用語集

【た】 16件

【誕生日 (たんじょうび)】
大久保さんの誕生日は、文政13年8月10日。西暦でいうと1830年9月26日。

文政、なんだよねえ…他の志士は武市さん以外全員天保生まれなのにさ。
まあ、あと3か月遅く生まれていれば、天保なんだけど。
文政と言えば、文化文政…いわゆる化政文化の時代。

天保の、水野忠邦や遠山の金さんが活躍した時代より前である。
なんか、年感じちゃうなあ…。

高杉さんのお師匠の吉田松陰は6日前の9月20日生まれ。
そういう意味でも、大久保さん、武市さんって一世代前なんだよね…ははヾ(=;´ ェ `A

しかし、小娘が旧暦8月10日に、大久保さんにお誕生日祝いしましょうなどと言っても、たぶん、反応は薄い。
この当時は、数え年。日本全国津々浦々、全員が元旦に一歳ずつ年を取る仕組み。
なんでそれぞれで誕生日を祝わないかというと、年によって一年の長さがまちまちで、閏月も多かったため。
たとえば、大久保さんの生まれた1830年には閏三月というのがあるが、これは30年後の安政7年(1860年)までない。
そのため、人それぞれで誕生日祝おうとすると、閏月生まれの人が困ってしまう。

さらに、大久保さんが精忠組の勉強会に使った「近思録」という朱子学の本には、両親が存命中の人以外は誕生日を祝ってはいかんと書いてあったりもする。

小娘ちゃんが無事、誕生日デートにこぎつけるには、いろいろ障害多いっス。


【第一次長州征伐 (だいいちじちょうしゅうせいばつ)】
大久保√の中で、禁門の変と第一次長州征伐の時系列と、進軍方向の説明が逆だったので、まとめてみました。

文久3年(1863年)8月18日 八月十八日の変…会津藩・薩摩藩などの公武合体派が、長州藩などの尊王攘夷派を京都から追い出す

元治元年(1864年)6月5日 池田屋事件発生。長州藩内の強硬派が反発し、藩論が挙兵へと傾く

元治元年(1864年)7月19日 禁門の変…長州藩が挙兵し、京都へ進軍。薩摩藩・会津藩・桑名藩などと戦闘。京都市内が大火事になる
            長州、朝敵となる。新選組などによる残党狩りが始まり、京都市内の長州藩士は、見つけ次第、斬殺してよいことになる

元治元年(1864年)7月23日) 第一次長州征伐の勅命下る。薩摩藩は挙兵したものの、独自判断で長州からの恭順を取り付け、戦闘せずに解決
            関門海峡通過問題をめぐって、英仏蘭米の四国連合艦隊が長州攻撃。高杉が使節となり講和締結。彦島の植民地化を阻止

元治元年(1865年)1月12日 高杉による功山寺挙兵。長州藩内の実権掌握

慶応2年(1866年)1月21日 薩長同盟締結


大久保√ではなぜか、薩摩が第一次長州征伐で長州攻め込んでって、そのまま戦闘が京都に飛び火して、禁門の変になったって書いてある。
はれれ(=・ ェ ・=)?


【大円寺 (だいえんじ)】
東京杉並区永福にある島津家の菩提寺。
もともとは高輪にあった。

高輪にあったころは、天璋院が斉彬公を祀った石塔や、天璋院付き老女の幾島さん、藩の元家老の調所広郷さんの墓もあったらしい。

大久保さんのおじいちゃんで大久保家第6代当主の大久保利政の墓も、このお寺にあったそうで、大久保さんは江戸に用事がある時は、お墓参りをしていたらしいです。

ただ、残念ながら、明治初期の廃仏毀釈などのあおりでこのお寺は島津家の庇護を失ったことや、その後に杉並に移転したことが原因で、薩摩藩ゆかりのものはあらかた整理されちゃったようです。


【大黒寺 (だいこくじ)】
別名、薩摩寺。

宝暦治水事件(1754〜1755年に、幕府が薩摩弱体化のために、無茶な治水工事をさせた事件)や、1862年の寺田屋事件(島津久光が尊王派の薩摩藩士たちに同士討ちさせた事件)などの犠牲者の墓がある。
ある意味、薩摩の黒歴史を凝縮したような寺。

西郷さんと大久保さんが密談した部屋ってのも残ってますが、何年何月に密談したのかはわかんなかった(しょっちゅうしてたのかもしんないけど)。
歩いてすぐのとこに伏見藩邸あるのに、ここを使ったってことは、藩邸じゃ話せないことだったと思うけど…何を話したかも不明。

御本尊の大黒様は60年に一度の御開帳。
残念ながら幕末期の御開帳は1864年なので、小娘は見れない。

「御開帳見たかったな、残念です」
「なら代わりにお前が御開帳してくれればいい」
「何ですか、それ?」
という非常にくだらない会話が頭に浮かんでしまった。


【大綬 (だいじゅ)】
ある種の勲章を帯びる時に使う幅広の布のこと。
例えば板垣伯爵になった後の乾さんが、勲一等旭日大綬章を着用した時の写真はこちら。

リアル板垣は爵位や勲章が嫌いだったので、この写真はあまり使わなかったようです。

ちなみに勲一等旭日大綬章の場合、大綬は白地に赤の縁取りのある布で、左胸にあるグレーの星型の副章とセットになっている。
幕恋の乾さんの洋装立ち絵はこの写真を参考にしてる感じですね。
ただし、まだ彼は勲章をもらってないので、刀を吊るベルトとラペルピンの意匠になってます。


【大中様 (だいつさあ)】
現在は鹿児島市の繁華街近く、松原町にある松原神社のこと。
島津家15代目当主、中興の祖と言われた島津貴久を祀っている。

ただし幕末には、ここは南林寺という寺だった。明治になって神仏分離令の影響で、神社となる。

このお寺に、大久保さんは正助時代、島流し中の父が無事でいますようにと毎日参拝していた。
繁華街にある寺なんで、夜明け前に人目につかないよう、こっそり通ってたらしい。

最初はずっと家族にも内緒にしてたんだけど、何年か目に母親にばれる。
たぶん、やっと藩の仕事がもらえるようになったものの、まだ借金に追われまくってたころの話ですね。

そのばれたきっかけというのが…お寺でキセルを落として、知人が母親に届けたから。
おい…。
貧乏でもタバコは手放せなかったらしい。
つか、このころからもう吸ってたんですね。


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