用語集

【こ】 13件

【郷中教育 (ごじゅうきょういく)】
薩摩藩の武士の子弟教育制度。

あくまでも「武士」の教育制度である。町人の子どもは対象外。

方限(ほうぎり)という地域区分ごとに、そこに住む武士の子どもが、ほぼ日中すべてを一緒にすごし、学問や武芸などを学んだ。
薩摩武士のちょっと他藩にないような、体育会系ノリの団結力は、この郷中教育によって、小さいころから常に行動を共にし、同じ思想教育を受けてきたことによる。
地域ごとに別々に運営してたから、けっこう地域格差はあったらしい。
下加治屋町は、西郷さんと大久保さんが学んだので有名。

子どもたちは7才頃に袴着をすませると稚児として通い始め、15才前後で元服すると二才として稚児の指導をするようになる。
稚児が町の外に行く時は二才が付き添うのが決まりだし、二才になっても藩校などへの行き来は集団登下校が基本。
つーわけで、年の少し離れた大久保さんと西郷さんが一緒に行動することも多かったようである。

教育内容は、ちょっとばかり右寄り。
戦記物や赤穂浪士の切腹の話なんか読ませて、忠義のために死ねとか教えたり。
女とは一切口を利くな、話に出すのも許さんと教えたり。
剣術は薬丸自顕流なんで、やっぱ、自らの命を顧みず敵を倒せみたいな教え方してます。
目上の者には絶対服従。理屈で反論するな、なんて教えもある(このへんは長州藩と正反対)。


【ゴッタン (ごったん)】
薩摩藩の庶民の間に伝わっていた楽器。箱三味線、箱三線ともいう。
ふつうの三味線では皮を張っている部分を、杉板などの木で作ってある。専門の職人はおらず、大工さんが作る。

薩摩では一向宗が禁止されていたため、信徒が隠れて念仏を唱えるために、ゴッタンを弾いて唄ったのがはじまりらしい。
まあつまり、庶民の楽器なので、武士は弾かない。

一向宗の信徒は、藩の統制を逃れるために洞穴に隠れて信仰を続けるなど、苦しい時代を過ごしたが、現在の鹿児島県では反対に、仏教徒では浄土真宗がもっとも多いそうです。
というのも、幕末から明治にかけて、鹿児島県ではかなり過激な廃仏毀釈運動が起き、一時期は県内から寺が一切無くなってしまった。競争相手がまったくいなくなったタイミングで、明治9年に一向宗の禁教が解かれ、直後に西南戦争が勃発。西本願寺など浄土真宗の寺が熱心に罹災者救済や復興に務めた結果、一挙に浄土真宗が広がったためらしい。


【呉服屋 (ごふくや)】
呉服屋の扱う着物は、高級品で、基本的にオーダーメードのみ。
店にもよるけれど、大久保さんの着物の買い方は、おそらくこんな感じ。

まず、懇意の呉服屋に奉公人をやって「大島紬のいいのがあったら持って来い」など、大まかな希望を伝えておく。
すると番頭が、店にある反物をいくつか見繕って、藩邸に持ってくる。
大久保さんが座敷で反物を見て、「ふん、ろくなのがない」とケチをつけ、一旦そのまま呉服屋を帰す(これは他の人でも普通にやる)。
呉服屋さんは、店の在庫だけでなく、織元などをあたって、もっと質のいい品をかき集めて、もう一度藩邸に行く。
これを数回繰り返して、反物が決まったら、ご購入。
で、寸法を測って仕立てさせるわけだけど、お洒落な人の場合は、自分のひいきのお針子さんに直接頼むこともある。
その場合は、またお針子さんのところに奉公人をやって呼びつけて…。ああ、めんどい。

女性の場合は、たぶん直接呉服屋に行く。
店には、接待用のお茶屋みたいなところがあり、お菓子の無料サービスがある。
そこで、店員が次々と出してくる反物に寸評を加えながら、数時間かけて候補をいくつか絞る。
すると、次の日あたりにお屋敷に呉服屋さんが反物持ってやってきて…。
あとは大久保さんと同じ。

要するに、客に着物の知識がないとつらいので、小娘には無理。


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