糖とミルクを入れて飲まれていた。しかもどうやら、熱湯に茶葉を大量にぶち込んで10分煮出すという淹れ方だったらしい。したがって鬼のように濃い。
岩倉使節団が渡米したのは冬。雪でたびたび鉄道が止まり、ロッキーや砂漠のど真ん中の、小さな小さな田舎町で、何日も足止めを食らった。甘い緑茶とピクルスくらいでしか、ビタミン補給できなかったろうなーと思います。

大久保さんはアメリカの異常に濃い、ミルクと砂糖の入った緑茶を喜んで飲んだのかなあ…?



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