用語集

【き】 15件

【紀尾井坂 (きおいざか)】
いわずと知れた大久保さん暗殺現場ですが…。
この坂には、前々から疑問を感じてます。

幕末から維新までの主要暗殺事件は、大ざっぱに言うと、桜田門外の井伊直弼暗殺に始まり、紀尾井坂の大久保利通暗殺に終わる。

この二つの事件には、「井伊」「薩摩」という2つの共通のキーワードがある。

桜田門外の変は「井伊」が被害者で、犯人側に「薩摩」の人間がいる。
紀尾井坂の変は被害者が「薩摩」で、現場が「井伊」藩邸のあった場所のそば。

別に大久保さん暗殺犯が何か言ってるわけじゃないけど、この符合はけっこう気になる。

紀尾井坂の名は、かつて紀伊・尾張・井伊の大名屋敷があったことに由来してます。徳川御三家のうち2つと、代々大老を出してる家ですね。
とっても徳川幕府に縁のある地名なわけです。
そこで倒幕の中心人物だった人が殺されたわけだから、なんか意味あるんじゃないかとつい思っちゃう。

もうひとつ気になるのは、坂の上にある食い違い見附。
見附ってのは、江戸城防備のため、敵を待ち伏せするのに都合のよいように、道を曲げたり土盛りや石垣を作ったりしてある場所。

要するに、当時の東京で最も暗殺向きの場所のひとつなわけです。

なぜ、大久保さん、こっちの道をいつも通ってたんだろ?危ないじゃん。

そのへんが、とっても疑問な私であります。
(=・ ェ ・A;=)


【聞こえないふり (きこえないふり)】
実は大久保さん、薩長同盟が締結される前の年に幕府が第二次長征を布告した当時から、「長州征伐?ふん、馬鹿馬鹿しい」という発言を、京都や大坂で将軍周辺や朝廷に言いまくっている。
まったく隠していない…つか、積極的に言い回っている。

薩長同盟から3か月後、幕府から薩摩に、長州を討てという命令が出た時のこと。
誰の代理か知らないけど、薩摩の名代で幕府老中の板倉勝静(かつきよ)に会いに行った大久保さん、板倉さんが長州征伐の話をするのを、風邪っ引きで耳が聞こえないと言ってすべてスルーしてしまった。
たまりかねた板倉さんが大声で「長州を討て」と騒ぐと、大久保さんは「薩摩を討つ」とか「幕府を討て」とかと聞き違えたふりをして、何を馬鹿なとトンチンカンな返答を繰り返して、板倉さんを煙に巻いた。
最後に、ようよう「長州を討て」という話が通じたかな、と思ったら、大久保さん、「そんな大義のない戦に、一人の兵も出せるものか」と、とうとうと自説を語り出し、板倉さんを理屈でやりこめて、「ふん」と去って行った。

老中の板倉さんという人は、薩英戦争の時とかも、大久保さんに脅されて、7万両の貸付金ぶん取られてるし…。
何かにつけて大久保さんにスルーされたり、脅されたり、可哀相な目にあってます。
見た目も、小日向文世みたいに情けない中年オヤジ役が似合う顔をしてました。


【貴様 (きさま)】
大久保さんが他の志士に対して、それで小娘を守れるのか!とキレるシーンで2か所、二人称に「貴様」が出て来るシーンがある。

ひとつは武市さんに「貴様っ!」と言われて「無礼者っ!」と言い返す。
もう一か所は高杉さんの胸倉つかんで「貴様っ!」と怒鳴る。

まあどっちもケンカ売ってるわけですが。
今の時代は「貴様」ってのは相手を罵ったり見下したりする時に使うので、たぶん幕恋でもそういうニュアンスで使ってるんだろうなとは思います。

でも江戸末期から昭和の始めだと「貴様」ってのは、出身身分がそれほど高くない男性が、大親友か腹心の部下に使う言葉。
(つっても旗本ぐらいでも使ってたっぽい)
「貴様と俺とは同期の桜〜♪」なんて歌もありますが、ニュアンス的にこいつのためなら死んでもいいくらい仲のいい相手に使ってた時代もあります。
んでこの時代のラブストーリーの王道は、親友と同じ女性を好きになり、女性も親友を慕ってるのがわかる…というやつ。悩みながらも応援するほのぼの展開と、親友だまして女性をGETする鬱展開と2パターンあるけど。

