用語集

【い】 14件

【諱 (いみな)】
そう言えばまとめていなかったな、ということで幕恋キャラの皆様の諱(本名)の一覧。
幕恋当時の諱に★をつけ、右にいつ変えたかをメモしました。

大久保利済(としさだ)→★利通(としみち) 幕恋の1年前くらい
坂本直陰(なおかげ)→★直柔(なおなり) 1か月前くらい
高杉春風(はるかぜ)
武市小楯(こたて)  元服の時に義理の叔父で国学者の鹿持雅澄が命名
中岡道正(みちまさ) 元服の時にご先祖の名前をもらった
岡田宜振 読み方や由来は不明
桂孝允(たかよし)→★木戸孝允 8才の時から孝允、木戸になったのは4か月くらい前
乾正躬(まさみ)→★正形(まさかた) 
土方義豊 読み方や由来は不明
沖田春政→房良 読み方、由来、改名時期は不明

★西郷隆永(たかなが)→隆盛(たかもり)
★中村利秋(としあき)→桐野利秋(としあき)


【芋けんぴ (いもけんぴ)】
土佐の郷土菓子。
サツマイモ使うから薩摩の菓子かと思っていたら、土佐だった…。

江戸時代、山内氏が土佐に移封になった時に、けんぴという小麦粉の干菓子が持ち込まれたらしい。
その後、享保の大飢饉で土佐の人々が米の不作で悩んでいた時に、薩摩からサツマイモが伝わった。その時に、けんぴの形をまねて、芋けんぴが作られるようになったらしい。

ちなみに元禄時代からある芋けんぴの老舗、西川屋の発祥の地は、以蔵の故郷にわりと近い所にある。

ま、かつおぶしが土佐と薩摩のライバル関係の代表のような食品とすれば、芋けんぴは両藩の協力関係の象徴のような食べ物と言える。
薩土盟約の話し合いがもめた時、小娘がなーんにも考えずに、お茶と芋けんぴを持ってきて、
「土佐も薩摩も、仲よくしなきゃだめですよー」
とか言ったら、思わず、志士の皆さんが芋けんぴ手に持ったまま、考え込んでしまう…なんてシーンがあったら楽しいかも。


【芋焼酎 (いもじょうちゅう)】
薩摩で芋焼酎が作られるようになったのは、薩摩芋の伝来した18世紀初頭ごろだが、臭みが強いため、ごく貧しい者の飲み物であり、一般には普及していなかった。
1851年、島津斉彬が藩主になり、集成館で外国船対策のための軍事研究や産業振興策が採られるようになった。
大砲や銃の研究も行われ、雨天でも確実に発火できる雷管の材料に、大量のアルコールが必要になった。
そのため、斉彬公が原料の安い芋焼酎の製法を見直すように命じ、臭みが少なく味の良い芋焼酎を大量生産できるようになった。
その後、芋焼酎の人気があがり、藩内だけでなく、日本各地で飲まれるようになっていく。

要するに、1863年の薩英戦争で、台風の豪雨の中でも薩摩側が大砲を発射し続けられたのは、芋焼酎のおかげ。
薩英戦争では、大久保さんや精忠組の仲間たちがけっこうがんばって、寺田屋騒動の汚名を払しょくし、目の上のたんこぶだった側役の中山さんを追い出す。
これがもしボロ負けだったら、中山さんはやっぱり罷免されたかもしんないけど、戦争指揮してた大久保さんも同じ運命だったかも…。
精忠組の皆さんは、また謹慎処分に逆戻りだったかもしんない…。

大久保さんは戦後、英国軍に焼かれた集成館を立て直し、さらに近代的な工場&研究施設群にしてくんですが、芋焼酎研究は続けたのかな?


【石見銀山 (いわみぎんざん)】
世界遺産にもなった有名な銀山のことですが、時代劇などで石見銀山と言えば、殺鼠剤…つまり毒薬のこと。
ヒ素が主成分で、かなりの猛毒なうえ、死に方がほぼコレラと同じで区別がつかないため、毒殺といえばこれを使うというのが定番だった。
ちなみに、別に定説ってわけじゃないけど、先代の薩摩藩主の斉彬公も、死に方だけ見るとこの毒を盛られたんじゃないかと思える。

ついでに言うと、1865年ごろから、写真の現像には青酸カリを使うようになったので、明治の探偵小説では毒殺というと青酸カリが定番になっていくのだ。


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