用語集

【し】 33件

【出航 (しゅっこう)】
以下は、岩倉使節団が出発した横浜のイギリス波止場の当時のようす。かなり貧相である。
小型船しか埠頭に横付けできなかったというのが、よくわかる。

出典:横浜開港資料館

なので、使節団の見送り風景はこんな感じ。
沖にある大型の船が、サンフランシスコまで一行を乗せて行ったジャパン号。当時としては最新鋭の外輪付き蒸気帆船である。

出典:聖徳記念絵画館

ちなみに、真ん中辺の日の丸のついた汽艇(小型蒸気船)の上にいるのが、左から大久保さん、岩倉さん、木戸さん。

なんか皆さんわりとリラックスモードなのに、大久保さん一人だけ、直立不動っつか、妙に真面目に「不肖大久保、お国の為に行って参ります」って感じで、ほほえましい。


【正月 (しょうがつ)】
お正月も近いので、大久保さん&小娘で正月ネタないかな…と探していたら、ちょっと残念なことに気づいた。

小娘、幕末には、お正月を祝えません。

幕恋の時代は1866年。明治が始まったのは1868年。
つまり、小娘が江戸時代中に正月を祝うなら、1867年か1868年の2回のチャンスしかないんですけど…。

1866年の年末に、孝明天皇が崩御しているので、1867年の京都は、喪の期間中で町全体が正月を祝う雰囲気じゃない。

1867年の年末は、大久保さんが王政復古のクーデターを起こして、いつ将軍が大阪から京都に攻め上って来るかってピリピリしている時期だから、こっちも正月どころの騒ぎじゃない。実際1868年1月3日には攻めて来るわけだし。
しかも大久保さん、体調ボロボロなのに京都⇔薩摩往復をくり返して無理したせいか、大みそかと元日には寝込んでいる。

うーむ…。
とりあえず1869年のお正月は、戊辰戦争で箱館で戦争やってるけど、東京はなんとか正月を祝えるかな?

ちなみに、もし小娘が大久保さん(または桂さん)と結婚して、岩倉使節団に連れてってもらえた場合、おそらくいちばんド派手な正月は、1873年(明治6年)にフランスのベルサイユ宮殿で祝う正月になります。


【正袈裟 (しょうけさ)】
大久保さんの幼名。なんでこんな名前を付けたんだろと思ってたら…昔は赤ちゃんに「袈裟」の付く名前を付けることは珍しくなかったんスね。

時々、赤ちゃんの首などにヘソの緒が巻き付いて生まれてくることがあります。臍帯巻絡と言ってわりとよくあることで大して問題じゃないんですが、医療の発達していない昔の場合、出産に時間がかかりすぎた時に赤ちゃんに影響が出ることがありました。
で、ヘソの緒が絡まった姿が僧侶の袈裟をまとった姿に似ていることから験を担いで、仏様の加護があるように、赤ちゃんが無事に育つようにと「袈裟」のついた名前をつける習慣のある地方がありました。

大久保さんが小さいころ、正袈裟という名前だったのも、両親の願いがこめられてたってことなのかな?
ナムナム L(=- ェ -=)_/☆ Ω


【猩紅熱 (しょうこうねつ)】
溶連菌によって起きる感染症で、主に子どもがかかる。高熱、喉の痛み、赤い発疹、真っ赤な舌が特徴。
今では抗生物質があるから、たいした病気ではないが、幕末から明治ぐらいでは、死ぬ人もかなり多かった。
つっても、まあ、小娘くらいの年になると致死率は下がるんだけど、それでも命の危険があることには変わりない。

怖いのが、合併症。これにかかると、失明したり、心臓に一生残る障害が出たりする。
たとえば、ヘレン・ケラーが三重苦になったのは、猩紅熱がきっかけと言われている。
幕恋とほぼ同時代の「若草物語」では、三女のべスが猩紅熱にかかって一応治りはするけど、結局健康体には戻れず、その後2年間、繰り返し病気にかかっては、苦しんだ末に衰弱死する。

当時は、それだけ怖い病気だったってことです。


【庄屋 (しょうや)】
農村で、農民から年貢を徴集したり、村の治安を守ったりする役目の人。
長州や会津など大半の藩や幕府領では通常、庄屋は地元の豪農で、代官を補佐する立場。
江戸時代の後期には、名字帯刀を許されたり、郷士株を買って武士になることもあった。

土佐と薩摩では事情が違い、庄屋は藩に任命されて現地に派遣される。
薩摩では鹿児島付近の村だけ城下士、後はすべて郷士が庄屋になる。つまり全員が武士。
土佐はいまいち資料がないけど、郷士が庄屋になることもあるっぽい。

慎ちゃんの実家も庄屋で、昔から郷士の家柄だったらしい。龍馬さんの実家のように後から郷士株を買ったわけではない。
天保12年(1841年)には、庄屋たちが同盟を作って、勤皇や四民平等の思想を唱え、慎ちゃんのお父さんや武市さんの伯父さんも活動に参加した。
これが、後に土佐勤王党や、倒幕の運動につながっていく。

アンパンマンのやなせたかしさんも土佐の庄屋の家柄で、先祖は地元の陰陽道の祭祀をつかさどっていたとか。

…って、祭祀?
調べてみたら、江戸時代、土佐の庄屋ってけっこう、地元のお祭りを主催してる…。
庄屋さんの敷地内でお祭りやったり、遠方から地元の神社に来る神官さんを家に泊めたり…。
武士は祭りに行かないどころの騒ぎじゃないですね。自分ちで祭りやってるんじゃ…。