幕恋の大久保さんもまあ、なんのかんの言って他の志士連中とは仲いいんで。
「貴様!」って罵倒の中にも大きな愛があるんだと勝手に解釈しとります。


【煙管 (きせる)】
江戸時代は身分によって服装だけじゃなく、しぐさも違った。
煙管の持ち方も、身分や職業によって違ったらしい…という話を聞いて、へええ…と思って調べてみた。

んで見つけた写真。

煙管を使う徳川慶喜。
(出典:茨城県)

職人に扮した女の子。
(出典:長崎大学)

歌舞伎関係者や煙管愛好者は、前者を武士持ちと呼んでいるらしい。
大久保さんの持ち方もこれかな?…と思ったんですが。

たばこ情報ならやっぱJTのホムペでしょう。と見てみると、落語では武士の持ち方がまた違う。
落語協会がYouTubeに載せてた動画(添付リンク)は武士(5:53頃)と職人(13:20頃)で演じ分けてますが、持ち方自体は大して違いがない。
歌舞伎と落語では違うのか?と調べてみると、中村吉衛門さんの演じる鬼平も、やっぱ落語式。

でさらに調べてみると落語の方には明治初頭からの口伝があった。慶喜の持ち方はお殿様限定。
大久保さんのような下級武士は、町人と同じ持ち方をする。(ただし背筋は伸ばして下を向かない)
こんなとこでも身分の区別があったんですね。
しかし煙管はこだわる人が持つとほんとかっこいいんだよな。大久保さんも年期の入った煙草喫みだから、びしっと決まっていたに違いない。


【木戸 (きど)】
桂さん、どの時点で木戸って名前に変えればいいのかなあ…と思って調べてみて、驚いた。

桂さんが木戸さんになったのは、1865年、幕恋の前の年である。
Σ(=・ ェ ・;=)

つまり、幕恋の話で桂小五郎って名前を使っているのは、史実には沿っていない、ということになる。
知らんかった…。

ま、他の幕末を舞台にした作品も、たいがいは桂さんって使ってるけどね。

というのも、木戸孝允になるのは1869年なので、それまでは木戸貫治とか木戸準一郎とか、マイナーな名前を使っているからなのだ。

…というわけで。
このサイトでも、桂さんは明治2年に木戸孝允になるまでは、桂さんで通すことにします。


【旧岩崎邸庭園 (きゅういわさきていていえん)】
東京の池之端(最寄駅は湯島)にある岩崎弥太郎の屋敷跡。
明治の初めは、半次郎さん(当時は桐野利秋になってた)のお屋敷で、その前は旗本の榊原家の屋敷だった。
なんかすごいお屋敷である。
今の建物は岩崎家が建てたもので、半次郎さんがいたころの面影は庭にしか残ってないんだけど。

風説によると、この家にはお妾さんのお秋さんが住んでいたんだけど、彼女の前の人たちは誰も居つかず、一晩で逃げていた。
というのも、昔半次郎さんが斬った人たちが、夜毎に枕元に立ったからである。

いよいよ西南戦争が始まろうという時期、半次郎さんは、何かあったらこれを使えと、菊一文字の短刀を贈り、取りすがる彼女を振り切って、馬に乗って去って行った…つーことになってる。

で、お秋さん、正体を隠して鹿児島に行き、桐野さんのいる陣に毎日薪を届けたり、けが人の世話をした。
あの女は何だと不思議がられ、半次郎さんの前に連れて来られて正体がバレると、会えた嬉しさで涙を流しながらも、こんな戦争はおかしいと思いますと切々と訴えたという話が、明治ごろには流布していた。

ちょっとお秋さんのキャラは小娘っぽいなあと思いました。


【卿と公 (きょうとこう)】
「卿」や「公」と呼ばれる人のことを公卿と言いますが、これには、一定の条件があります。

卿…三位以上または参議となること

公…太政大臣、左大臣、右大臣のどれかであること
江戸時代には、武家が自分の主君などに公をつけることがあった
明治時代は、公爵に対する尊称

で、大久保さんですが、亡くなった時は従三位なので、官位ではどちらの条件も満たしません。
条件を満たすのは、官職の方です。

明治2年7月22日(1869年8月29日)参議になる→大久保卿となる
明治11年(1878年)5月15日(暗殺の翌日)右大臣を贈られる→大久保公となる

大久保√で沖田さんが「大久保公」と呼んでますが、大久保さん本人は、生きてるうちに「公」と呼ばれたことはありません。
なもんでつい、ここ読んで「殺すなーっ」と悶えてしまいました。
o(= i ェ i =)o

