用語集

【く】 7件

【空気感染 (くうきかんせん)】
結核(労咳)などの伝染病の感染のしかた。

1.患者が咳や会話をした時に、病原菌を含んだ体液(痰や唾など)が細かい飛沫になって、体の外に出る。
2.飛沫が乾いて、病原菌が空気中を漂う。
3.近くの人が呼吸時にそれを吸いこみ、病原菌が肺に入り込む。
4.肺から血液やリンパ液に入って全身に広がる。(感染)
5.結核菌は弱いので、ここでたいがいの人は気づかないうちに治る。
6.体の抵抗力が弱っている場合、潜伏期間ののちに、肺結核などの症状が現れる。(発病)

結核の場合、重要なのは3点。
(1)感染しただけなら問題ない。危険なのは発病した時だけ。
(2)経口感染、接触感染ではない。いつも一緒にいるだけで感染する。反対にキスなどはあまり感染とは関係ない。
(3)現代でも、吐血するほど重篤な結核患者は、法令で強制入院させられる。軽い病気ではない。


【口説き文句 (くどきもんく)】
一度ぐらい、大久保さんに薩摩弁を喋らせたいと思いつつ、いまだにできてない。
キャラ変わるもんなあ…。

なもんで…以下は大久保さんっつより、半次郎か正助君を想定してください。



【口説き文句その2 (くどくもんくそのに)】
武市√第10話のあのシーンを薩摩弁にしてみました。
雰囲気変わるなあ…。

大「心ん殺して尚も意義あいち決むっか、心ん誠に殉じて生きっか、簡単な選択じゃ。決断の後の後悔(くけ)を恐れよっなら、おはんが悩みなんぞ、腹をくびっ価値もなか、ちんけものちゅうこっじゃ」
娘「…?」
大「理解(じけ)、できとらんじゃろ?」
娘「な、何となくは、わかりました…多分」
大「はっはっはっ!ほんのこて話し甲斐のなかわろじゃ。おてちき教育してみごちゃっ」
娘「い、いえっ結構です!ちゃんとわかりましたっ」
大「んにゃんにゃ、おはんな分かっちょらん」
娘「だ、だって、言葉使いが難しすぎるんですっ」
(大久保さん、小娘の近くに座って手を握る)
娘「お、大久保、さん?」
大「○○が家へ戻っ気がなかちゆんなら、おいんとこっへけ」
娘「そ、それは…っ」
大「藩邸ん中なら、○○もつつがのう過ごすこっがでくっ。おはんが思いよっよか、おや○○の身を案じよっど。悪りようには、せん」
娘「お、大久保さん…離して、ください」
大「照れよっどか?」
娘「…わたし、武市さんに、男の人と二人きりにならないように、約束してるんです」
大「武市どんと?」
娘「はい。だから、お話しするなら、みんなが居るところで」
大「守んでよか。おいが、破らすっど」

…そりゃ、難しくてわかんないよ。


【熊 (くま)】
大久保さんと小娘ちゃんがもし結婚したら、やっぱ子どもは二男一女くらい欲しいかなーと妄想してた時に、リアルの大久保さんの子どもの名前(幼名)を調べてみた。

彦之進(彦熊)、伸熊、三熊、達熊、雄熊、駿熊、七熊、芳子、利賢。

なんでこんなに熊が好きなの?

クマソの熊?熊本の熊?
まあ元気で強い子に育ってほしいって意味なんだろな。

ところで、雅号の甲東など、大久保さんって、地名にちなんだ命名が好きみたいです。

時期的にみると、大久保さんが初めて薩摩を出て、熊本に行った何か月か後に、長男の彦熊君が奥さんのお腹にいることがわかる。
この熊本行きは大久保さんにとって、7年間かけてどん底から這い上がり、ついに自分も狭い薩摩から飛び出て日本を動かす志士になったぞ!という意気込みはあったはずなので…たかが隣の藩であっても、気持ちの上ではものすごい大きな一歩ではある。
だから長男に、熊本の熊のついた名をつけてもおかしくない。

ついでに言うと、彦熊君の生まれた年は、彦根藩主である井伊直弼を暗殺して名を上げようとしてた時期でもある。

で、四男の達熊君は、大久保さんがついに京都と江戸に到達してから、初めてできた子である。
六男の駿熊君の生まれた年はわかんないけど…。
達熊君の一二年後だろうから、たぶん戊辰戦争で西郷さんが駿府で江戸城無血開城の話し合いをした後くらい?


【クラバット (くらばっと)】
乾さん洋装の襟元でふわふわしている白いあれのこと。
幕恋の時代、1860年代ぐらいまで男性の服装、特に兵装にはよく使われていたが、次第にネクタイへと変化していった。
クラバットの語源は、フランス語でクロアチア人という意味。クロアチアの兵士がフランスに来たことで流行し出したと言われている。

ちなみにリアルの乾さん…つか板垣退助の晩年の有名なおヒゲはフレンチフォークと言って、当時フランスで流行したスタイルらしい。
ルイヴィトンの鞄も持ってるし、乾さんファッションはわりかしフランス風のイメージですね。

大久保さんファッションはどっちかというとイギリス風のイメージなんで、なんかうまいこと対比になってるなあと思います。


【蔵役 (くらやく)】
大久保さんがお家騒動後の謹慎から許され、藩庁に復帰した直後の転属先。
蔵役は藩内の各郷村にある年貢米の倉庫を管理する役。
農民から年貢を集めるのは西郷さんの務めてた郡方(こおりかた)の仕事だけど、ふだんから農民を指導したりして情が移り、つい目こぼししてやりがちである。なんで、蔵役が出張してきて年貢徴収作業を監督し、ノルマ分をきっちり収めさせる。つまり、

西郷さん…郡方。貧しい農民の味方。困ってる人を助けるのがお仕事。
大久保さん…蔵方。藩全体を豊かにするため、時には非情にやるべきことをするのがお仕事。

という立場の対立は、すでにこのころから始まってると言えます。

ところで一般には、大久保さんが御蔵役に配属された理由は貧困救済のためと言われている。周囲もそう噂してたっぽい。
蔵役には慣習的にいろいろな役得があり、副収入が多かった。役得とは、ぶっちゃけ横領や賄賂である。この時代はわかんないけど、先代藩主斉興公の頃は、蔵役は藩内でも最大の汚職の温床で、蔵役になる権利は高値で売買されていた。

しかし大久保さんは蔵役になって一年たっても、3両の借金が返せずに手紙で謝っている。あいかわらずの貧乏生活である。
大久保さんは「為政清明」と書いた紙を部屋に貼っていた。お仕事は清く正しく…誰が賄賂なんか取るかっ!と一人つっぱってる姿が浮かぶようです。


【クリノリン (くりのりん)】
明治の女性のドレスというとバッスルスタイルが有名ですが、これは小娘ちゃんの時代より少し後。
小娘ちゃんの時代は、クジラのひげなどで輪っかを作り、それをひもでつなげた形のフレームを、広がったスカートの下にはいてました。
これ、一時はものすごく広がって、とうてい男性とダンスなんか踊れないほどだったそうですが、小娘ちゃんの時代ではかなり下火になってて、ちょっと広がってるかなあ…程度です。
それでも、座るときは脚に食い込んでけっこう痛かったらしい…。
ちなみに、スカートの上、ウェストはあの悪名高いコルセットでぎゅうううううっと締め上げています。
ゆえに、小娘ちゃんのあの細い腰がさらに細くなるわけですが…やっぱ健康にはかなり悪かったらしいですな。

(Wikipedia)



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