【書生 (しょせい)】
貧乏な若い学生が勉強したい場合、同郷や知人などの成功した人の家に転がり込み、奉公人と居候の中間のような立場で学費を稼ぎながら社会勉強するシステム。
一般的になったのは明治になってからだが、薩摩には幕末からあった。
大久保さんちには明治の頃には居たって記録があるけど、幕末ころは不明。

昔の薩摩は貧しい上に武士が多すぎて仕事の数が足りなかったから、成功した人は他家の若者の面倒を見るのが当然と思われていたところがあり、なかばボランティアとして成立してた習慣。ま、人間がそれだけ世知辛くなかった時代のお話ですね。

居候のわりには態度がでかくて乱暴者がけっこう多かったらしくて、しかも食べ盛りだから、世話する方はかなりたいへんだったらしいです。
乱暴でわざと小汚い格好をしてるから嫌われたという説と、高学歴でコネもあるからモテたという説と、両方あるけど…多分そのへんは人それぞれだったんでしょう。


【所要日数 (しょようにっすう)】
幕恋の時代の旅行にかかる日数のメモ。
データは実際に、大久保さんなどが移動した実績に基づいています。
悪天候やお仕事で途中で連泊することがあるので、同じ旅程でも1〜3日ずれることがあります。

伏見(寺田屋)→大坂(薩摩藩邸) 船で6時間、徒歩で1日
大坂→伏見 船で12時間、徒歩で1日

京都⇔鹿児島
@長崎経由(瀬戸内海+九州西岸) 蒸気船で10日前後
A佐賀関(大分)経由(瀬戸内海+九州東岸) 蒸気船で11日前後
B黒崎(福岡)経由(徒歩で九州縦断+瀬戸内海) 徒歩7日+船8日(船種不明)

鹿児島→京都
C土佐沖経由(太平洋沖+淡路島東岸) 蒸気船で6日前後
D全行程徒歩(久光公上洛) 徒歩28日間(ただし大砲ひきずって歩いてます)

京都→江戸
E全行程徒歩(久光公江戸入り) 徒歩15日間(やっぱ大砲ひきずってます)

他に大久保さんなら、連絡手段として早駕籠・早馬・飛脚(藩のお抱えまたは民間)が使えます。伝書鳩も使ってたかも。

あと、参考までに
琉球→浦賀(ペリー) 蒸気船で6日。
横浜→鹿児島(薩英戦争) 蒸気船で6日。
長崎⇔上海(伊藤博文ほか) 蒸気船で5日。
大西洋横断(岩倉使節団) 蒸気船で11日。
太平洋横断(岩倉使節団) 蒸気船で24日。


【白河藩 (しらかわはん)】
沖田さんは1842年か1844年に江戸の白河藩邸で生まれ、幼くして両親を亡くし、近藤さんの内弟子になったと言われている。

白河藩の阿部家は、譜代大名の中でも家柄がいい。幕恋当時、藩主の阿部正外は老中を務めている。
(4年前は神奈川奉行で、生麦事件で大久保さんらにコケにされている)
つまり、白河藩の皆さんも将軍と一緒に京大坂に来ている。
だったらお父さんと旧友だった白河藩士が、沖田さんを訪ねて屯所に来るとかあっていいじゃん、と思うけどそんな話は聞かない。
なんで白河とスッパリ縁が切れてるの?と思ったので調べてみた。

阿部家は1823年に忍藩(今の埼玉県行田市)から白河藩にお国替えになっている。お父さんが生まれた時は、まだ忍藩。
沖田家は数代前から埼玉で足軽をやっていたわけで、白河には行ったことないかも知れない。

忍藩は生糸の産地。生糸は千人同心街道を通って3里半先の八王子に運ばれた。
この街道を警備してたのが八王子千人同心。八王子といいつつ日野に住んでた人が多く、お母さんもこの辺の出身っぽい。天然理心流の家元やお姉さんの夫も千人同心関係者。
つまり沖田さんにとって地元とは、知人のいない白河じゃなく、多摩だったってわけですね。


【白浪五人男 (しらなみごにんおとこ)】
高杉さんお気に入りの歌舞伎の演目。正式な題名は「青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ)」。5人組の盗賊の活躍を描く。

初演は文久2年(1862年)3月。江戸浅草の市村座。この年の暮れ、高杉さんは仲間たちとつるんで品川の英国公使館を焼き討ちする。

「知らざあ言って聞かせやしょう。(中略)弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ」と、女装を見破られた泥棒が啖呵を切るセリフで有名。
当時の歌舞伎では、白波ものという盗賊が主人公の作品が多くヒットした。
他のジャンルでも幕末から明治にかけて人気が出たヒーローは、アウトローが多い。
これは、日本が開国により急速に治安が悪化したことを反映している。

ちなみにこのお芝居、ゴレンジャーなどの戦隊ものの元ネタだそうです。
戦隊もののアクションシーンの振り付けって殺陣師がやるから、案外歌舞伎の影響が強いんですね。


【師走 (しわす)】
旧暦12月3日は西郷さんの誕生日。その前日の旧暦12月2日は半次郎さんの誕生日。
西暦12月3日だと小松さんの誕生日で、前日の西暦12月2日は島津久光の誕生日。

何だろ。この、薩摩首脳陣の誕生日の近さ。

薩摩では男の子の誕生日を12月近辺ってことにする習慣でもあるのかなと思ったけど、他の方々の誕生日はまったく近くなかった。
なので、この4人の誕生日が近いのはまったくの偶然。


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