用語集

【る】 2件

【ルイ・ヴィトン (るいうぃとん)】
ルイ・ヴィトン創業は1854年。ペリーと日米和親条約を結んだ年です。
1867年、薩摩藩も出展したパリ万博で認められて、商売が軌道に乗る。
ルイ・ヴィトンがヒットしたのは、当時、船や汽車で移動する際に、積み重ねて収納できる蓋の平らなトランクが他になかったからです。
ところがその後、コピー商品が出回るようになった。
おりしも、フランスでは日本文化の大ブーム(ジャポニスム)が起きていた。ルイ・ヴィトンは日本の家紋に目をつけ、そのデザインを参考にして、例の有名なモノグラム模様をつけるようになる。

また、明治初期なので、日本の要人が次々と欧州に留学や視察に出ている。旅行には当然トランクが必要ですから、彼らは次々とルイ・ヴィトンのトランクを買って、日本に持ち帰る。
ルイ・ヴィトンが日本人に人気なのは、そんな理由があったんですね。

ルイ・ヴィトン社の顧客リストに残っている日本人の名前で、いちばん古いのは、1883年の後藤象二郎さん。
その時に一緒に旅行してた乾さんも、ルイ・ヴィトンのトランクを持ってて、実物が残ってるので、おそろいで買ったのかもしれない。
つか、乾さんのことだから、後藤さんの買ったトランクを、ちゃっかり自分のものにしてたりして…。
(= ̄ ェ  ̄=)♪

記録には残っていませんが、大久保さんや桂さんも、渡欧時にルイ・ヴィトンを買っていた可能性はありますね。


【ルフォーショー・ピンファイア・リボルバー (るふぉーしょーぴんふぁいありぼるばー)】
(Lefaucheux pinfire revolver)

以蔵の持っていたフランス製の拳銃。勝海舟からもらったという説がある。

詳しいモデルはわかんなかったけど、いちばん出回ってたのはこのM1858。


(出典:Wikipedia)

なんでフランス製?と思ったけど、1860年代初頭までは、フランス製拳銃の方が米国より技術が上で、米国の会社はまだ生産量が少なかった。
だから、勝さんが長崎伝習所時代や渡米時に買ったとすると、当然、フランス製拳銃を選んだだろう。

その後、南北戦争(1861〜1865年)で米国の武器産業は飛躍的に発展する。フランス製拳銃は旧式となり、米国製に取って代わられた。

以蔵が勝を護衛したのは1863年。このころには日本の志士たちも米国製の新型拳銃を買うようになっている。
たぶん、勝さんも新式の銃を買ったので、古い方を以蔵にくれたんだろうな。

以蔵って剣一筋のイメージが強いけど、足軽なので、土佐藩が戦をすることになれば、通常は鉄砲隊に入れられる身分。
藩によるが、武器代は自腹のとこが多い。
なので、銃のひとつくらい持っててもいいと思ってた気がする。

ただ、この拳銃は薬きょうが特殊なので、リアル以蔵には替えの弾は買えなかったと思う。(幕恋の以蔵は買えそうだけど)
捕縛された時に没収されず、子孫の家に残ってることを考えても、普段は持ち歩いてなかったんじゃないかな。



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