ここの沖田さんのセリフは、ニュアンス的に「藩主気取りですねえ」と皮肉って「公」をつけるという解釈も可能ですが、その場合は「利通公」という言い方になります。

ちなみに大久保さんは藩主でないのに「久光公」と呼んでますが、藩主の父も公はOKです。
水戸黄門が引退後も「ご老公」と呼ばれてるのと同じですね。

もっとも、島津久光は明治に公爵に叙せられるので、名実ともに「公」になりますが。


【京都タワー (きょうとたわー)】
序幕の、京都を空から見た光景。
あれ、ずっと不思議だったんですよね。
小娘、空を飛べるわけでもないのに、なんで京都を見下ろす視点からの絵が入るんだろうって。

あれ、小娘とカナちゃんが、京都タワーの上から東本願寺を見下ろしてるんですね。
で、その後、下に降りてキーホルダーを失くすわけです。

ちなみに京都タワーからだと、鳥居のずらりと並ぶ伏見稲荷は数km、JR一駅の距離。
小娘が以蔵に初めて会ったのがそこだと仮定して、例の神社もその近所だと考えた場合、わりと小娘にとっては自然な位置関係になってます。

志士の皆さんは、そんなとこで何してたの?って思いますが…。
いちおう、寺田屋と三条の長州藩邸を直線で結ぶと、その中間地点に伏見稲荷は来ます。
で、伏見稲荷と三条長州藩邸を結んだ線の途中、ちょっと外れたところに錦小路の薩摩藩邸はある。
なので、寺田屋を出て、伏見稲荷で三人が待ち合わせて、その後に錦小路近辺で大久保さんと待ち合わせて…って流れは、まあそれなりに位置関係はわかる。

どっちの藩邸も幕恋の時期には、もう焼けちゃって無いけどね。


【斬るぞ (きるぞ)】
幕恋では、二言目には斬るぞというのは、以蔵の専売特許みたいですが、たまたま調べてみたら、幕恋の他の登場人物も、過去にいろんな人を斬ろうと考えてらしくて、ちょいとびっくりしました。

大久保さんが、安政5年(1858年)ごろに井伊直弼の暗殺計画に首突っ込んでたのは何回か書いたけど…。

文久2年(1862年)は、なんかすごいです。

高杉さんと慎ちゃん、島津久光公の暗殺計画を練る
武市さん、岩倉さんを斬るべきだと主張して、京都にいる志士がこぞって賛成したので、岩倉さん、辞職して逃げる。大久保さん、岩倉さんをかばう
慎ちゃん、乾さんを斬ろうと考える
高杉さん、イギリス公使の襲撃計画を立てる

ちなみに、新選組の前身である浪士組の募集が始まったのも、この年。
うーん…そりゃ、治安維持組織ができてもしかたないかなって思いました…。

それから、後に乾さんは慎ちゃんと協力して活動するようになった時に、自分を殺す気だったろう?と問い詰めて、慎ちゃんが認めたら、それでこそ中岡だ、私を殺そうとしたくらいでないと信用できない、と喜んだらしい。
この二人は、なんか知らんけど、それ以外でも、お互いに命を捨てようとか、ぶっそうな会話が多いみたいです。
よくわからん人たちだ…。


【祇園祭 (ぎおんまつり)】
京都の夏の祭りといえば祇園祭ですが、幕恋には出てこない。もっと地元っぽい小規模なお祭りが出てきます。

というのも幕恋当時は、2年前のどんどん焼けで山鉾の多くが焼けてしまって、お祭りどころではない状態だったから。
火事の翌年は祇園祭は中止されていて、幕恋の年にはいちおう再開されたものの、焼け残ったわずかな町だけのさびしいお祭りだったらしいです。

これ以外にも、幕末の京都・大坂では、有名どころの大きなお祭りは、世情不安により中止や縮小開催に追い込まれたケースが多いです。


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